玄関の鍵を開けると、中は真っ暗だった。
数馬はドアを閉め、電気をつけた。竜児の靴はそこにはない。真夜中だというのに、まだ帰宅していない。朝、家を出てから、かれこれ17時間である。
二人の連絡用のホワイトボードを見る。するとそこには、見慣れない筆跡があった。
[ちょっと寄りました。滝瀬]
竜児のマネージャーは、鍵を所有している。どうしても竜児が自宅に用事がある時は、彼女が代理でやって来ることがある。事務所の若いスタッフに任せず、常に彼女が自分で動くのは、ここに数馬という同居人がいるからに他ならない。数馬のプライバシーにも関わる問題だからだ。
数馬は真っ直ぐ洗面所に行って服を脱ぎ、シャワーを浴びた。
それから自室で服を着ると、タオルで長髪を拭いながら廊下を通り、リビングへとやってきた。
電気をつけた数馬の目に、いきなり飛び込んできたものがあった。
「…!」
テーブルの上に、シックな花瓶に生けられた白い菊の花が飾ってあった。
数馬は言葉もなく、吸い寄せられるようにテーブルへと歩を進めた。ソファに腰掛け、濡れた髪を拭くのも忘れて、じっと菊を見つめる。
たった数本の菊は、息を飲むほどに美麗だった。おそらくは竜児に頼まれて、麻紀が飾ってくれたのだろう。シンプルな紺色の花瓶も、センスのいい上質なものだ。
数馬はそっと指先で、細い花びらを一枚摘んだ。ほとんど力を入れていないのに、すぐにプチッと花びらは落ちた。ひときわ大きく開いた花の下には、すでに何枚かの花びらが散っている。
ドイツにも菊はある。日本では洋菊と呼ばれているものだ。しかし、日本ほど多彩な種類はない。
初めて日本でたくさんの菊の花を見た時のことを、数馬は思い出した。
それは、高校生の時。竜児の家で行われた葬儀でだった。
『石黒、来てくれたんだ。正座できる? ごめんね、堅苦しくて』
竜児はそう言って、数馬を気遣った。一家の主が死んで、竜児の母と姉は泣き崩れていた。竜児だけがてきぱきと動き、参列者に挨拶して回っていた。
あの子、悲しくないのかしら。お父さんが死んだっていうのにね。だって芸能人でしょ、もともと。どっかイカレてんのよきっと。ヒソヒソとそんな声が聞こえた。
しかし、数馬は知っていた。葬儀を終えてから自分の部屋で、竜児が声も出さずに泣いたことを。数馬がいたたまれない気持ちで肩に手を置くと、竜児は堰を切ったようにむせび泣いた。
『石黒っ…、俺、俺…、俺のせいなんだ……きっと、俺のせいなんだよ。父さんが死んだの、きっと……俺の……』
『自殺だったんだろ? 誰のせいでもない。自分で自分を殺したんだ』
『そうなんだけど……何か、よくわかんないんだけど……わかるんだ、多分……だって、だっ…て、俺のせいで、……家族みんな迷惑……してた…、から……』
『田島……、泣くなよ。…頼むから……』
『ごめん。……ごめん、石黒…、帰って……いいよ、ごめん……ごめ、ん……』
竜児は覚えていないかもしれないが、あの時、自分は竜児の手を握った。冷え切った手だった。それを温めるように、強く手を握り締めた。そして、細い肩を抱いた。
あの時、数馬は初めて意識したのだ。竜児に対してずっと抱いていた気持ちを。
親友の力になりたかった。どんなことでもしてやりたかった。心の底から、彼を大事に感じた。
同時に、この気持ちを決して言うことはできないとも考えた。言えば、竜児は気持ち悪がって逃げてしまうだろう。言って嫌われるぐらいなら、ずっと黙ったままでいる。それが、親友を失わずに済む唯一の方法なのだ。そう思った。
数馬の脳裏にありありと思い出が甦った。菊の花の香りが、意識を昔へと連れて行く。
この後、マンションを出た時に数馬が遭遇したことに関しては、竜児には一度も話していない。今後も話すつもりもないことだった。
田島竜児クンのお友達ですか? 竜児クンの様子はどんな感じだったのかな?
