数日後、数馬はまた隼人に呼び出された。 相変わらず、食は進まなかった。あの日の朝食以来、ほとんど飲み物しか摂取していない。何とか少しでも食べようと、果物などを口にしてみるものの、数分後には気分が悪くなり吐き出してしまう。一日に何度もトイレで嘔吐した。 食欲不振の理由がわからなかった。これ以上、竜児に心配をかけるのは忍びなかった。 『精神的なものなんじゃないのかな……ごめん、素人なのに適当なこと言って』 あのパン粥は、結局食べることができなかった。竜児は何も言わなかったが、心の中では落胆していただろう。彼を悲しませてしまったことを数馬は後悔した。しかし、自分ではどうすることもできなかった。 おそらくは竜児の推察どおり、精神的なものだ。藤原に尋ねてみれば、何かアドバイスを貰えるかもしれなかった。早急なカウンセリングが必要だということはわかっている。 しかし店と自宅との往復だけで数馬は疲労してしまい、どうしても昼間、出歩くことができなかった。深夜に帰宅しても朝まで眠れず、ようやく眠れたと思えば、起きるのは夕方で、すぐに出勤しなければいけない時間である。 常に頭に靄がかかったようになっており、思考力も低下していた。仕事上でのミスも目立った。章吾も数馬の異変に気づいているのか、ここ数日は必ず憲治と共に店へやって来る。 『数馬ちゃん、心配事あったら力なるで?』 そう憲治には言われている。しかし、彼を頼ることはできなかった。 隼人は二度、章吾に手を出している。その都度、彼は大きな痣を作る怪我をしている。 数馬と同じ店で働くウェイターが坂本憲治の弟なのだと、相手に知られているということは、言わばいつでも狙われているということだ。隼人はいつでもまた、章吾を襲うことができるのである。それがわかっているから、数馬は坂本兄弟を巻き込む気はなかった。 もちろん、他の誰を頼っても状況は変わらない。若い不良たちを侍らせている隼人にとっては、他者を攻撃することなど容易い。 もともと、隼人は暴力団員の血を引いている。父親が他界したことで名目上、組は解散していたが、当時の組員やその舎弟を顎で使える権力は失われていない。 幼少期から、周囲の男たちが勝手に従うのであるから、あのように成長するのも無理はない。昔、孝弘とそんな話をしたことを数馬は思い出した。 あと一ヶ月、耐えれば……そう数馬は思っていた。夏樹と話し合うことができさえすれば、事態は好転する可能性があるのだ。何とかその間、持ち堪えるしかなかった。 今日、数馬が服を脱がされたのは、いつものリビングではなく、別の部屋だった。シンプルなベッドとデスクトップパソコンがあるだけの部屋だ。 「うっ……く、ん、んぅ…っ……」 結束された両腕が、上に引き上げられていく。天井に設置された滑車が、一糸まとわぬ数馬の腕に繋がったロープを巻き上げていた。 体の前で祈るような形で、左右の手首から肘までがぴったりと合わさっていた。その部分はガムテープでぐるぐると巻かれた上、黒い革ベルトで、強く締め付けられている。 手首だけの戒めならともかく、左右の両肘が密着した姿勢であるため、そのまま両腕を引っ張り上げられるのは苦痛だった。肩が軋み、背中がミシミシと音を立てる。 「よく耐えられるな。普通、五分で音を上げるぜ」 感心したように隼人が言う。ロープの端を手で握っていた。肩にある蜘蛛のタトゥーが引き立つタンクトップと、クラッシュ加工のジーンズを身に着けている。 数馬は歯を食いしばり、そこに立っている隼人を見上げた。 膝は床に付いているが、そこから下は宙に浮いていた。ふくらはぎから踵までがぴったりと太腿に密着した体勢で、片足ずつベルトで縛り上げられている。正座をしたまま、折り曲げた脚を拘束したような形だ。 