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憲治が阿佐ヶ谷で車に乗せられて津村のところへ連行された時の話を、夏樹はじっと黙ったまま聞いていた。
隼人の計画でビデオが作られ、ばらまかれたこと。それを津村が回収したこと。憲治がビデオを入手しようとしたところ、手を引けと釘を刺されたこと。そして、この件で隼人も津村に脅されているということ。
夏樹は深い溜め息をついて、しばらくは黙っていたが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。
「AVのことは知ってたよ。そのせいでDLが解散したことも。でも、詳しいことは何も知らなかった。数馬には聞けなかったしね……」
騒動が起こった時、夏樹はライブツアーの真っ最中で東京にいなかった。解散の話は後で聞かされたのだと夏樹は嘆いた。
「それにね、その時、数馬は行方不明で……連絡取れなかった。逃げたんだろうってHAYATOが言い出して……。DLのファン同士でよく集まったりもしてたんだけど、みんな数馬一人に責任押し付けてずいぶん悪口言ってたから……それを聞くのも嫌で、みんなと会うこともやめちゃったんだよね、僕」
連絡が取れなかったのは入院のせいだということを憲治は知っていた。しかし宮本咲也に口止めされているため、それを夏樹に教えるわけにはいかなかった。数馬本人が隠しているのだから仕方がない。
「でも、やっぱりそういう事情だったんだね。加害者であるHAYATOが数馬を嵌めたことを認めたんだね…………」
夏樹の声が震えていた。普段とは別人のような低い声でボソボソと喋っている。こんな彼を見るのは、憲治は初めてだった。
「……ケンジ、僕、シャワー浴びてきていいかな」
か細い声でそれだけ告げると、夏樹はスッとソファから立ち上がり、憲治の顔も見ずにバスルームへと向かった。その後ろ姿に憲治は優しく話しかける。
「今日はお開きにするか? また日を改めてもええんやで?」
憲治に背を向けたまま立ち止まり、夏樹は首を横に振る。
「……ううん、今日話したい。ビデオのこと、どうするかここで決めていく」
「そうか。ほな、話せるようになるまで待つわ」
「うん、待ってて。それに僕、まだケンジに話してないことが一つあるし」
「そやな」
夏樹がバスルームに行くのを見届けると、憲治はスーツのまま、ごろりとベッドに寝転がった。
水音に紛れて激しい叫喚の声が聞こえても、壁を殴りつける音が聞こえても、声を掛けることはしなかった。
シャワーの音は、しばらくの間響いていた。
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きっかり一時間で、夏樹は部屋に戻ってきた。
「やっほー、ケンジも浴びる~?」
いつもの明るい口調だった。バスタオルで金色の髪の水滴を丁寧に拭っている。目は真っ赤に腫れていたが、憲治はそれに気づかないふりをした。
「俺は家帰ってからでええわ。髪、直すの面倒やし」
「ケンジって実は前髪長いよねー! おろすと顔半分隠れて、エロゲーの主人公みたい♪」
「えらい言われようやな……」
煙草の煙をくゆらせながら、憲治は笑った。
目の前にいる青年は辛いことと戦う時はいつもこんなふうにしているのだろう、と推察できた。多感な中学生の頃から芸能界にいるだけあって、気持ちを切り替える方法を熟知している。抱えきれない大きな感情は、手放しているのか飲み込んでいるのかわからなかったが、とにかく自分で完全に処理し終わっている。
初めて憲治は日向夏樹という歌手の凄さを痛感した。ステージに立つ人間のメンタリティというのは、こうやって保たれているのだと悟った。若いのに大したもんや、俺とは大違いやな……と心の中で自嘲する。
夏樹は鼻歌を歌いながら、自分のバッグから取り出した基礎化粧品の類をペタペタと肌に塗りつけた。そして、軽く深呼吸をしながら淡々と話し始める。
「おかしいとは思ってたよ。あの数馬が自分からそんなことするはずないって」
