麻紀の運転する車の後部座席で、竜児はシートにもたれかかった。
昨日のドラマの撮影は、今日の明け方まで続いた。三時間後には別の仕事が待ち受けていたため、竜児は帰宅することができなかった。
ようやく自宅に帰れたのは昼過ぎであったが、数馬は留守だった。菊の花をどう思ったのか、尋ねることさえできていない。
メールを出したとしても、おそらく数馬の反応はない。一体どうして急に彼がメールを嫌うようになったのか、竜児は見当もつかなかった。
「竜児くん、もうすぐ着くわよ」
麻紀が振り向かずに知らせてくれた。六本木に近づいていることは、カーナビゲーションの音声で察しがついていた。
スタッフに頼んで買っておいてもらったワインを手土産に、竜児はHAYATOの住むマンションへと向かっている途中だった。
三時間だけ仮眠を取ってから家を出て、さっきまで映画のロケ現場にいた。ほとんど眠っていないため、瞼が重たくてしようがなかった。
「帰りは送ってくれるって言ってたし、あとはもう大丈夫です」
車を降りたところで竜児は麻紀に言った。麻紀は疑わしそうな目つきでジロジロとマンションの外観を眺めると、諦めたように溜め息をついた。
「気をつけるのよ。変な人が来てたら、さっさと帰ってくること」
「へ、変な人って」
「ヤバそうな人ぐらいわかるでしょ」
麻紀は人差し指で頬に縦に線を引いた。暴力団関係者などを指しているのだろう。
「大丈夫ですよ。HAYATOさんそこまで悪い人じゃなさそうだし」
「そう思ってるのは、あなただけかもよ」
「だとしても、ホームパーティーぐらいで何も起きませんよ」
「とにかく、気をつけてね。家に帰ったら一応、電話よこしなさい」
麻紀は小言を並べ立てつつ、車を発進させた。
竜児はエレベーターに乗り込み、指定された階のボタンを押した。
(石黒、何時頃なら帰ってるかな……)
腕時計に視線を落とす。時刻は午後11時を指している。[イーハトーボ]は零時閉店だが、数馬は後片付けや掃除などで更に遅くまで滞在する。帰宅するのはいつも2時を回ってしまう。
もっとも平日であるため、客が少なければ早い時刻に終わるはずだった。
(そうだ。メールを出しといて、後で電話もらおうっと)
竜児はバッグから携帯電話を取り出し、親指でメールを打ち始めた。
[今、知人の家にいます。帰るタイミングで迷ってるので、零時過ぎぐらいに携帯鳴らしてください。りゅーじ]
数馬がメールを読むのが遅れたとしても、日付が変わる頃には電話をくれるだろう。着信メロディが鳴れば、それを理由に席を立つことができると思った。
メールの送信を確認して、竜児は携帯電話をバッグの中にしまった。
エレベーターを降り、HAYATOの部屋へ向かう。表札を確認して、竜児は思い切ってインターホンを鳴らした。
「田島さん! お待ちしてました〜!」
軽薄な声でHAYATOが出迎えた。栗色に染めた髪は、ドラマの撮影中に比べ若干伸びていた。やや短めのボブスタイルといったところだ。薄いバイオレットカラーのコンタクトと同色のピアスを耳に数個、着けていた。
竜児は、耳のいろんな箇所に彼がピアスを付けているのを以前から不快に思っていたため、思わず視線を宙に泳がせた。
「こ、こんばんは。遅れちゃって、その」
「どうぞ、上がってください」
そう促され、玄関に入った竜児は拍子抜けした。ホームパーティーと言うから、多人数の靴が並んでいると思ったのだ。予想に反して、靴はほとんど置いていなかった。
「今日って……、人が来てるんじゃ?」
騒ぎ声もなく、部屋は静まり返っている。竜児はHAYATOに手土産のワインを渡しながら、首を伸ばして部屋の奥の方を見やった。
「場所、移動したんスよ。俺、田島さん来たら一緒に行くってみんなに伝えてあって」
「あ、じゃあすぐ行かないと」
靴を脱ぎかけた竜児は、またすぐ踵を落とした。
しかしHAYATOは、竜児の手首を軽く握り、部屋の中へと引っ張った。
「ちょっと休んでからでいいでしょ。駆けつけ一杯ってことで」
「でも、行くなら早い方が」
「まあまあ。ちょっとぐらい上がってくれたってバチは当たらないっしょ?」
