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 午前1時。
 数馬はマンションの外壁に寄りかかり、何本目かの煙草を吸っていた。
 部屋で半袖を着ようとして思い直し、ロングスリーブのTシャツを選んだ。まだ九月だというのに、夜風が肌寒くて仕方ない。体脂肪が減ったことが、こんなに体に影響を与えるとは思っていなかった。
 やがて、暗闇に白い車体が浮かび上がった。隼人のベンツがマンションの前に停車する。
「お前、痩せたか? ずいぶん、顔違うなァ」
 ドアを開け、数馬を中へ通した隼人は、驚きを隠せない様子でそう言った。
 三日前と比べても、体重が落ちている。それが顔に出ているのは当然だった。
 数馬は助手席に腰を下ろしながら、
「これ」
 と、紙袋を後部座席に放り投げた。
「何だよ?」
「借りてただろ」
 袋の中には、スウェットパンツが入っていた。隼人は思い出したように笑った。
「ああ、あれな。お前、あん時、失神しちまったからよ。服着せんの、大変だったんだぜ。デニム、ピッチピチだしよ」
「店の前に捨てられるとは思ってなかった」
「じゃあ、こっちのマンションの方がよかったか? 俺ァ、気を遣ってやったんだがな」
「……」
「それにしても、あの夜はなかなか楽しかったよ。お前、失神する前、どんなだったか覚えてねーだろ。すげぇ声出して発狂しまくったんだぜ。ククッ……ケツもすげー締まってよ。気持ちよかったなァ」
「そんな話を聞かされに来たんじゃない」
「気取るなよ。ハメられて悶えまくってたくせによ」
「お前とセックスの相性がいいとは思えない」
「そうか? 俺ァけっこう好きだがなァ……お前とやるの」
 隼人はマンションの裏手に回り、大通りの手前のところでヘッドライトを消してエンジンを切った。斜め向かいに24時間営業のファミリーレストランがある。
「例の話。考えてくれたか?」
 シートベルトを外し、腕組みをして、隼人は横にいる数馬の顔をチラリと見た。
 数馬は落ち着いた口調で答えた。
「竜児のマネージャーが、飯田プロではかなり長くやってる。ベテランだし、社長の信頼も厚い。まず、あの人に話を通せば間違いない」
「あの貧乳のオバサンか? 俺、嫌われてるような気がするんだけどなァ」
「あの人に嫌われてるようじゃ、社長にまで話を持っていけねェよ」
「それより、チャリティーシングルだよ。お前が参加すりゃ、わざわざ面倒な手続き踏まなくてもいいじゃん。話、早くなるしよ」
「その話は……断る」
「おいおい、そんな返事で俺が納得するなんて思ってねーよな?」
「もう二度と、お前たちと一緒に音楽はやらない。絶対にやらない。これだけは譲れない。何をされても……考えを変える気はない」
「へーぇ。ビデオのことバラされてもか?」
「バラされても、だ。……そのかわり、本当にバラすなら、滝瀬さんに紹介もしない。飯田社長にも、お前がどういう人間か伝える。竜児の携帯から、個人情報を吸い出したこともな」
 数馬は毅然とした態度で言葉を弾き出した。これが、三日間考えた末に出した答えだった。
 彼が竜児に対してしたことを盾に取れば、行動は制限できるはずだった。隼人の目的は事務所の移籍であり、数馬を陥れることではない。最終目的を達成する上で、あの夜のことは絶対に漏洩してはならないはずだと数馬は思った。
 案の定、隼人は二の句が告げず黙った。軽く舌打ちをして、困惑したように親指の爪を噛む。
「チッ、考えたなァ。これだから頭いい奴は嫌いだよ」
「ビデオのことを竜児にバラさないなら、滝瀬さんと話せるようにセッティングしてやる。悪い話じゃないはずだ」
 隼人はシートに身を沈め、爪を噛みながらしばらくの間、黙っていた。しかしやがて、
「わかったよ」
 と、面倒臭そうにシートベルトを引っ張り出した。
 数馬は助手席のドアを開け、車から降りた。
 隼人は引き止めることもせず、エンジンをかけた。そして吐き捨てるように、
「また連絡するからな」
 とだけ言って、数馬をねめつけた。
 臆することもなく、数馬は無言で走り去っていくベンツを見送った。