鼻の穴を膨らませたマスコミの連中だった。数馬は不躾にマイクを向けられ、馴れ馴れしく話しかけられた。その場にいる者はみな、テレビから去った天才子役の取材を、楽しそうに行っていた。
ね、ね、お父さんは借金をしてたって話だけど。竜児クンが子役の時に豪勢な生活してたから、それが抜け切ってなかったんじゃないの? 飯田プロの飯田社長は来てたかどうか、わかるかな? 竜児クンのお母さんとイチャイチャしてなかった? 不倫してたって噂なんだけど?
数馬は十数メートル、無言のままでいたが、やがてはっきりとした口調で、とっとと失せろ。薄汚ねェブタどもが、という意味のドイツ語を喋った。数馬が外国人だと勘違いした取材陣は、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。日本人は外国語に弱いと聞いていたが、ここまで効果覿面だとは思わなかった。
この時、数馬は決意したのだ。竜児のことを絶対に守る。あんなハイエナのような奴らに、竜児を傷つけさせるわけにはいかない、と。
新聞や写真週刊誌に書かれた内容など、信じなかった。竜児の言葉と彼の笑顔だけが、数馬にとっての真実のすべてだった。
数馬は菊の花の香りに酔いながら、煙草に火をつけるのも忘れて、しばらくの間、高校時代に思いを馳せた。今ここに竜児がいたら、何時間でも当時の話をしてしまうだろうと思いながら。
*
昼間、三島隼人はいつものように長時間遅れて、スタジオ入りした。
スタッフの申し訳程度の小声の挨拶が、ぽつぽつと響く。
ライブツアーを直前に控え、メンバーは数時間前からリハーサルの真っ最中だった。
隼人は平然とスタジオの椅子に腰掛けた。派手なバックプリントの入ったロングTシャツで、長さの異なるシルバーチェーンやペンダントを何重にもぶら下げている。やや伸びてきた髪を後ろで無造作に束ねているが、フロントやサイドの毛は届いていない。その髪の内側の耳に、光るものが三つ見え隠れしていた。異なる箇所三点に、小ぶりなピアスが入っている。
ジロッと最初に隼人を睨み付けたのは、ギタリストの井上秀一だった。肩まで伸びた艶のある黒髪を揺らし、無言で隼人の顔を凝視している。
「何だよ、シュウちゃん。恐い顔しちゃって。カワイコちゃんが台無しだぜ」
「遅れてすみません、の一言ぐらいあってもいいんじゃないですか。オレらはともかく、昨日から徹夜のスタッフもいるんですよ?」
秀一は、少年のような顔を歪ませて、ヴォーカリストに食って掛かった。頭一つ分隼人よりも小さいため、上目遣いで睨みつけている。目が大きく睫毛が長い。オーバーサイズのサマーセーターはかなり袖が余っているが、不思議とだらしない印象はなかった。
「しょーがねーじゃん。ドラマがあんだからさァ」
「撮影、長くかかりすぎだって噂ですよ? 年末特番なのに、編集間に合うんですかね」
「撮影が手間取るのは俺のせいじゃねーよ。何でもそうやって人を悪く思うクセ、直したほうがいいんじゃねーの? カノジョに嫌われちゃうぜ」
「とにかく、早く用意してくださいよ。時間ないんですから」
「おお恐い恐い。権力ある人は、言うことが違うねェ〜」
隼人は大げさに首を振り、バカにしたような目で秀一を見下ろした。秀一は軽く舌打ちして、拳をきつく握り締めた。
その時、背後から低い声が響いた。
「シュウに言ってもらってるうちが花だぞ、三島。そのうち、誰からも相手にされなくなる」
慌てて秀一は振り返った。隼人は正面を見据えて、頬をピクッと痙攣させた。
ベーシストの弾こと早川ダンが、射抜くような視線を隼人に向けている。普段は寡黙であるダンが、珍しく不快感を顔に出していることに、秀一は驚いた。
ダンは特に声も荒げず、冷静に隼人と秀一を傍観していた。白無地のTシャツから伸びた筋肉質な腕。軽くスパイラルの入ったセミロングをバンダナで押さえつけている。身長は隼人とさほど変わらなかったが、体格には大きな違いがあった。
隼人は一回大きく息を吐いて、背筋を伸ばし、ダンに言い放った。
「お前と言い争う気はねーよ、ダン。お前さんの言うことはいっつも完璧だからな」