力強く手を引かれ、竜児は渋々、靴を脱いだ。
カーペットの敷かれた廊下を歩き、リビングへ案内される。くつろぐように勧められて、竜児は革張りのソファに腰を下ろした。
何かが変だった。
場所を移動したのだとしても、このリビングは整然とし過ぎている。今夜、客が来ていたのなら、少しはその跡が残っているはずだ。
もし、最初から違う場所が会場なら、移動という言い方はおかしい。ここに来る前、竜児が連絡を入れた時に、変更があったと言えばいいだけの話である。
「はい、田島さん。頂いたワイン」
不意に横に座ったHAYATOが、ワイングラスの脚を持って竜児に差し出した。血のように真っ赤なワインが、グラスになみなみと注がれている。
「俺、飲めないんですよ」
「ちょっとぐらい。それとも、自分じゃ飲めないものを俺にプレゼントしようって?」
「そ、そういう意味じゃ……」
仕方なく、竜児はグラスを受け取った。
グラスを傾け、赤い液体を口に含む。一口だけでグラスを戻そうとしたその時、突然、竜児は横から抱きすくめられた。
「はっ、ハヤ……」
HAYATOはしっかりと竜児の体に片腕を巻きつけると、強引にワイングラスを掴み、傾けた。中に残っていたワインが、どんどん竜児の口の中に流れ込んでいく。
心臓がバクバクと早鐘を打ち始める。顔が急激に熱くなり、頭がグラッとした。
「飲めるじゃないですか。もう一杯どうです?」
「いや、もう本当に……」
「じゃ、俺ちょっと支度してきますから。そこで待っててください」
HAYATOはスッと立ち上がると、部屋を出て行った。
竜児は指でこめかみを押さえながら、ソファに深く座りなおした。背もたれに寄りかかり、軽く目を閉じる。
しばらくそのままで待ったが、HAYATOは戻ってこなかった。何分ぐらい経ったのか確認しようと、竜児は目を開けて腕時計を見ようとした。しかし、体が異常に重く、何もする気が起きない。
強烈な睡魔が襲い掛かってきた。我慢しようと思っても、勝手に瞼が閉じてしまう。
竜児は徐々に、何も考えることができなくなっていった。やがて全身から力が抜け、彼はズルズルとソファから滑り落ちた。
*
23時30分。
[イーハトーボ]の中は静まり返っていた。最後の客が、先ほど帰ったところだ。
章吾はすでに床を掃いていた。週末でもない限り、この時間から混雑することはもうない。
「……」
数馬は事務室で煙草を吸いながら、携帯電話の液晶画面を見つめていた。
[今、知人の家にいます。帰るタイミングで迷ってるので、零時過ぎぐらいに携帯鳴らしてください。りゅーじ]
竜児からのメールが届いたのは30分ほど前だった。おそらく付き合いで断りきれず、二次会か三次会にでも引っ張られてしまったのだろう。
竜児は数馬から見たら、優柔不断を絵に描いたような男だった。典型的な日本人で、周囲の顔色を窺いながら行動している。芸能界というのはいろいろしがらみがあるから、ある程度は仕方がないとは思うものの、竜児の場合は度を越えていた。
数馬は事務机の上に端末を置くと、代わりにジッポーライターを手に取り、カチャカチャと蓋を開閉し始めた。
早めに店の仕事を終えて、零時前には電話を掛けてやるつもりでいた。
「章吾。後は俺がやるから、帰っていいぞ」
開け放したドアから、表に向かって声を掛ける。章吾は掃除の手を止め、事務室にやってきた。
「ほな、お言葉に甘えて」
「ああ。お疲れ」
数馬は章吾と入れ替わりに、携帯電話を持ってカウンターの方へ出て行った。章吾が着替えている間に、掃き掃除を終わらせておこうと思った。
そう言えば、竜児がメールをくれたのは久しぶりだな、と気づく。このところ、ほとんどメールの着信音は鳴っていなかった。
もっとも数馬にしてみたら、その方が好都合だった。
ちょっと前、他人が竜児の携帯を使って電話をしてきたことがあった。それ以来数馬は、メールを信用することができず、返信することができなかったのである。電話なら本人であることが確認できるが、メールでは確認のしようがないからだ。
そこまで考えた時、不意に数馬の動作が止まった。
