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「ジュリアス・アルバート・マークモーディという人を捜しているんですが」
 ポストオフィスの窓口で、亜麻色の髪の青年はそう尋ねた。
 青年と呼ぶにはまだ顔は幼かった。歳は十八歳になったばかりで、骨格はしっかりとしていたが、さほど筋肉もついておらず、どちらかと言えば華奢な体つきをしている。
 やや目尻の垂れた優しげな顔と、小振りな口元。青い瞳は、ドイツ系アメリカ人である母親譲りである。兄も妹も、この色の瞳を持っている。
「僕はユリアン・ジェイル・マークモーディ。弟です。手紙がいつも、ここのポストオフィスから届くんです。消印も……ほら」
 ユリアンは窓口の老人に封筒を見せた。現金を送付することのできる封筒に、このポストオフィスの消印があった。
「……」
 老人は黙りこくっていた。チラチラと周囲の様子を窺いながら、視線を宙に泳がせている。どこか落ち着かない様子で、手元の郵便物を速く処理してしまおうとしていた。
 老人の返答がないのは説明が足りないせいだと思ったユリアンは、更に言葉を続けた。
「住所がよく替わるとかで、教えてもらえないので……実家からの手紙も、このポストオフィス宛てに送っています。ちゃんとそれは兄に届いているようだし、ここに取りに来ていることは間違いないんです。おわかりになりませんか?」
「悪いが、存じ上げませんな」
「そんなこと、あるはずが……だって、もう八年も手紙をやり取りしているんですよ? しかも、兄が送ってくれるのは現金だ。ほとんど毎月、郵便をここから出してるんです。それに、手紙を受け取りにも来てるはずなんです。歳は今、二十七で。ブロンドで、僕と同じ青い目をしていて……」
「失礼。仕事があるもので」
 窓口の老人はサッと席を立ってしまった。奥の方へ行って、戻ってくる気配もない。
 ユリアンは諦め、脱いでいた帽子を被ってポストオフィスを出ようとした。その時、不意に背後から、
「どこで聞いても同じだと思いますよ」
 と、声が聞こえた。窓口の誰かが言ったらしい。
「どういう意味ですか?」
 ユリアンは尋ねた。しかし、答えは返ってこなかった。
 気のせいか、中にいる客も自分をジロジロと見つめ、興味深そうに小声で話しているようだった。ユリアンが顔を向けると、慌てて顔を背ける。
 仕方なく、ユリアンは町の中へ出て行った。
「困ったな……ここで聞けば絶対にわかると思ったのに」
 途方にくれて、ユリアンは俯いた。
 やはり、兄に黙っていきなり来てしまったことが間違いだった。驚かせてやろうと思ったのが裏目に出てしまった。
 とりあえず今日はホテルに宿泊し、明日また行動しようと、ユリアンは歩き出した。サルーンや雑貨屋を回れば何かわかるかもしれない。信心深い兄のことであるから、教会にも顔を出しているだろう……。
 そう考えつつ、とぼとぼと歩くユリアンに、横から声を掛ける者がいた。
「よぉ、あんた、さっきポストオフィスにいた奴かい? マックモーディさんだっけ?」
 驚いてユリアンが顔を上げると、そこには体格のいいアッシュブロンドの男が立っていた。年齢は、三十代半ばぐらいだろうか。
「ええ……そうです。兄を捜しているんですが……」
「ジュリアスだろ? 知ってるぜ」
「えっ、本当ですか?」
ユリアンは仰天した。ポストオフィスであんな対応をされたというのに、通りすがりの者が兄を知っているという事実に色めきたった。
「ここ、デンバーには住んでない。ちょっと離れた小さな町だ。馬ですぐだから、連れてってやるよ」
「ありがとうございます! え…と……」
「スコットと呼んでくれ。じゃ、行くか。用意しな」
 スコットはユリアンを促し、ニヤリと笑った。