「論理的に会話を進めるのが好きなだけだ。だからこそお前とは極力、話したくない」
「へっ、はっきり言うじゃねーか。いつも上から目線でよ。偉そうだよなァ、おい」
「シュウは優しい奴だから、注意してくれるんだ。それをちゃんと理解するんだな」
ダンはそれだけ言うと、勝手にベースを爪弾き始めた。隼人など、もうその場に存在していないかのような態度である。
隼人はキッと秀一を睨みつけると、控え室に続く廊下へ出た。
秀一とダンの物言いが気に入らなかった。隼人は大股で闊歩しつつ、何度も壁を蹴った。
その途中で、隼人はいきなり呼び止められた。ドラマーの進藤孝弘が笑いながら立っている。そして、雰囲気を和ますような明るい声で話しかけてきた。
「隼人、来てたんだ。何か飲む? 買ってこようか」
「いらねーよっ」
「ちょっ…、隼人!」
隼人は孝弘を突き飛ばすと、控え室に入り、大きな音を立ててドアを閉めた。パイプ椅子を蹴り倒し、テーブルを拳で殴る。
四人はかなり前から、顔を合わせれば言い争うようになっていた。その一番大きな原因が自分にあることなど棚上げして、隼人は秀一たちを疎んでいた。
空中分解という名の解散も、秒読み段階だった。
「そうなりゃあ……一番、得しやがるのはシュウじゃねーか。ンなこと許せるかよっ!」
秀一はもともと、レコード会社の女性プロデューサーの秘蔵っ子としてREVENGEに加入している。もちろん実際は情夫のようなものだ。REVENGEが崩壊したとして、彼女が秀一だけを優遇するのは明らかだった。
隼人は焦っていた。何としても、バンドが崩壊するより先に行動しなければならないのだ。
*
次の日、数馬は藤原メンタルクリニックの待合室にいた。
手持ちの薬が少なくなったというのが理由だったが、母の死について、少しだけ話をしたいと思った。
顔や態度には出さなかったが、数馬は主治医である藤原猛を信頼していた。かれこれ十五年の付き合いだ。母の再婚相手である川原洋一の紹介で、日本に住み始めてすぐに通院した。川原の、学生時代の親友だという話だった。
二人が連絡を取っていることは知っている。数馬の病状は、常に川原に筒抜けだった。当然、今回のドイツでの出来事も、藤原は数馬と同じぐらい知っているはずだった。
ドイツへ帰れ。そう言われることはわかっていた。数馬自身、すでに何度も考えようとした。しかし、いざその事実と向き合おうとすると、決断力が鈍った。
竜児のことが頭をよぎる。今、彼と離れて暮らすことなど考えられない。
彼がいるから救われている。彼の優しさが、自分を癒している。迷惑をかけていることは承知しているが、数馬は竜児に縋らなければ生きていけないという気持ちを抱えていた。
会計を済ませた患者が一人、ドアを開けて出て行く。待合室にはもう誰も残っていない。
「数馬くん、おいで」
診察室から呼ばれ、数馬は診察室へ入った。
医師のデスクと書棚を除けば、そこはリビングか応接室のようにしか見えない。ベージュのソファに緑色のレースカバーがかかっている。鉢植えの観葉植物も、幾つか飾ってあった。エアコンの冷気が心地よい。まだ残暑が厳しく、外は蒸し暑かった。
数馬はソファに深く腰掛け、藤原の言葉を待った。
「川原から電話があったよ。いろいろ大変だったね」
「俺は別に大変じゃねェよ」
「発作はどう」
「発作は起きない。ただ、……変な夢は見る」
「どんな?」
藤原はカルテに文字を書き込みながら、優しく尋ねた。
「言いたくない。けど、子供の頃の」
「悲しい夢かな」
「ああ。凄く……寂しい」
数馬は自分の体を抱くように、左手で右側の腕を擦った。
十二歳の時からずっと、数馬は彼のカウンセリングを受けている。その間、薬も手放すことができなかった。日本に住み始めた頃の数馬は、普通の社会生活を営める状況ではなかったからである。
ドイツに住んでいた頃の環境に著しく問題があった。数馬の母は、子供にとって理想の存在ではなかったのだ。
エリカ・ヴァイスが息子に対して行ったのは、ネグレクトと呼ばれる虐待である。保護者としての義務を放棄し、子供に対して必要な配慮や世話を怠る行為だ。
