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 夏樹はレコーディングスタジオで夕方まで打ち合わせをした後、坂本憲治と待ち合わせた。
 新宿のシティホテルは、憲治が好む密会場所だった。そのために夏樹は、多少は目立たない服装をしなければならなかった。普段の格好では逆に注目を浴びてしまうからである。
 ホテルの一室に着いて憲治と顔を合わせたとたん、夏樹はニンマリと笑った。
 憲治は髪をきっちりとムースで固め、ネイビーブルーのスリムなブランドスーツを着こなしている。熊田のオフィスで会った時よりも血色がいい。無精髭も服装の乱れも無い。ようやくいつもの憲治らしさを取り戻したようだった。
「なにニヤついてんねん。人の顔見て」
「ん~ん、別にぃ~~」
「だいたい自分、俺に一言無いんかい。四谷まで呼びつけておいて先に帰りよってからに」
「あーはいはい、あの時は失礼いたしますた、ゴメンのそい! これでいい?」
「なめとんのか、こら」
「なめてないよぉ~! 舐めて欲しけりゃ金払えっ」
「むかつくわ~。ごっつ殴りたい。ごっつ殴りたい」
 憲治は笑いながらポケットからセブンスターを出し、一本引き抜いて口にくわえた。そのまま火をつけずに、唇で上下に振って弄んでいる。
 夏樹はダイブするように憲治の隣に座ると、クイクイとスーツの裾を引っ張った。
「ねえねえ、今日は時間あるからさ。いろいろ話したいことがあるんだ」
「俺も聞きたいことぎょうさんあるわ。まず、あのリスト。あれ、なんで夏ちゃんが持ってんねや?」
「えっ! いきなりそれぇ?」
「当たり前やがな! おかしいやろ」
 憲治が詰め寄ると、夏樹は少しばつが悪そうに体を左右に振りつつ、アヒルのような口をしてみせた。
「あれはぁー……HAYATOのぉー……パソコンからぁー」
「ああ、もうええわ。わかった。数馬ちゃんがやったんやな」
 納得したように……というよりは最初からわかっていたというような表情で、憲治は何度も頷いた。
「わかってたんなら聞かなくてもいいじゃーん」
「そうやろなー、思てただけや。なんで数馬がしょっちゅうHAYATOと会うてたんかわからんかったけど、それが目的やったんか、あの子」
「あっ、それはたぶん違うと思う……けど、どうなんだろ? 数馬はそこまで全部考えてたのかな……?」
「そこまで全部て、どういう意味?」
「……ねえケンジ。とりあえず答え合わせしない?」
「いうても、俺もわからんこと多いで」
「僕ね、ケンジに聞きたいことがあるんだ。でもその前に、数馬のこといろいろ教えてよ。僕が会ってなかった間のこと」
「……数馬ちゃんなあ。なんや動いとったのはわかってたけどな。聞いても何も言わんし、何より病気がな……」
 憲治は夏樹に、数馬の病状がどれだけひどかったかということを話した。[イーハトーボ]で昏倒し、憲治のアパートに運び込んだものの、白湯を飲むのがやっとだった。無理やり栄養ドリンクやゼリーなどを少しずつ口にさせ、何とか普通に歩くことができる程度までは回復させた。
 しかし、休みを取った竜児と過ごすために自宅に戻った翌日、数馬は再び自室で倒れ、救急車で病院に搬送された。
「その、帰った晩な。HAYATOと会うてたわ。うちにおる時も、電話で何ぞヒソヒソ話しとったしな。店で倒れた日の前の晩も、HAYATOの部屋におった可能性が高い。自分のとちゃう服、着てたみたいやし」
 更に、入院したのはいいがすぐに無断で外出し、一晩戻ってこなかった。そしてその翌日、REVENGEの所属事務所の入ったビルのロビーで事件が起こり……その現場に数馬はいたという。
「もう……めちゃくちゃだなぁ! 死にたいのかなっ、かじゅまはっ!」
「ホンマ……そう思たわ、俺も。けど、聞いても何も言わへんし、何もしてやれんでな……後悔しとんねん」
「そんなのしようがないよ。数馬は基本的に、何も言わないで一人で行動しちゃう人だもん。自分だけの力じゃどうしようもなくなって初めて、誰かを頼るんだからさ。昔から変わんないよ、ずっと」