 屋敷に着いた時には、日はとっぷり暮れていた。
 ユリアンは馬を降りながら、溜め息混じりに言った。
「大きなお屋敷ですね……ジュリィとどういう関係の人が住んでるんですか?」
「鉱山の権利を持つ名士さ。ジュリアスにとっちゃあ……ま、雇い主みたいなもんかな」
「砂金の採掘をしてるって、八年前に手紙をくれたけど……」
 ユリアンは記憶を探った。確かその頃は、まだ便箋に流麗な文体で手紙を書いてくれていた。ところがそれから二年後、急に郵便物の中から便箋が消えたのである。
 母も妹も、ジュリアスが怪我でもしたのではと心配していた。しかしそうなってから何年も経つと、手紙を書くのが面倒なぐらい忙しいのだと慮るようになった。
 それをユリアンはスコットに尋ねてみたが、スコットは軽く鼻で笑っただけだった。
「まあ、行けばわかるさ。この中にジュリアスはいる」
 スコットは馴れ馴れしくユリアンの肩に手を回し、半ば強引に、屋敷の門をくぐった。
 ユリアンは部屋に通され、そこでこの屋敷の主人とも言うべき男と対峙した。
 デッドマンだ、と名乗ったその男が、血の繋がった兄を家畜のように扱っているのだとユリアンが知るのは、十五分ほど後のことである。
「ジュリアスの弟か。ずいぶん歳が離れてるんだな」
 射抜くような鋭い目で見据えられ、ユリアンは少したじろいだ。鼻の下と顎に黒い髭を蓄えた、初老の男。筋肉の隆起はシャツの上からでもわかる程だったが、均整のとれた体格のため、痩せて見えた。
「あ、はい。ジュリィとは十歳離れていて……」
「十歳か……それじゃあ、戦争の時はまだガキだな。ガキの頃にシャーマンの野郎に家を焼かれたのは辛かったろう」
「そうされたのは、うちだけじゃありませんから。ジョージアの人間はみな、地獄を見ています。うちは農場ではなかったので、家だけですみましたが……他のところは……」
「見渡す限り一面の綿花畑が焼き払われたのを見たことがある。何年も夢に出てきたぜ」
「こちらは……みなさん、南部の方なんですか?」
「そうだ。まあ、ここにいるのは全員じゃねえがな。みんな、似たようなもんさ」
「あの、ジュリィは……こちらで働いてるんですか?」
 痺れを切らしてユリアンは尋ねた。ジュリアスの姿が見えない。
 部屋の中にいるのはデッドマンと、自分を連れてきたスコット。そばかすのあるブロンドの若い男テッド。そして、部屋の隅のテーブルでコーヒーを啜っている、デッドマンより老けて見える男だけだった。名乗ってはいないが、デッドマンがドクターと呼んでいた。そのドクターが、ユリアンの方を見ずに言った。
「ジュリアスは病気だ。部屋で休んでいる……」
「えぇっ!」
 ユリアンは驚いた。スコットはそんなことを一言も言いはしなかったからだ。
「会わせてください! ジュリィに……」
「会いたいか?」
 デッドマンが椅子から立ち上がった。その時、ドクター・オネイルが片手で顔の上半分を覆ってがっくりと項垂れたのを、ユリアンは見逃さなかった。
「そんなに……ひどいんですか?」
「まあ、会ってみりゃわかる。自分の目で確かめな」
 そう言うと、デッドマンはスコットとテッドと共に、ユリアンを二階へと促した。
 さりげなくスコットとテッドが自分の両側に立ったことに、まだユリアンは気づいていなかった。


 ジュリアスは仰向けのままベッドの中で両膝を立て、天井を見つめていた。
 両足を伸ばしたくても伸ばせない理由があった。先ほど、テッドがやって来てロープで足をがんじがらめに縛ったのだ。片足ずつ、膝を曲げた状態に固定された。太腿と脛にロープが食い込み、紫色の痣を作っている。
「ゴホッ…ゴホッ……」
 横を向いてジュリアスは咳き込んだ。血の味が喉の奥からこみ上げてくる。
 自分のことで、医師のスチュアート・オネイルとデッドマンが言い争っていたことを思い出す。サナトリウムにジュリアスを移すかどうかの話し合いだった。
 しかし結局、自分がいまここに寝ているということは、スチュアートの言い分は通らなかったのだろう。当然だとジュリアスは思った。
 しかし、肺病が発覚してからというもの、デッドマンは人が変わったように穏やかになった。相変わらず口は悪かったが、暴力を振るうことはなくなった。ジュリアスを優しく抱き、労わるようにキスをした。
 そのことが、ジュリアスのひび割れた心を少しだけ癒していた。
 もう、自分の役目は終わったのだ……ジュリアスはそう思っていた。後は運命に逆らわず、黙って死を迎え入れるだけだ、と。
 その時、不意にドアが開き、デッドマンが顔を覗かせた。
 ジュリアスは思わず微笑んだ。以前と違い、彼が部屋を訪れるのは苦痛ではなくなっていた。
 しかしその直後、デッドマンの後ろから現れた人物の顔を見て、ジュリアスは凍りついた。一瞬で顔が青ざめてしまったのが、自分でもわかった。
「ユ…」
「ジュリィっ!!」
 遠い日の記憶が、ジュリアスの脳裏に鮮やかに甦った。
 

Violated Mind-03へ続く(全6頁)