数馬はろくに食事も与えられず、病気の時も医者にさえ診せてもらえずに、幼少時代を過ごした。親子の会話もまったくと言っていいほどなく、寒い物置のような場所で孤独な時間を過ごした。
「お母さんが亡くなったことに関しては……何か考えた?」
「別に。せいせいしてるよ。やっと解放された」
「少しも、辛くはなかった?」
「ああ、少しも」
それは嘘だった。が、数馬は自分の感情を認めたくなかった。
虐待の記憶を引っ張り出しさえすれば、何度でも繰り返し、母を憎むことができた。
幼い時代に植え付けられた母への不信感と憎悪は、やがて女性全体へと広がっていった。そのために、数馬は日本での中学校生活の一部を登校拒否で潰してしまった。
それでも無事に卒業することができ、私立の男子校へ通学するようになって、数馬は落ち着いた。同性愛者であることに本人が気付いたのはこの時期だったが、藤原はその趣向に関しては、取り立てて否定することはなかった。
幼少期、親の愛に恵まれなかった子供は、成人しても愛に飢えている。正しい幼少期を過ごした子供に比べて、心が満たされるために必要な愛情の絶対量が格段に多い。
女性に対して病的な嫌悪感を持つ人間が、性愛の対象を同性に求めることは珍しくない。藤原はそう判断し、その行動自体は問題視しなかった。むしろ、空虚な心を抱えていた数馬が他人に興味を持ち、愛することを推奨した。
もし藤原が、同性愛さえも精神障害であると決めつけていたら、数馬の傷はもっと深くなっていただろう。
「まだ、時間が経っていないからかもしれないね。突然、空虚な気持ちになるかもしれないから……薬は毎日きちんと飲み続けなさい。いいね」
「わかってるよ」
「できるだけ、一人きりでいるよりも友達と一緒に楽しく過ごした方がいい。田島くんはどうなのかな? 最近は」
「あいつは忙しいから……あまり会ってない」
「他にいい友達がいたら、できるだけ会った方がいいと思うよ」
「……いないことはない、けど…」
竜児以上に、数馬が素の自分を曝け出せる相手はいなかった。
「川原のビアレストランで働く……というのは、考えたことはない?」
藤原はゆっくりと言葉を選びながら話した。本題が来た、と数馬は身構えた。
「今は、考えてない」
「仕事場でも家でも彼と一緒なら、寂しさを感じることも少ないと思うよ」
「そのかわり、日本の奴らと会えなくなるよ」
「だから、ずっと向こうに住まなくても。今、不安定な時だけ向こうで過ごして、落ち着いたらまた帰ってくればいいんじゃないかな」
「……」
「そのあたりは川原と話してごらん。もうじき、こっちへ来ると言っていたから」
「俺は……東京にいたいんだよ。デュッセルは好きだけど、……」
選ぶことなどできなかった。
懐かしいデュッセルドルフの日本人街。母が他界したことで、これからは数馬だけを見てくれるであろう、父親代わりの人物。その生活は、おそらくは安穏に満ちた幸せなものとなるだろう。
しかしほとんど会えないとしても、竜児との生活の満足度はそれを上回っていた。[イーハトーボ]で気楽にシェーカーを振るのも楽しかった。夏樹、憲治や章吾、宮本や信之や他の友人たちと遊ぶ時間も大切だった。
数馬は話を適当に受け流し、藤原メンタルクリニックを後にした。薬局で薬を受け取り、その足で真っ直ぐ駅へ向かった。
ドイツへ帰るという話題から、また逃げてしまった。しかし数馬には、現在の生活を捨てる勇気がなかった。
川原が自分を呼んだとして、自分はすべてを置き去りにして日本を去ることができるだろうか。
ふと、十年前の出来事を思い出した。あの時の川原の気持ちが、今なら理解できると思った。
十六歳の冬のことだ。
『何でだよっ。約束しただろ、日本で一緒に住むって!』
『数馬、よく聞いて。お母さんが、癌で乳房を切除することになったんだよ。女性にとってそれは、とても辛い選択だったんだ。一人にすることはできないんだよ』
『関係ねェだろ……。俺には関係ねェだろ、そんなこと。約束したじゃねェかよ。必ず日本に来るって。それまで待ってろって』