「わかってる。わかってるけどな……責任感じるんよ」
 憲治は表情を曇らせ、ライターで煙草に火を点けた。
 それを見て、夏樹は少しイライラしたように声を荒げた。
「責任感じてんなら、一緒に考えてよ! どうして数馬はそんなにひどい状態の時に、何度もHAYATOと会ってたと思う?」
「あ? せやからパソコン、クラッキングするためちゃうの」
「あれは副産物だと僕は思うんだよね……」
「何でぇな」
「クマきゅんのところで見せたあのデータは、確かにHAYATOのパソコンから数馬が盗み出したエクセルのデータだよ。契約の有無や、細かい項目があったでしょ?」
「おう。HAYATOが竜ちゃんの携帯から吸い出したデータが元になっとんのやろ?」
「数馬は実はその時点でHAYATOと同じデータを手に入れてたの」
「どういう意味?」
「HAYATOがデータを盗んだってわかってすぐ、数馬も同じことをしたから」
「は? 数馬が!? 数馬本人が竜ちゃんの携帯から? なんでまた……」
「HAYATOがこのデータを手にしたことを知って、目的がわからなかったから一応取っておいたんだって」
「抜け目のない子やな、相変わらず」
「数馬はそれを僕に送ろうとしたの。力を借りたいって話でね。それはけっこう前でね……僕はツアー中で名古屋にいたんだ。その時に数馬から電話があったんだよ。データを受け取れないかって。でも僕、その時はノート使えない状況だったからさ……無理だったんだよね」
「夏ちゃんには何ぞ頼もうとしてたんか……ちと、ジェラシーやな」
「くふふ、日頃の行いの違いでしょ!」
「やかましい。それで数馬は何の目的でそれを夏ちゃんに送ろうとしたんや?」
「うん……その話は後にしていいかな。ちょっと大事なことなんだよね、これに関しては」
 夏樹は眉をひそめ、少し悲しそうな表情を浮かべた。それを見て憲治は、小刻みに頷く。
「わかった。ほな、その話は置いといて……データそのものをすでに数馬が持ってたんやとしたら、HAYATOのパソコンを調べるためだけに何度も会う必要はないわな」
「そう。そこがわからないの。体調も悪いのに、どうしてHAYATOなんかと何度も会ったり、一緒にプロデューサーに会いに行ったりしたんだろ?」
「わからんなあ~」
「もうっ、無責任だなぁ」
「無責任ちゃうわ。軽はずみなこと言えへんやろ! 死にかけて、しかも竜ちゃんと別れてまでドイツ帰ってるんやで?」
「その軽はずみな発言が必要なんだよ、今は! それを期待して来たんだから……」
「ああ、わかった。憶測と邪推やったら、いくらでも言うたるがな」
 開き直るように言い放ち、憲治は火を点けたばかりの煙草を灰皿でギュッと揉み消した。そして大げさに足を組みかえると、言葉を弾き出す。
「脅迫されとったんやろ。それしか考えられへん」
 夏樹はニッと笑って、憲治の胸を拳でパンチした。
「わかってんじゃ~ん」
「アホか。それぐらい想像つくいうねん」
「津村さんもそう言ってる。数馬がHAYATOに脅されてたんじゃないかって。でも何のためかは……」
「音楽プロデューサーとの打ち合わせに呼ばれてる時点で、そっち方面やろ。またバンドやるいう話ちゃうの」
「だから、それが有り得ないんだってば! 数馬に限って……」
「SMプレイで痛めつけられて従うようなタマやないしな」
「……はぁっ? ふざけないでよ! 何言ってんの急に」
 突然の憲治の言葉に、夏樹は眉を吊り上げた。しかし憲治は夏樹の反応に臆することなく言葉を返す。
「ヤッてたで。あの二人。たぶんそういう関係やで。しかも、かなり激しいプレイ。終わった後、立ち上がれんくらいの」
「冗談でしょ。HAYATOが”M”なわけないじゃん! 悪い噂、いっぱいあるんだから! 被害にあった女の子、僕が聞いただけでもたくさん……って、まさか……!」
 夏樹は驚いて憲治の顔を覗き込んだ。憲治は落ち着き払った様子でその瞳を見つめ返す。
「あくまでも邪推やで?」
「うん」
「HAYATOはサドやろ? 間違いないわな、話し方でわかるわ。ゲイとはちゃうやろけど、相手が数馬ならフラッとくるかもしれんわな?」