ロープで上から吊られているとは言え、全体重を両膝で支えるのは無理がある。数馬の太腿は先ほどからプルプルと痙攣し、その姿勢でいるだけでも脂汗が滲み出てきた。 隼人は何度もロープを緩めては、数馬のバランスを崩すことに執着していた。両腕が下がるのは数馬には有り難かったが、その分、膝で体を支えられなくなる。グラッと倒れそうになるとロープに腕が引っ張られ、強烈な痛みを肩と背中に与えてきた。 吊られている状態で急に落とされ、また吊り上げられるという拷問は、歴史的に存在したもので、肩などを脱臼することもあったという。地に足が着いているため、緩められても大きな衝撃こそなかったが、再び吊られる時の激痛は、充分それに近い恐怖を数馬に与えた。 「フフッ、苦しそうだなァ」 「……ううっ…はっ、話がある、なら……早く、しろ……ッ!」 憎しみのこもった目で、数馬はジロリと隼人を睥睨する。その瞳を見つめ返しながら、隼人は嬉しそうに笑った。 「女を縛るとよ……そんだけでトロンとなって、ご主人様ぁ、とか言い出しやがるんだよな。そのくせ、ちょっとハードに責めると大騒ぎしやがってよ。愛がねーだの何だの偉そうなことぬかしやがって、挙句の果ては、こんなのSMじゃないとか言い出しやがる。てめーの好きなプレイにならねーってだけで、こっちを人でなし扱いだぜ。ケッ、SMに愛なんかねーんだよ。こっちは女の泣き叫ぶ顔、見てーだけなんだからさ。なァ」 「き、気が合うな……俺も、同じ考えだ……が、そ…ういう話は……別の機会に、ゆっくり……盛り上がりたいもんだな……」 「お前のそういうとこが好きなんだよ、数馬。ここまでされても冷静だ。勝手にてめーの世界に入っちまうこともねーし、許しも請わなきゃ、屈服もしねえ。あくまでも、俺のことバカにしたような目つきでいやがる。たまんねーよ、まったく」 「え…SM談義を、する…ために、呼んだのか……? 他に、話はねェのかよ……!」 「いいね、その目。ホント、お前は生まれてくる性別、間違えたよなァ」 ニヤニヤと笑いながら、隼人はグイッとロープを手前に引いた。滑車がギシッと音を立て、数馬の両腕が限界まで引き上げられる。 「イッ…! んうぅっ、はっ……は、ぐぁ……」 その状態で、ロープの端がポリエチレンのウォータータンクに結ばれた。水がたっぷり入ったタンクが二個、部屋の中に並んでいる。何十リットルかはわからないが、かなりの大容量である。それぞれのグリップを繋ぐようにロープが通されているため、数馬が動いてもびくともしなかった。合わせて数十キロの重量なのは、間違いなかった。 膝が浮きそうなほどに持ち上げられ、数馬は喘いだ。両肘さえ離すことができればと、力を振り絞って暴れてみる。が、幾重にも巻かれたガムテープが破れるはずもなく、ベルトが腕に食い込むだけだった。背中が真ん中から張り裂けてしまいそうな痛みが、じわじわと精神を蝕んでくる。 「いい眺めだな。このままずっと放置してやろうか。お前の態度によっては、マジでそうさせてもらうぜ?」 「あぁっ……はっ、は…早く、話せ……っ、あっ、んっ…、んはあぁっ……」 隼人はのろのろとベッドに腰掛け、飲みかけの赤ワインのボトルを手に取った。コルクを歯で噛んで抜き取って床に放り、直接、注ぎ口に口をつけて飲む。 「REVENGEがよ。もう、ヤバイんだよなァ……解散かな、ってね」 「……」 「俺はギターの奴と違って、事務所から煙たがられてっかんな……そうなったら、しばらく干されるかもしれねえ。俺だけ切り離す、なんて話も小耳に挟んだしな。…だからよ、数馬」 「……んっ、あ…?」 「カムパネルラって事務所あるよな? 飯田プロの系列のよ。俺と孝弘で、そっちに移籍できるように、動いてくんねーか?」 「カム……、夏樹の、いる……?」 