 煙草を取り出してくわえ、火をつける。大きく煙を吸い込んで、安堵の溜め息で吐き出した。
 これでおそらく、隼人はビデオを使っての脅迫はできなくなるはずだ。本当に移籍を考えているのなら、素行の悪さは隠しておきたいところだろう。竜児を部屋へ呼びつけ、強引に酒を飲ませた上で携帯電話をのデータを盗んだなどと、数馬が証言すれば大変なことになる。
 久しぶりに肩の荷が下りた気がして、数馬は夜空を見上げた。都会では星などほとんど見えないが、それでも癒される心地がする。
 竜児と会う前に決着がついてよかったと思う。暗い顔をして彼に心配をかけずに済む。
 解放されたような面持ちで、数馬はマンションへと戻って行った。
 その後ろ姿を、ファミリーレストランの窓から見つめる瞳があった。
「……」
 憲治は煙草を灰皿に起き、コーヒーを一口含んだ。
 数馬が章吾の部屋で電話をしていた時、彼との電話を終えた竜児から二度目の連絡が入った。明日の午前中に憲治が車で送ることを数馬が承諾したと、その時に聞かされた。
 しかしなかなか部屋を出てこない数馬を心配し、憲治は扉の前で聞き耳を立てた。声をひそめていたため、話している内容までは聞き取れなかったが、数馬が竜児以外の誰かと話していることは明らかだった。
 その時、憲治はふと思い立ち、HAYATOの携帯に電話をしてみた。しかし話し中で繋がらなかった。数馬の電話の相手がHAYATOであると確信した憲治は、その後の数馬の「今夜中に帰りたい」という申し出を黙って受け入れたのである。
 果たして、深夜の車中で数馬とHAYATOは密会した。
 憲治は新しいセブンスターを取り出し、口にくわえた。そしてすぐ、灰皿にある吸いかけの煙草に気づき、パッケージの中に戻した。
 数馬とHAYATOが仲がいいとは思えない。隼人は六年前、数馬を陥れてバンドから脱退させた。そのことを数馬が水に流すはずがない。
 しかし、数馬が穿いていたスウェットパンツが本人の物でなく、HAYATOの物だとしたら……どういう理由があれ、数馬はHAYATOと一緒にいる時に服を脱いだ、ということになる。数馬がゲイであることを前提に考えれば、何をしたかなど決まりきっている。
 以前会った時、HAYATOは憲治に「自分はホモじゃない」と言って笑った。しかし彼には暴力癖があり、女性を乱暴に扱うという情報がある。数馬に対し、HAYATOが一方的に暴行を加えているのではないかという疑念が、憲治の中にはあった。
 数馬が口を滑らせた「どうせシェーカーも振れない」という言葉は、それを裏付けるものだ。章吾の話では、数馬は栄養ドリンクのキャップも開けられないほど、腕が震えていたという。長時間、腕を拘束されると、そういう状態になることがあるのを憲治は知っている。
 どちらかと言えばマゾの気がある自分ならともかく、サディストである数馬が、好んでそんなプレイに身を任せるわけがないと憲治は思った。
 しかしそれなら、二人は何のために会っているのか。
 数馬がHAYATOのもとへ、竜児を迎えに行ったのはどういうことなのか。
 バンド解散の理由にもなったアダルトビデオは、今回のことと何か関係があるのか。
 それらのことの中に、数馬の拒食の原因はあるのか。
 謎が多すぎて、概要を掴むのが精一杯だった。憲治は煙草を灰皿で揉み消し、疲れたようにこめかみを指で押さえた。
 HAYATOに、直々に電話で依頼されたことも、まだ返事をしていない。そんな状態で、数馬のことまで気にかけていていいのか、とも思う。しかしあの真っ青な顔と、今にも倒れそうな痩せ細った体を思い出すと、すべてを後回しにしても、数馬を助けたいという気持ちが強くなった。
 もう、自分一人の手には負えない……そう感じた憲治は、津村にすべてを打ち明ける決意をした。
 津村忠嘉。指定暴力団紅虎会の若頭にして、かつて数馬と恋仲にあった男である。未だ数馬を愛し、彼の身を案じている。
 例のアダルトビデオが流出することを疎んで、HAYATOをも脅迫している。ビデオのことが明るみに出たら殺される、とHAYATOが恐れているのは、津村の存在があるからだ。
