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 膝から下を上げ下げされる感覚に、ジュリアスは目を覚ました。
 グレッグが、ジュリアスにブーツを履かせているところだった。彼の意識が戻ったことに気が付くと、グレッグはジュリアスの体を起こし、白いシャツを着せた。
「お前を連れて行く。東部にでもずらかろうぜ」
「何のために……?」
「ここから逃げたいだろ? 逃がしてやるよ。そのかわり、砂金の隠し場所を教えるんだ」
「砂金なんかないと言ったはずだ」
「ここを逃げ出せたら、考えも変わるだろうさ。ボスたちが帰って来るまでの間に、遠くまで逃げる。そうすりゃ、俺のことを信用できるだろう? しばらく東部で暮らして、ほとぼりがさめたらコロラドへ戻って来よう。砂金を山分けしたら、ちゃんとジョージアへ帰してやる。それとも、あのカウボーイのガキがいるテキサスがいいかな」
「……」
「もうじき夜が明ける。三人で町を出るんだ。今、トニーが馬に鞍を付けに行ってる。金目の物は全部積んで行くから、不自由しないぜ」
 グレッグは絶え間なく喋り続けた。シャツのボタンをかけ、黒いタイを結ぶ。そして、普段からジュリアスが着用している黒のスーツを着せた。ボギー・ギャングの参謀として彼が働く時は、常にその衣服を身に付けている。
 ジュリアスはじっとしたまま、耳を澄ませていた。外では、トニーが馬に鞍を付けている。馬のいななきが、明け方の空に消えて行った。
 やがて、ジュリアスに服を着せて終わったグレッグは、自分の衣服を身に付け始めた。シャツを羽織り、ジーンズを履き、ガンベルトを腰に巻く。そして、
「途中で逃げられちゃ困るからな。こいつで繋がせてもらうぜ」
と、長いロープをジュリアスの首に括り付けた。投げ縄をする時の結び方で、強く引っ張れば、首が締まるようになっている。
「妙な真似しやがったら、このまま吊るし首にしてやる」
 グレッグはランプの火を消し、ジュリアスを部屋の外へと促した。その時、
「待ってくれ」
 ジュリアスの声が薄闇に響いた。
「何だよ、今さら」
 苛ついたように舌打ちをしながら、グレッグが尋ねる。
「聖書を」
「聖書なんて、どっかの町で買ってやるよ。それでいいだろう」
「あれは、父の形見なんだ。ゲティスバーグで戦死した父の」
「……わかったよ。持ってきゃいいんだろう。どこにあるんだ?」
「さっき、うっかりベッドと壁の間に落とした」
「そんなもん、わざわざ拾えるかよ! 行くぞ!」
「砂金が欲しくないのか?」
 ジュリアスは、妖しく微笑んだ。
 一瞬、グレッグは怯んだ。目の前の男が黄金の狐と呼ばれる理由がわかったような気がした。グレッグは警戒しながらも、その瞳に魅入られ、おずおずと尋ねた。
「本当だろうな?」
「お前たち次第だよ」
「わかった。だが、トニーをもう一度ここへ呼んでからだ。お前さんの脚は凶器だからな。後ろから襲われたんじゃ、かなわねえ。ドクターみたいに殺されたくねえからな」
「脚を縛ればいいだろ? 信用できないなら」
「……いいだろう」
 グレッグはジュリアスをベッドに座らせ、両足を揃えてロープで縛った。
 ジュリアスは再び瞼を閉じて、じっと耳を済ませていた。
「おい、聖書なんか落ちてないぜ」
 振り向き、そう、グレッグが言った時だった。
 凄まじい銃声が数発、階下で響いた。
「なっ……何だっ? トニー!」
 グレッグは慌ててベッドを飛び下り、扉の方へ向かった。拳銃を抜き、ゆっくりと扉を開ける。屋敷の中は静まり返っていた。
 グレッグはベッドまで戻ると、ジュリアスの首に括ったロープの端を掴んだ。そして、片手で彼の体を抱き、部屋の外へ出た。
 静寂に包まれた廊下を歩く。ジュリアスはグレッグにもたれ掛かりながら、引きずられるようについて行った。まもなく、外へ繋がる出入り口へ到着するはずだった。