「ああ、そうそう。日向夏樹な。あいつもそこだっけ。そうか……前、何か事件あって、個人事務所から引き抜かれたんだっけか」 「俺……には、何の力も、ない。移籍なら……勝手に…会社と、密談でも、…しろ……」 「だからよ。わかんねーかな。田島竜児に話通してくれってことだよ」 数馬の顔から血の気が引いた。天井の滑車がギシギシと音を立てている。 「む、無理に決まってる……そんな、こと……!」 「普通に話しても無理だろうさ。でもな」 隼人はワインボトルを持ったまま、立ち上がった。そしてゆっくりと数馬の傍らへ歩み寄り、片膝を立てて床に座った。 無防備な背中にそっと指を滑らせる。肌はびっしょりと汗で湿っていて、長い髪が貼り付いていた。それを取ってやるように髪を束にして掴み、グッと握り締める。そして数馬の耳元に囁くように、 「お前が音楽やりたいって言ったら……向こうも放っとかねーんじゃねーのか?」 と、言った。 「……!」 数馬の顔に驚愕の表情が浮かんだ。同時に、ガチガチと歯が音を鳴らす。怒りに震えているのか、動揺しているのか、何も言わずに目を見開いている。 「お前、日向夏樹の曲、作ってんだってなァ? ツアーに同行したこともあるらしいじゃん? 結構、しっかり活動してんだなァ、おい」 「あ、れは……ローディ、で……それ、に……曲は、別に…」 「おあつらえ向きに、チャリティーシングルの企画があんのよ。来年な」 「……?」 「募金活動の一環みたいな? あんだろ、地雷とか難民とかそんなやつさ。ま、要するに『We Are the World』のパクリみたいなもんよ。REVENGEからは俺とシュウが参加するんだけどよ。お前も、やらないか」 「……バカな。俺は…、プロじゃない…」 「日向夏樹と一緒にやってんだろ? 日向も確か名前挙がってたぜ。ククッ、昔ライブハウスによく来てくれてたよなァ、アイドル時代。お前ら、あの頃から仲いいのな」 「夏樹に……聞いてみろ…っ、あいつは俺を、プロとしてなんか、…見て…ない…」 「ンなことどうだっていいんだよ。この俺がお前を誘ってんだぜ? プロとかアマとか、関係ねーんだよ。お前は俺たちと企画に参加して……で、その流れで話をしてくれりゃいいのさ。インディーズの仲間でまた、一緒にやりたいってな」 「てめェ……よく…そんなこと、白々しく……言える……」 数馬がそこまで言った時、隼人が掴んでいた髪の毛をグイッと後ろに引っ張った。 「はがぁっ!」 両腕を吊られたまま、数馬は大きく仰け反る体勢になった。腕の付け根と肩、首が悲鳴を上げている。肘から先が千切れそうだった。 「何も、本当に一緒にやろうってわけじねーよ。そういうつもりだってお前が言えば、少なくとも田島竜児は話聞くだろーが。親友なんだろォ?」 「こ…、こ、断る……そんな……話、は、でき……ないっ…!」 「フーン。あのDVD、奴に見せてもいいんだな?」 「そ…っ、それ……は…、う、う、あ…は、うぐぁ……」 「驚くだろーなァ。お前がヨガって発狂してるとことかよ。わけわかんねードイツ語ぐちゃぐちゃ喋るとことかよ。それから……」 「やっ……やめろ……やめ…、て、くれ! もう…やめ……」 数馬は激しく首を振った。隼人は更に乱暴に髪を引っ張る。白い喉が上を向き、不自然に口が開いている。その口の中に、隼人はボトルからワインを注ぎ込んだ。 「ぐっ! がっ、あっ、ゲホッ、ゲホッ!」 数馬はむせ返り、激しく咳き込んだ。口から宙に吐き出された赤い飛沫が、そのまま顔と首に降り注ぐ。 「どうなんだよっ! いいのか? いいなら今すぐ送ってやるぜ。見てもらいてーんならなァ。それとも今、ここに呼んで受け取ってもらうか? お前の携帯から電話したら、びっくりすんだろうぜ!」 