『手術が済んでしばらくしたら、一度、会いに行く。だから……』
『そうかよ。わかったよ。守るとか、父親になるとか、偉そうなこと言いやがって。結局、俺よりあの女の方が大事なんだ。俺はデュッセルで邪魔だっただけなんだろ』
『数馬、違う、聞いてくれ』
『うるせェな。もうどうでもいいよ! 二度と父親ヅラすんなよっ!』
力一杯叩きつけた電話。日本に来て初めて、声を上げて泣いた夜。
思えばあの日から、ベースを弾くことが楽しくなっていた。
コンピュータの本を読み漁っていた。
クラスメイトのことを、好きになっていた。
割れてしまった心を、何とか修復しようと足掻いていたのだ。ぽっかり空いてしまった穴を埋めるため、手当たり次第に物を詰め込んでいた。
裏切られたという思いが、心の中でどんどん大きくなっていった。
数馬はすべてを忘れ去るように、音楽に没頭し、パソコンに没頭し、受験勉強に没頭した。親友への仄かな思いを胸の奥に隠して、ただ毎日を生き急いだ。
川原のことはずっと怨んでいた。許すことができたのは数年後、音信不通になっていた竜児と再会してからだ。竜児が側にいることで心が満たされ、余裕が生まれた。
だから今なら、川原の気持ちもわかる。母を許すことはできなかったが、彼が彼女の側にいることを選んだ理由もわかった。
今、竜児と離れることはできない。離れたくない。それだけは、確かな思いだった。
*
扉の向こうで、微かにシャワーの音が響いている。
昼下がりのラブホテルで、若い青年はひと回り以上も年上の女を抱いたばかりだった。
かつてストリートでギターを弾いていた秀一を、一気にメジャーに引き上げてくれたのは松浪杏子だ。そのことは深く感謝している。しかし、もうそろそろ限界が近づいていた。
秀一はベッドに寝転がりながら、受話器を耳に当てている。ベッドサイドに据え付けられたホテルの電話である。手で受話器と口元を覆い、声のトーンを落とした。
「じゃ、もしそうなったら、弾さんはどうするんです?」
『俺か? 俺はどっかの歌手のバックででも弾くさ』
「活動休止イコール解散ってことになっちゃいますかね、事実上」
『お前は別のユニットにでも何でも参加できるだろう。重宝がられてる』
「誰も、オレのギターを買ってるわけじゃないですよ。オレ程度ならごろごろいるもん」
秀一は、スポーツドリンクのペットボトルを飲み干した。
その時、シャワーの音が止み、バスルームの扉が開く音が聞こえた。
「あ、すみません弾さん。もう切りますね」
『ああ、じゃ。スタジオで待ってる』
「はい。すぐに向かいます」
受話器を置くと同時に、ベッドルームの扉が開いた。
バスタオルを体に巻いた中年の女が、だぶついた体に水滴をまとわりつかせていた。
「また弾くんと電話してたの? 仲がいいのね」
杏子はニヤニヤと笑いながら、ベッドに腰掛ける。出会った頃はそれなりに魅力的だった肉体も、今はすっかり衰えている。童貞であった頃ならともかく、今は見るだけで吐き気がした。
「オレが一方的に相談乗ってもらってるだけですよ」
「何の相談? 水くさいわね。何か不満があるの?」
「いえ、別に」
「言ってみなさい」
「……オレ、まだ納得いってないんで。チャリティーシングルのこと」
「あら、どうして?」
「だって地雷とか難民とか、オレあんまり詳しくないし。ファンの子だって、よく意味わかんないと思うんですよね」
「あらあらシュウちゃん、何言ってるの?」
女はケラケラと笑った。秀一は少しむっとして、フンと鼻を鳴らした。
「偽善者っぽくて、嫌なんです」
「くだらないこと言ってないで、あなたもシャワーを浴びていらっしゃい。もうそろそろ時間よ」
「延長料金気にするガラでもないでしょ」
秀一は毛布をはねのけて飛び起き、全裸のままバスルームへと歩いて行った。
REVENGE解散と同時に、杏子とも手を切りたい。例え、干されることになろうとも……秀一はずっと、そんなことを考えていた。
*
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