 その時だった。
「そこまでだ、グレッグ」
 聞こえるはずのない声が響き、グレッグは戦慄した。
 屋敷の入り口のところで、ボギー・ギャングの面々が銃を構えて立っていた。
 その足元には、トニーが仰向けに倒れていた。胸から血を流し、ぴくりとも動かない。すでに事切れているようだった。
 ジュリアスは目を凝らして見た。屋敷の扉に穴が幾つか空いている。おそらくトニーは外で馬の用意をした後、再び中に戻ったところを、扉越しに撃たれたのだろう。
「ボ、ボス」
 グレッグは泡を食って後ずさりした。
 ボギー・デッドマンが中心に立ち、グレッグに銃口を向けていた。距離は約5ヤード。確実にグレッグを葬り去ることができる距離だ。
 グレッグはがくがくと震え、脂汗を垂らし始めた。
「ボ、ボス……。違うんだ、これは……」
 デッドマンはグレッグを見据えた。
「お前がトニーとつるんで、脱走を企んでたのはお見通しさ、グレッグ。ジュリアスに色目を使ってたこともな。だから三人にしてやったんだ。楽しい夜を過ごせただろう」
「ち、違うんだよ! こいつが誘ったんだ。宝があると話を持ちかけてきて……」
 グレッグはジュリアスを顎で指し示した。ジュリアスは身じろぎもしなかった。
「本当か、ジュリアス?」
 デッドマンが尋ねた。ジュリアスは含み笑いをしながら答えた。
「……宝か。南部連合の紙幣ならまだ少し持ってるぜ。床の修繕にでも使うか?」
「お前がそういう言い方をする時は、信用できる時だな」
 デッドマンはにやりと笑った。
「ボス! 何でこんな奴の言うことを……」
「鞍に積んだ金。あれもてめえの指示だろう。観念しろ、グレッグ」
「本当だ! 信じてくれ! 俺もトニーもこいつに利用されたんだ!」
 グレッグは叫んだ。
「それなら、なぜジュリアスを縛っている?」
「う……」
「こいつが誘ったんなら、その縄は必要ねえはずだがな。脚を縛られてちゃ歩けねえ」
「く…くそ」
 グレッグは、ジュリアスの首に括り付けたロープを思いきり引っ張った。
「……っ!」
 ロープがグッと締まり、声も出せずにジュリアスは床に引き倒された。
 起き上がろうとしたその時、グレッグのコルトM1851ネービーの銃口が目の前にあった。避ける間もなく、36口径の銃口がこめかみに押し当てられる。グレッグはロープを引き寄せ、ジュリアスを動けないようにした。
「こいつを殺すぞ! そうすれば、金の在りかは俺にしか……」
 最後まで言い終わる前に、飛んできた弾丸がロープを切った。ジュリアスを繋いでいたロープがちぎれ、端だけがグレッグの手の中に残る。
 続けて二発目が、グレッグの拳銃を弾き飛ばす。その場に落ちた拳銃を、ジュリアスは両足で遠くに蹴り飛ばした。
「ひいい……」
 ゆっくりと歩み寄って来るデッドマンに、グレッグは怯えた。
 デッドマンはグレッグに拳銃を向け、厳かな口調で言った。
「言い残したいことがあったら聞いてやる」
「ボス! 頼む、もう、二度とこんなことはしねえ! だから……」
 直後、激しい銃声が響いた。
 ジュリアスは目を閉じ、心の中で十字を切った。
 目を開けた時、彼は銃口から噴き出す煙と、徐々に大きくなる血溜まりを目の当たりにした。その中央で、額から血を流したグレッグが仰向けに横たわっている。
 デッドマンが、自分を見下ろしていた。返り血を浴びて、服がところどころ赤く染まっている。
 ジュリアスは上体を起こし、壁に寄り掛かると、大きく息をついた。ロープが首に食い込み、息をすることが困難だった。
 デッドマンはしばらくジュリアスを見つめていたが、やがて、
「部屋のランプを消した後、すぐに出て来なかったな。おかげで奴らを追い詰めるのが楽だったぜ。時間稼ぎをしたのはお前か?」
 と、尋ねた。ジュリアスは軽く頷きながら答えた。