「……まさか…」
胸騒ぎがした。竜児が今、どこにいるのかが気になった。
スラックスのポケットから携帯を取り出し、もう一度メールの文面を確認する。
「知人…」
友達でもスタッフでもない、知人という書き方が妙だった。それに、打ち上げとも親睦会とも書いていない。数馬の胸に、どろどろとした感情が渦巻く。
一人の男の顔が頭に浮かぶ。竜児の携帯を使って、数馬に電話を掛けてきた張本人。
数馬はその男を憎んでいた。かつては友人であり仲間だったが、六年前に袂を分かった。
「……くっ」
居てもたってもいられず、数馬は竜児に電話を掛けた。
呼び出し音が鳴る。数回鳴った後、音がプツッと切れて無音になった。しかし人の声は聞こえない。耳につくのは、僅かな呼吸音だけだった。
「…隼人、か……?」
恐る恐る数馬は尋ねた。すぐにククッと含み笑いが聞こえる。
『よくわかったなァ。虫の知らせってやつか?』
隼人の声が数馬の耳に流れ込んできた。聞きたくない声だった。
「竜児はどこにいる?」
『そばにいるよ。寝てるけどな』
「寝てる…?」
『すんげー可愛いな、寝顔。子役ん時のまんまな。昔、テレビで見たの思い出したよ。何だっけな、あのドラマ。妹と見てたんだよなァ』
数馬は舌打ちして、隼人の言葉を遮った。
「何が目的だ? なぜ竜児を巻き込む?」
『巻き込んでるわけじゃねーよ。勝手に首突っ込んでんのはお前だろ、数馬。俺は別にお前になんか用はねーんだよ。田島竜児に用があんのさ』
「竜児に指一本触れてみろ。ただじゃおかない……殺すぞ…」
『へーぇ』
感心したような声を上げて、隼人は笑った。そして、
『そーいう関係か。なるほどね、ただのルームシェアじゃねーってことか』
と、興味深そうに言う。ねちっこい言い方に、数馬の怒りが爆発した。
「お前が思ってるようなことはしてねェよ! 竜児は俺みたいな人間とは違うんだよ。もちろん、お前みたいなクズともな!」
『ずいぶん熱くなんだなァ。そんなにこいつが好きか?』
「そんな…ことはどうでもいいだろ。何が目的か話せ。内容によっては……」
『わかったよ。お前には負けたよ。ちゃんと話すよ。だから、なァ、今から来いよ。こいつを連れ帰らせてやるからさァ』
「……わかった。何が何でも連れ帰る」
『俺の方はさ、もうすぐ用事は済むのよ。そしたらもう、邪魔なだけだからよ』
「俺が着くまで絶対に手を出すな」
『バーカ、俺はホモじゃねーっての』
「住所は?」
『取りあえず六本木方向に向かって、途中で電話くれよ。ナビしてやるからさ』
「電話番号は」
『これに掛けりゃいいだろう。俺が出るからよ。ハハッ、じゃあな!』
電話は切れた。数馬はボタンを押して通話を終わらせ、カウンターの上に端末を置いた。肩の力を抜き、大きく一度だけ深呼吸する。煙草を吸いたかったが、そんな時間はない。
私服に着替えるのも面倒だった。ただ手荷物をロッカーから取るためにだけ、数馬は事務室へ駆け込んだ。
「あ…」
椅子に章吾が座っていた。数馬と目が合うと、申し訳なさそうにサッと視線を逸らす。
話を聞かれていたことに気づき、数馬は眉を寄せた。あれだけ大声を出したのだから仕方がなかった。
「あ…あの、ボク、鍵……閉めて帰ります。後片付け…してから、その……」
「……すまない。先に、……出る」
数馬はロッカーを開けて、簡単に身支度を整えると、章吾を残して店を飛び出した。
幸い、すぐにタクシーが捕まった。数馬は極力、冷静になろうと努力しつつ、取り急ぎ幡ヶ谷の自宅マンションへとタクシーを急がせた。
竜児は今夜、何かを予感していたのに違いない。だから前もって、数馬にメールを送信してきたのだ。
隼人との付き合いに関して、竜児は何も話してくれたことはなかった。数馬と隼人が旧知であることなど未だに知らないのだから、当然だった。
竜児は寝ている、と隼人は言った。酒に弱い彼であるから、酔っ払ってしまったのかもしれない。しかし別の可能性も考えられた。
ハルシオンなど即効性のある睡眠導入剤を飲まされたのだとしたら……数馬はそれを心配していた。錠剤を紙ヤスリで削って粉にして、ドリンクに溶かす。過去に隼人はこの手口を使ったことがある。