 憲治は店の壁時計を見た。すでに時刻は2時を回っている。弟を心配させないために、憲治はファミリーレストランを後にした。

     *

 明け方にマンションに帰宅した竜児は、すでに数馬が帰ってきていることに驚いた。
 その後、竜児もすぐに倒れるように寝て、目覚めたのは10時過ぎだった。
 リビングに通じる襖を開ける。キッチンの方から、いい匂いが漂ってきている。竜児はボサボサの頭を手で梳いてまとめながら、キッチンを覗いた。
「石黒…」
 数馬がキッチンで、フライパンを振っている。フライ返しを左手に持ち、肉と野菜を炒めているようだった。
 竜児に気がつくと数馬は、
「おはよう」
 と、軽く声を掛けた。長い髪が邪魔にならないように、後ろで一つに結んでいる。
「おはよう。石黒、大丈夫なの? 寝てなくて……」
 竜児はキッチンに入りながら、おずおずと尋ねた。数馬は手を止めず、視線だけを竜児に向けた。
「別に病人じゃないよ、俺は」
「大丈夫? 食べ物の匂いとか、吐き気しないの?」
「別に。妊娠中のツワリじゃあるまいし」
 竜児は吹き出した。数馬の口からそんな単語が出たことが可笑しかった。
 数馬はうまくフライパンを振って、念入りに野菜を炒めていた。玉ねぎ、にんじん、ピーマン。あとは小さく切った鶏肉が入っている。
「早く顔洗ってこいよ。もう、できるぞ」
「うん。そうする」
 竜児は慌ててサニタリールームへ急いだ。
 家の中に親友がいることが嬉しかった。この数日間は、味気ないホテル暮らしだった。シャワーを浴びて眠るだけの毎日に、竜児はうんざりしていた。
 普段、数馬とは擦れ違うことが多い。竜児が起きる時間には彼は寝ているし、帰宅する時間は仕事で留守にしている。一つ屋根の下にいるのに、何日も顔を合わせないこともある。それでも別々の場所で寝泊りするよりはずっとましなのだということが、身に染みてわかった。それほど、この数日間は辛かったのだ。
(石黒がごはん作ってくれるなんて、思わなかったなぁ……)
 洗面を終えて、タオルで顔を拭いながら、竜児は笑いを噛み殺した。
 簡単に身支度を整え、竜児がダイニングテーブルに着いた時、数馬はケチャップで味付けしたライスの上に半熟のオムレツを乗せているところだった。更にその上から、デミグラスソースをたっぷりと掛ける。
 思わず竜児は、感嘆の声を上げた。
「うわあ、ドイツ風だね」
「前に渋谷で一緒に食べたの、あっただろ。あれをちょっと真似してみた」
 数馬は、竜児の前にオムライスを置いた。そして、
「Guten Appetit.」
 と呟くように言う。
 この挨拶を習慣にしてから、数馬の方がそう言うのは初めてだった。そのせいか、流暢な発音だというのに彼は、少し恥ずかしそうにしている。
 そんな友人の厚意が嬉しくて、竜児は笑ってダンケ、と答えた。
「……石黒は、無理?」
 数馬の前には皿がない。始めから作ってもいないようだった。インスタントコーヒーが半分だけ注がれたマグカップが、淋しげにぽつんと置かれている。
「気にしないでいい。食べられるようになったら、食べる」
「でも、ずいぶん……」
 痩せたよね、と言おうとして、竜児は口を噤んだ。そのことを一番心苦しく思っているのは本人なのである。わざわざ他人が言って、追い詰めることはない。
 竜児は極力明るく振舞うことにした。スプーンでオムライスをすくって、大口で頬張る。あまり数馬は料理が得意な方ではないが、その日のオムライスはとても美味だった。
「おいしい!」
「…よかった」
「いつの間に料理、うまくなったの?」
「うまいとは思えないが」
 数馬は緊張したように背筋を伸ばして、あちこちに視線を動かした。竜児の顔を正面から見られないという仕草である。照れている時の彼の癖だった。
 竜児はオムライスを食べながら、何気なく尋ねた。
「そう言えば、石黒のお父さんって板前さんだったんだよね? やっぱり血筋?」
「いや、でも俺は……顔もよく知らないから」
「ドイツでお店に勤めてたんでしょ? そのお店、まだあるのかな」
「どうだろ…。俺がガキの頃は、多分あったと思う」
「行ってみたいと思わなかった?」