「な、何を根拠にそんなこと……」
「青いスウェット。数馬が店で倒れた時、着てた服。竜ちゃんいわく、数馬のもんとはちゃうかった。しかもそん時、普通にジーンズがそばに置いてあってな。なんで自分のジーンズ穿かんでスウェットやったんか考えたら、自然とそういう答えなったわ。それにあの日、腕がまともに上がらんかったみたいやしな。緊縛や、緊縛!」
 立て板に水といった調子でまくし立てる憲治に、夏樹は圧倒されてしまった。
「はうう……確かに、絶対にないとは言えないかも……」
「まあ、あのHAYATOがそれだけが目的いうこともないやろし、他にも何ぞあったとは思てたけどな」
「ふにゃ~~……」
 実際、それを否定できない材料として充分なほど、隼人に関する粗暴な噂はよく耳に入ってきた。SMプレイで彼に怪我をさせられた女性も多いと聞く。インターネットの掲示板などでも、ファンが書き込みをしているほどである。
 ゲイだという話は聞いたことがないが、憲治の言う通り、数馬だったら理解ができるような気もする。
「はあぁ……数馬は無理やりされるの大嫌いな人なのに……」
 夏樹は真っ青になって肩を落とした。
「受け身にはノリノリでなるくせに、後が怖いわな」
「ぬふっ、おにーさん、身に覚えがあるようだねぇ」
「俺らテレコ、テレコやもん。俺が好きにさしてもろたら、次に会うた時は向こうが、いう感じで暗黙の了解いうか」
「そんな恐ろしいことよくできるね!」
「最近、脳細胞ヤバなってきた気ィすんねん」
「冗談に聞こえないよ……。実際、精神にクるからさぁ……。あの人、されてる時は気持ち良さそうにしてても、後で必ず報復してくるんだから。本人はそれ楽しんでるようなとこあるし……って、そんな話は今は関係ないじゃん!」
「関係あるがな。もしHAYATOに脅されてたんやったら、復讐したいやろなぁ……思てな。まあ性癖のことを抜きにしてもや。本人が病気でできひんなら、夏ちゃんが代わってやったったらええ」
「うん……。本当にそうだったらね……。でも実際、そうとしか思えない状況証拠が揃ってるのかぁ……。あんな奴に何度も、そんなこと……」
「そこまであの子に言うこと聞かせるいうのは、よっぽどのもんを弱みとして握ってたいうことやろな」
 そこまで言って、憲治は貝が閉じるように口を噤んで沈黙した。
「……ケンジはそれが何かわかるの?」
 上目遣いで憲治を凝視しながら、夏樹は尋ねた。
 憲治は夏樹から視線を逸らし、二本目の煙草を取り出そうとして、また戻す。
「見当もつかんな……」
 明らかに含みのある憲治の言い方に、夏樹は少し逡巡したが、思い切って話し始めた。
「あのね、ケンジ。津村さんがね、数馬のことを話していた時、変なことを言ったの」
「津村さんが? なんて?」
「HAYATOは数馬を脅迫するために、津村さんとの約束を破ってる可能性があるって……」
「…………」
 夏樹は津村が申し出たことをすべて憲治に話した。
『言えない理由がある』……その発言の意味は夏樹には理解ができなかったが、憲治ならわかるのかもしれないと思い、一言一句間違えずに伝えた。
 夏樹の話をすべて聞き終えると憲治は、再びポケットからセブンスターを取り出し、一本取り出して口にくわえた。
「津村さんが言うたんか……そのことを……」
 使い捨てライターがカチッと音を立てた。珍しく、煙草を口にくわえてすぐに火を点けている。
「うん……すごく怒ってた。顔には出さなかったけど……僕、そういうのわかるから……」
 一瞬で場の温度が変わったことを思い出し、夏樹は鳥肌を立てていた。
「津村さんがそのことを言えん理由は、ようわかる。俺に口止めした手前、自分から言うわけにはいかんかったのやな。それほど、あの人は……」
 憲治はいったん煙草の煙を吸い、吐き出す。そして、呟くように言葉を続けた。
「ビデオのこと、闇に葬り去りたいんやろな……」
 白い煙がホテルの部屋にふわりと漂った。

EVERYTHING IS READY - 07へ続く