昔の記憶を振り払うように、数馬は頭を左右に振った。
竜児の肉体が目的でないのなら、一体隼人は何を企んでいるのか。数馬はいろいろな方向から考えた。しかし、これだと確信できるものは何もなかった。
やがてタクシーはマンションに到着した。
そのまま地下駐車場へ走り、愛車のBMWに乗り込んだ。黒いボディが闇夜に溶け込む。
パニック障害を抱えている数馬は、滅多に車は運転しない。新宿三丁目の店に電車で通っているのも、そのせいだった。夏に発作が出てからは特に、運転からは遠ざかっていた。しかし今、そんなことを心配している場合ではない。
片手でタイを外し、襟元を開く。何度も胸を押さえて深呼吸しながら、数馬は六本木へと急いだ。
*
ドアを開けて入ってきた数馬を一目見て、隼人は口笛を吹いた。
「へえ……そんなふうに前髪上げることもあんのか。初めて見たな」
数馬はそれには答えなかった。着替えをしなかったぐらいであるから、髪も解いていないのは当たり前だ。フロントとサイドをきっちりと上げて後頭部で一度結び、更に首の後ろで一つに束ねている。
「どういうつもりだ……。外にいる奴らは何だ?」
鋭い眼光で睨みつけながら、数馬は隼人に問い質した。
エレベーターを降りたところで数馬を迎えたのは、素行の悪そうな若者数人だった。ガムを噛みながら数馬のボディチェックをして、持ち歩いているアーミーナイフを取り上げたのだ。
「後でちゃんと返すって。それに俺は気を遣ってやったんだぜ? お前一人で車までこいつを運べねーだろ?」
こいつ、と隼人が顎で指し示した場所には、力なく竜児が横たわっていた。パッと見た印象では、服装の乱れなどはない。数馬は少しだけ安堵した。
無言で部屋の中へ進み、ソファにどっかり座っている隼人を見下ろす。そんな数馬の態度に対して物怖じもせず、隼人は思い出したように話し始めた。
「あの後メールの履歴見たらよ、お前にメールしてたんだな。だから電話してきたってか。俺はお前に超能力でもあんのかと思って、ちょっとビビッたよ」
「誰かと会う前に、竜児がこんなメールをよこしたことは一度もない。それだけ、お前を警戒してたんだ、竜児は。早く帰りたかったから、俺に電話を頼んだ」
「好かれてるなんて最初っから思ってねーよ。それに、そんなのはどうでもいいことさ。今日、ここに呼んだ目的は、こいつの携帯だったんだからよ」
隼人の手の中に、竜児の携帯電話があった。隼人は端末を弄ぶように、宙に投げては受け取るという動作を数回繰り返した後、ポンと数馬の方へ放ってきた。
数馬は携帯電話を受け取ると、両手で包み込むように握り締めた。
「もう、データ移したからいいぜ、持って帰って」
「データ?」
不審そうに、数馬は片眉を吊り上げた。
「電話番号とアドレスのデータだよ。天下の飯田プロの跡継ぎだろ。それなりの人脈持ってると思ってな。ずっと狙ってたんだよ」
事も無げに隼人は言った。
竜児の継父は、芸能プロダクションの社長である。天才子役・田島竜児を世に出した人物であり、その後の彼の人生も公私にわたり、支えてきた経緯がある。いつかその時が来たら、竜児が会社を丸ごと継承するのは明らかだった。
「竜児の人脈の個人情報を盗むためだけに、こんなことをしたのか?」
「お前のせいだぜ、数馬。一度、撮影中にチャンスがあったんだ。マネージャーが目を話したスキに、セカンドバッグから抜き取ってな」
「……」
「データを見始めたところで、いろいろ連絡が入ってな。面白いからお前にそのまま電話してやったのさ」
数馬は夏の日の事件を思い出し、チッと舌打ちした。
二ヶ月ほど前、芸能ライターである章吾の兄が、隼人に関する情報を集めていた。そのため、脅しとして章吾が狙われた。最初は駅の階段から突き落とされ、二度目は[イーハトーボ]の前で暴行を受けたのである。
数馬はそれが隼人の仕業だと知っていた。直後に隼人から釘を刺す電話が入った。数馬が携帯電話に登録している、竜児の電話番号でそれは掛かってきた。