「思ったさ。日本食にも興味あったし。だから金貯めようと思って、観光客からせしめたことあったな」
「えっ、どういうこと?」
 いつになく饒舌な数馬に、竜児は夢中になった。彼がこんなふうに明るく話すのは、本当に久しぶりだった。
「デュッセルの名物みたいなもんでさ、Radschlagerってのがあるんだよ」
「ラートシュレーガー?」
「大昔からの伝統で、別に今は流行ってるわけでもないんだけど。子供が街中で側転するんだよ。で、観光客にチップをせびるんだ。とっくに廃れてるんだけど、知ってる人はちゃんと金くれるんだよな。やってみるもんだ、と思った」
「側転って、あの側転? クルッと回る……」
「そう。大会もあるぜ。子供がみんなしてクルクル回る」
「あっ、そうか! 石黒がバック転できるのって、そのせいだったんだ!」
 竜児は目を輝かせた。数馬はどうしてそんなこと覚えてるんだ、という顔で、テーブルに両肘をついた。
「あれは、偶然できるようになったんだよ」
「高校一年の時。びっくりしたなぁ、体育館のマットでいきなり石黒がバック転した時! バック宙もやってたよね。うわ、そうだったんだ……やっぱり、子供の頃から身軽だったんだぁ」
「しゃ…喋ってねェで早く食えよ」
「今でもできる?」
「やってみようか?」
「あっ、い…いや、元気になったら……。今は、危ないもんね」
 竜児は取り繕うように笑って、食事を続けた。体調を崩している時に余計な負担をかけて、怪我でもさせてしまったら大変だ。
 そんな竜児の心配をよそに、数馬はゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
 食事が終わり、竜児が使い終わった食器をプルオープンの食器洗い乾燥機に入れている間、数馬はリビングのソファに座った。
 テーブルの上のシガレットケースを取り、煙草を一本引いて、口にくわえた。ジッポーライターで点火し、深く煙を吸い込んだ。ソファにゆったりと身を沈め、新聞を流し読みする。
 数馬のくつろいでいるような様子を見て、竜児は胸を撫で下ろした。
 ここ最近あった、何かに苦悩しているような雰囲気がすっかり消え去っている。今日の彼は、どこか少年のようにのびのびしていて、楽しそうだった。
 無理をして休みを取ってよかったと、竜児は心から思った。
(あとは、ごはんさえ食べられるようになってくれれば……)
 竜児はポットの湯が湧く間、リビングの戸棚からアロマライトを取り出し、エッセンシャルオイルを部屋から持ってきた。上皿にグレープフルーツのオイルを数滴垂らし、コンセントを挿してスイッチを入れる。オレンジ色の穏やかな明かりが灯り、ふんわりと香りが漂い始めた。
 数馬は一本目の煙草を吸殻にした後、二本目には手をつけなかった。彼なりに、香りを堪能しているように見えて、竜児は微笑んだ。
「これからどうする?」
 数馬の向かい側のソファに腰を下ろし、竜児は尋ねた。夜まで時間はたっぷりあった。
 竜児の問いに、数馬は少しだけ考えて、ボソッと呟くように答えた。
「どこか……乗らないか。近場まで」
「えっ? でも石黒、体……」
「運転は、今は無理だけど。……タンデムなら」
「本当? 体力あるの? 大丈夫? 掴まれる?」
「大丈夫だよ。掴まるぐらい」
「無理しないで……」
「してないよ。久しぶりに乗りたいし」
「嬉しいな。じゃ、奥多摩あたり……と言いたいところだけど、多摩川のへんまで走ろうか!」
「ああ」
 竜児は壁掛け時計を見た。昼近くなってはいたが、まだ午前中である。
 ツーリング自体、久しぶりだったが、数馬を後ろに乗せるのは更に久しぶりだった。芸能界に復帰してからは一度もない。数馬が自分のマシンを所有するようになったせいもある。
 竜児は色めきたって、そわそわし始めた。今から行けば、暗くなるまでは外で過ごせそうだった。
 彼が心ここにあらず、という顔になったのを見て、数馬はソファから立ち上がった。
「じゃ、支度してくる」
「うん!」
 竜児も釣られて立ち上がった。数馬がリビングを出るよりも先に、自室に飛び込み勢いよくクロゼットを開けている。