「馬のいななきが変だった。あれは、すぐそばに別の馬がいる時の鳴き方だ」
「それで、俺たちがいるのがわかったのか。だが、それだけでもないだろう」
「ああ……。最初から、わかってた」
 ジュリアスは大きく息をつくと、疲れたように首を回した。
「言ってみろ」
「昨夜は新月だった。わざわざ月が出ていない夜を選んで出掛けるわけがない。数日待ったとしても、支障がない仕事だ。最初から山越えをする気がなかったとしか考えられない。と、いうことは……出掛けるのが目的ではなく、留守にするのが目的だ」
「さすがだな。それをグレッグに言わなかったのは、復讐のためか?」
「もちろんだ」
「俺たちの行動を利用したってわけか。ハッハッハッ。相変わらずズル賢いキツネだな」
 デッドマンは豪快に笑いながら、拳銃をホルスターに収めた。
 ジュリアスには最初から、デッドマンたちが近場に潜んでいることがわかっていたのだ。その目的が、グレッグとトニーの粛清であったことも。だからこそ抵抗もせずに誘いに乗り、共に脱走する素振りを見せた。更に時間を稼いだ上で、自分を縛るようにグレッグを誘導したのだった。
 デッドマンはジュリアスの体を抱き上げ、肩に担いだ。そして血の海の中を拍車を鳴らしながら歩き、ジュリアスの部屋へと向かった。
 顔を上げたジュリアスは、仲間がグレッグの死体を片付ける様子を目に焼きつけた。
 賞金稼ぎをしていた自分に近づき、汚い手を使ってボギー・ギャングの待ち伏せする山中へ誘い出したグレッグ。その結果、ジュリアスはデッドマンに囚われ、両腕を斧で切断されることになった。
 両腕を失った彼を、出血多量による死から救ってしまった医師。そして、彼を罠にはめた男。ジュリアスは三年かけて、憎悪する二名に復讐を果たした。
 残る復讐は、ボギー・デッドマンただ一人であった。
 デッドマンは扉を開け、部屋へ足を踏み入れた。乱れたベッドには見向きもせず、床の上にジュリアスの体を放り投げる。荷物のように容赦なく落とされ、ジュリアスは呻いた。
 ナイフを取り出し、脚を拘束したロープを切る。次に胸元のタイをほどき、シャツの前に手を掛けると、力任せに左右に引っ張った。その瞬間シャツが引き裂かれ、ボタンが弾け飛んだ。
 白い肌に、数え切れないほどの赤い内出血があった。デッドマンは特に表情も変えず、ジュリアスから衣服をすべて剥ぎ取った。そして、
「もう一つ聞いておこうか。なぜ、殺してもらわなかった? 千載一遇のチャンスだったはずだ」
 と、ジュリアスの顔を睨め付けた。ジュリアスは、黙って顔を背けた。その頬を平手打ちし、デッドマンは首のロープに手をのばした。
「ぐっ……」
 すでに限界まで絞られているロープを、デッドマンは更に引き絞った。
「あ…が…は、あ…ああ……」
「ン? どうした? なぜ死を選ばなかったんだ? てめえが望んでたことだろうが」
「……」
 ジュリアスの目が焦点を失い、口がぱくぱくと開閉する。デッドマンは舌打ちすると、ロープをナイフで切った。解き放たれたジュリアスが、息を荒げながら上体を起こす。その髪を鷲掴みにして、デッドマンは己の下半身に近づけた。
「白黒はっきりさせてやる」
 言いながらジーンズの前ボタンを外し、一物を取り出す。それはすでに芯が通り、上を向いてびくびくと脈打っていた。ジュリアスは何度も咳き込みながら、それを見つめた。しかし、ジュリアスの視界に入ったものはそれだけではない。
 同時に、レミントンのパーカッション・リボルバーが、目の前にかざされた。44口径の銃口が微動だにせず、ジュリアスに向けられている。
「好きな方をくわえろ。生きるか、死ぬか。自分で選べ」
 ジュリアスは、ごくりと生唾を飲み込んだ。
 

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