なぜ隼人が竜児の端末を使用できたのか、ようやく謎が解けた。数馬は質問を続けた。
「なぜ、人脈が必要なんだ? 何を企んでる?」
「フフッ、それはお前には関係ねーなァ。俺もいろいろあんのよ。今後の心配とかさ」
隼人は意味ありげに歯を見せて笑った。
数馬は深く追求することをやめた。今は、長話をしている時間はない。
竜児は床に転がされたまま、微動だにしなかった。小さい寝息が聞こえるので熟睡しているのだとは思うが、いつ意識が戻るかわからなかった。数馬は焦りながら、
「とにかく、もう竜児には用がないわけだな。……連れて帰る」
と、竜児の体を抱き上げようと手を伸ばした。
その時である。
「待てよ」
隼人はテーブルの上から、自分の携帯電話を手に取った。そして液晶画面を数馬に向けて、見せるように差し出す。
「俺の携帯には、田島竜児の番号がまだ入ってる。これ、消したいと思わねーか?」
「……どういうことだ?」
「こいつは今日、自分が勝手に寝ちまったと思ってるはずだ。罪滅ぼしで、次はちゃんと俺の誘いに乗ってくれるはずだぜ。いいのか? また俺たちが会っても」
「そんなこと……俺が許さない」
「クククッ、いくらお前にあんなメール出したとは言え、今日ここに来たのは田島竜児の意志だったんだぜ? 自分でここに来た以上、それほど俺のことを嫌ってるわけじゃねーってことだろ」
「……」
「今後もずっと、つきまとってやろうか? そうなりゃ数馬、いつかは……」
意を決して、数馬は声を荒げた。
「どうしろって言うんだよ。今度は何がしたい?」
「お前が、どれだけこいつのこと好きか……証明してくれたら、俺は身を引いてやるよ」
「証明?」
「お前が俺の命令に従うなら、俺の携帯から田島竜児の番号を消す。今後、電話は掛けられない。もちろん、メールアドレスもだ。二度と連絡はしない。ま、どっかで会ったら、挨拶ぐらいはするかもしれねーけどな」
「……」
「悪い話じゃねーだろ? お前が今、ちょっと言うこと聞いてくれりゃいいだけだ。そうすりゃ、俺はもう二度と、田島竜児と話はしない。断るなら、データは消さないし、また電話する。今日みたいに誘って、……次は助けなんか呼ばせねーぜ」
「俺に何をしろって……」
「服、脱げよ」
「……!」
「久しぶりに、お前の裸が見たくなったんだよ。脱げ」
目を細め、隼人は数馬の顔を凝視した。その蛇のような視線を受けて、数馬はゴクッと生唾を飲み込む。
「どうした? 脱がねーのか?」
「……く…」
「そーか、お前のこいつへの思いはそんなもんなのか。じゃあ俺がこいつとどう付き合おうが構わねーよなァ? え?」
言いながら隼人は、竜児の脚に手を滑らせた。ジーンズの上から、ゆっくりとした動作で膝の周辺を撫で回す。
「やめろ。……触るな」
「お前次第だよ」
「…本当に、二度と竜児には近づかない…んだな?」
「ああ、それは約束する。今ここで、消してやるよ。そっちの携帯の俺のデータも消していいぜ。そうすりゃ、連絡の取りようがねーからな」
「……わかった」
頷き、数馬は胸のボタンに手を伸ばした。
柔らかい素材の白いシャツは、ボタンをすべて外すとすぐにはらりと落ちる。両肩があらわになり、素肌が照明の下に曝け出された。続けて数馬はベルトを外し、ファスナーを下ろして、黒いスラックスから脚を抜く。
隼人がまた、感動したように軽薄な口笛を吹いた。
「お前、ホンットに白いな」
「……これで、いいのか」
「全部だよ。わかってんだろ」
当然、といった風に、隼人は急かした。数馬は靴下を脱いで放り投げ、腕時計も外す。しかし最後に残ったアンダーウェアに手を掛けた時、思わず動作が止まった。
「それもだ。早くしろよ」
「……くそっ」
舌打ちして、数馬はぴったりとした黒のボクサーパンツを無造作に引きおろした。
かあっと数馬の顔が熱くなった。片手で局部を覆い、俯く。
チラリと竜児を気にかけた。まだ起きる気配はない。しかし、いつまでも寝たままだという保証もない。
心臓がドキドキと高鳴り始めた。早く解放されたかった。
そんな数馬の焦燥感を無視して、隼人は舐めるように数馬の全身を見回すと、