 正直、数馬はあまり自信がなかった。しかし、竜児のせっかくの休日を、自分に付き合わせて一日中部屋の中で過ごしてもつまらない。
 バイクから落ちる心配はなかった。心配なのは寒さだ。体脂肪が落ちたせいで、少しの風でも冷気に感じてしまう。防寒だけはきちんと考えなければならない。
 オフロードバイクに乗っている時の竜児は、他の何をしている時よりも生き生きとしている。数馬は今、そんな彼の顔を見たかった。傷ついた心を、それで癒したいと思った。
 自室に入り、スチールラックの一番上に置いてあるヘルメットを取る。うっすらと埃が積もっているのをタオルで拭こうとして、ふと数馬は気づいた。
「……」
 ベッドの上に放り投げていた携帯電話の、着信ランプが点灯している。メールが届いていることを知らせる色だった。
 数馬はヘルメットをベッドに置いて、携帯を手に取った。ボタンを操作して、メールを見る。本文と添付ファイルが受信されていた。
 それが隼人からのメールだとわかり、数馬は舌打ちした。
 そして添付ファイルを開いた瞬間。
「……っ!」
 数馬は思わず端末をベッドの上に落とした。
 液晶画面に現れた画像に写っていたのは、竜児だった。竜児が隼人の部屋を訪ねた晩、撮影されたものだろう。彼は目を閉じて眠っている。意識のない状態のところを写されたのだ。
 首から下、襟元が大きくはだけられている。裸の胸があらわになっていた。
 衣服をまとっていない部分は、胸だけではない。腹、そして太腿。穿いていたジーンズが脱がされている。局部には、白いタオルが掛けられていた。
 数馬は全身の血液が沸騰するような思いに駆られた。息が上がり、手がぶるぶると怒りに震える。
 端末を拾い上げ、慌てて本文を読んだ。そこにはたった一行、こう書かれていた。
[この次の写真が気になるなら電話してこい]
 この次、というのが何を意味するのか、数馬にはすぐにわかった。写真は何枚も撮られている。おそらく、股間がタオルで覆われていないものもあるのだ。
 数馬は両手で頭を抱え、掻きむしった。迂闊だった、と思った。
 指一本触れるなという言葉を、彼が守るわけがない。利用できそうなものは何でも利用する卑劣な男だ。目の前に利用価値のある獲物が横たわっているのを、黙って見ているわけがない。
 竜児は次の日、特に体の変調は訴えていなかった。あの様子からして、強姦されたとは考えられない。単に服を脱がされて写真を撮られただけなのだろう。
 それでも、許すことは出来なかった。数馬は床に両膝を付き、ベッドを拳で殴りつけた。
 竜児に対してこんな破廉恥なことをした男の命令に、自分は従っていたのだ。隼人が竜児に何もしていないと信じ、言われるままに時間と体を提供した。
 この画像がインターネット、或いは写真週刊誌などに出回ったら……そう思うと、身の毛がよだつ。おそらく隼人はそれを計画している。数馬を、そして竜児本人を脅迫するため、この画像を振りかざしてくるはずだ。
 悔しさで、頭がおかしくなりそうだった。呼吸が不自然に激しくなる。呼吸の間隔が短くなり、脈が急激に速くなった。
「ねえ石黒、グローブ、俺の方に一緒に入ってた。片方だけ……」
 廊下で竜児の声がした。数馬は慌てて携帯電話の電源を落とそうとした。しかし手が痙攣したように震え、取り落としてしまう。掌に、びっしょりと汗をかいていた。
「ねえ、そっちに片方……石黒っ? 石黒っ!」
 竜児が驚いたような声を張り上げ、床にうずくまる数馬に駆け寄った。
「ハアッ…、ハアッ……りゅ、ハアッ、ハッ……あっ、はあっ、……」
「石黒、救急車呼ぶよ? ちょっと待ってて!」
「待…、大丈……、ハッ、ハッ、ハアッ、ハアァッ!」
 リビングへ走っていく竜児を止めようとして、数馬は床に倒れた。全身が火照り、ガクガクと痙攣している。呼吸がまったくできず、息苦しさに顔が歪んだ。喉に何かが詰まっているような心地だった。
 聞こえるはずのない雨の音が頭の中で大きくなる。寒い……冷たい……その感覚に、鳥肌が立つ。
 そのまま、数馬の意識は遠のいていった。

    *
 
 

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