隼人は数馬の髪を離して解放すると、床に転がっていた携帯電話を手に取った。キー操作はロックされている。チッと舌打ちして隼人は、ウォータータンクに繋いだロープをナイフで切った。 キュルキュルと滑車が回り、支えを失った数馬の体はドサッと床に倒れ落ちた。両肘を強く打ちつけ、数馬はその場に転がったまま低く呻いた。 「うぐぅ……あっ、ああっ……はぁ、はぁ……」 「ロックナンバー白状させてやる。どう責められたい? 鞭か? スタンガンか?」 「無駄だ……そんなもの、何の役にも立たない……」 「落ち着き払ってんなァ……たまんねーな、お前のその態度。崩してやりたくなる」 「少しでいい。考えさせてくれ……」 「あァ? さっきの話か? 考える気、あんのかよ?」 「竜児にだけは……二度と連絡させない。絶対にだ。……だから……」 「ハハッ、そうか。やっぱりビデオ見せられんのはイヤか。最初っからそういうふうに素直になりゃいいんだよ」 「……」 「ま、こっちの期待通りの返事したくなるように……ちょっとはいい思いさせてやるよ」 そう言うと隼人は、強引に数馬を仰向けにして、体の中心を手で握った。 「さ…触るな……別に、いい……」 「遠慮すんなよ。ちゃんと搾り取ってやるからよ」 「やめろ……お前になんか……」 数馬は目を閉じて顔を背けた。しかし隼人はやめる気配もなく、ゆっくりと手を動かして肉竿をしごいている。強すぎず、弱すぎず、絶妙の力加減で亀頭を揉みながら、カリ首の周りに指先を這わせてきた。 「硬くなってきたじゃん。気持ちよくなってきただろ?」 「……そ…んなこと、な……」 「嫌いな奴に気持ちよくされるってのは、どんな気分かねェ? あ、それとも……嫌いな奴だからこそ、気持ちいいのかなァ?」 片手で数馬の顎を持ち上げ、悔しそうな表情を楽しみながら隼人は、屹立してきた雄身をギュッと握り締めて、根元から絞るように手を上下させた。人差し指で鈴口をくすぐり、敏感な裏すじを親指でツツッとなぞる。 数馬の呼吸が荒くなる。下半身がざわざわと、快感に蕩け始めている。無意識に舌が口から飛び出し、上下の唇をなぞるように舐めた。 「ああ……く、くそっ……はぁ…は…あ……」 「エロい顔しやがって。孝弘にも見せてやりてーなァ、その顔」 隼人はうっとりしたように、数馬の前髪を指で掻き上げた。汗ばんだ額を掌で擦り、正面からじっと見つめる。数日前よりも頬がこけている印象だったが、その美貌自体に変わりはなかった。 不意に、数馬が目を開けた。侮蔑したような視線を、直接隼人に浴びせる。 「タカを……いつまで、いいように使うつもりだ?」 隼人は少し驚いたような顔で、手を止めた。 「ほーぅ。自分に惚れてる相手のことが気になるか? あんだけのことされたのに、優しいねェ」 「体が心配なだけだ…」 隼人の顔から笑みが消えた。直後、局部から手を離すと、そのまま数馬の喉元にグッと押し当てた。 「何が言いたい?」 「……いいかげん、気がつけ。お前には、本当の友達はあいつしかいないってこと。その友達を痛めつけるような真似は、もうやめろ」 「どうしてわかった?」 「目の色だ」 「チッ……。…気に入らねーこと言いやがって……」 いらついた様子で隼人は立ち上がった。そして、数馬の髪を掴み上げると、足で蹴りつけながら乱暴に体を引っくり返し、うつ伏せにした。膝で折り曲げられた足が上になり、双丘とその谷間が隼人の眼前に晒された。 「いくら何でも、ちょっと喋り過ぎだぜ、数馬」 吐き捨てるようにそう言うと、隼人は近くに用意しておいたボールギャグを、無理やり数馬の口に突っ込んだ。 「あがっ……」 直径四センチほどの大きさの真紅の玉が、上下の歯を割る。それを固定するように隼人は、両端のレザーの紐を左右から後ろに引き、マジックテープできつく止めた。 |