「両手を頭の後ろで組め。ちゃんと胸張って、前を見るんだ」
と、指示した。
従うしかなかった。数馬は唇を噛みながら、言われたとおりに両手を高く上げた。どこも隠すことができず、すべてが隼人の眼前に晒されている。悔しさにきつく目を閉じ、数馬は羞恥心に耐えた。
「彫刻みたいだな……ま、ちょっと痩せすぎか」
「……いつまで、……」
「黙ってろよ。じっとしてな」
隼人は赤ワインをボトルからグラスに注いだ。数馬の全裸を観賞しながら、ゆっくりと味わうつもりでいる。彼が高揚しているのは、その吐息の荒さから判断することができた。
気が狂いそうな思いに、数馬は翻弄されていた。竜児のいるところで、こんな辱めを受けることになろうとは、予想もしていなかった。
全身の血液が沸騰したように滾る。早くこの場所から逃げ出したかった。
「それにしても……、チンポ曝け出してまで、友達守ろうとするなんてな。クククッ、お前の性格って、昔っからちっとも変わってねーのな」
グラスの液体を飲み干し、隼人はソファから立ち上がった。
立っている数馬の傍らへにじり寄り、スッと掌で胸を撫でる。小刻みに指を震わせながら、細い肢体を抱き寄せるように、腰に腕を絡ませた。
指先を立てて、背中や腰骨をスッとさすった。隼人の指の動きに反応するように、贅肉のない体がふるふると震える。大腿部や膝の裏側に指を這わせると、数馬は肩をすくめ、その身をよじった。
「すげー興奮するなァ。こんなの久しぶりだ」
「……も、う…、いいだろ……」
わなわなと震える数馬の背後から、隼人は前に手を回した。指の腹で軽く、胸の突起の表面を擦る。ピクッと数馬は反応し、思わず吐息を漏らした。
「……っ、ん、ぅ…」
「相変わらず敏感だな。すぐ尖る」
「や、やめろ……これ以上…は……」
ぶるぶると全身を痙攣させ、数馬は声を絞り出した。
すぐそばで竜児が眠っている。こんな状況で、性感が刺激されることには我慢ができなかった。
隼人は確かに興奮している。それは数馬にもわかる。素肌を撫で回してくる掌の熱さ、そして時間と共に激しくなる呼吸がそれを示していた。
自分の意に反して、乳首の先端が硬くしこる。それを指で軽く摘まれ、くりくりと転がされた。喘ぎ声が出そうになってしまうのを、数馬は必死で堪えた。
「お前といるとクラクラするよ。どんどん、おかしな気持ちになってきやがってさァ」
「……んう…っ、あ、ぅ……」
「さすが、俺が生涯で一人だけケツに突っ込んだ野郎、ってだけのことはあるな」
「ぐ……ぅ…」
「また、ハメてやってもいいんだぜ?」
そう言うと、隼人はキュッと数馬の恥部を握り締めた。
「……んくぅっ!」
根元から先端まで満遍なく往復する手に、数馬は腰が砕けそうになった。不愉快極まりないと頭ではわかっていても、僅かに心が反応してしまう。同性愛者の性だった。それでも声だけは出すまいと必死で口を固く結ぶ。しかし、徐々に大きく形を変えるペニスを、どうすることもできなかった。
「勃ってきたぜ……このままここで、抜くか?」
「頼む……もう、やめてくれ……充分だろ……」
「さて、どうすっかなァ」
隼人は手を離し、数馬の体を軽く突き飛ばした。そしてソファに戻ると、突然、竜児の肩を強く揺さぶり始めた。
「やめっ…!」
とっさに数馬はその場にしゃがみ込んだ。
その情けない格好を見て、隼人は我慢できないように笑い転げた。
「目ェ覚ましゃしねーよ。ハルとロヒ混ぜてんだからよ」
「くっ……く、そっ……」
床にぺたんと座り込んだまま、数馬はもう立つことができなかった。両脚が緊張でガクガクと痙攣し、呼吸が異常に速くなる。
隼人はしばらくの間、見とれたように数馬の姿を観察していたが、やがてソファに深く腰を下ろし、
「なかなか楽しかったぜ。約束どおりメモリは消してやる」
と言った。
数馬は脱ぎ捨てた服を抱え込み、荒くなる呼吸を辛うじて抑えていた。
*
白の雨-04へ続く|このページの冒頭へ戻る|この小説の目次へ戻る
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