「HAYATOは数馬を嵌めた、言うてたし、津村さんは組の若いのが誘った、言うてた。どっちも本当やろ。HAYATOが計画、若い衆が実行部隊やろな」
「そのせいかな。暴力団関係者の中には、ビデオ見ちゃった人も少しはいてね。数馬が女みたいに可愛いもんだから、内容のことでからかってくる輩がたまにいたよ。みんな数馬に半殺しにされたけどね。その時の数馬は、まるで鬼だったよ。相手が泣いて謝っても絶対に許さなかった。だから僕は数馬にビデオの話をしたことはないんだよ。殺されたくなかったからね」
「そうか……」
「本人的には黒歴史なんだろうなって、軽く考えてた。だって数馬は何も言わなかったからね。だから僕は知らなかったよ。今の今までね。悔しいよね。友達がそんな目に合ってたのに、僕は何も知らずに横にいてヘラヘラしてた」
「そのほうが、数馬ちゃんにとっては有り難かったんちゃうか?」
「そうなのかな……」
夏樹は悲しそうに眉根を寄せて項垂れた。さっき搾るだけ搾った涙がまたあふれてきそうになり、ギュッと唇を噛み締める。
「……昔の数馬はね、物静かで控えめな人だったよ。それが、解散の後はなんていうか……凶暴になった。正直、あんなにケンカが強いとは思ってなかったし、驚いたよ。僕は、その怒りの矛先を向けられるのが何よりも怖かった。だから必然的に、過去の話はしないように努めてたんだよね。そのせいで、そんな大事なことも知らなかったわけだ。それで相棒気取りだったんだから、笑っちゃうよね」
「夏ちゃん……」
「うん、大丈夫、大丈夫。僕、気持ちは落ち着いてるから。ただ、許せないだけ。マルチの会社潰した後は、絶対にHAYATOも潰す」
あまりにも冷静に言葉を紡ぐ夏樹に、憲治のほうが圧倒されてしまった。
「…………」
憲治は吸っていた煙草の火を灰皿で揉み消した。そして、新しい煙草を取り出し、どこか覚悟を決めたような口調で言葉を弾き出す。
「夏ちゃんも俺と同じ気持ち、抱えてるわけやな……あいつに対して」
「そういうこと」
白い歯を見せ、夏樹は無邪気にニッと笑った。
憲治は煙草を指で挟んだまま、ルームサービスのコーヒーを口に含んだ。夏樹がシャワーを浴びている間に呼んでおいたのである。時間は充分にあったので、すでに考えはまとめていた。
「HAYATOの様子、わかるか? 数馬がドイツへ行ってからの」
「弾さんにスパイになってもらってる。逐一、報告してくれるよ。最近は副業のほうは調子いいけど、Takahiroさんと連絡取れなくてイライラしてるって話」
夏樹は肌の手入れを終えると、憲治が注文してくれたオレンジジュースを手に取り、ぴょこんとベッドの上に飛び乗った。
「プロデューサーが刺された事件の前に、HAYATOが何を考えて数馬を仲間にしようとしてたんかはわからん。けど、その目的のためにあのビデオを盾に取った。数馬が従ったのはおそらく、竜ちゃんに見せる言われたからやろ」
「それ、津村さんに伝えるよ」
「津村さんももう気づいてるんやろな。ただ、ビデオの話を広めたない関係上、何も知らん夏ちゃんに自分からその話を振るわけにはいかへん。それで俺に話を聞け言うたんやと思うで」
「HAYATOが津村さんとの約束を破ってるっていうのは、ビデオのことで数馬を脅したりしないってことだよね、きっと?」
「いや、おそらく……所有してることも含めてやろ。手元にはもうあらへん、言うてるはずや、HAYATOは津村さんに」
「なるほどねー。じゃ、マジでヤバイってことだね」
「土下座じゃ済まんかもしれんわなぁ」
「落とし前つけるって言ってたからね。ああ怖い」
オレンジジュースを半量こくこくと飲み、ベッドサイドテーブルにグラスを置く夏樹。怖いと言いながらも笑っている。その顔に書いてある言葉は『ざまあみろ』だ。
「心配なんは、やけくそでビデオのコピーをばらまいたり、竜ちゃんに送りつけたりすることやな」
「死なばもろとも、ってやつだね」
「ほな、先にビデオ回収しとくか」
火の点いていない煙草をくわえたまま、あっさりと憲治は言った。
夏樹は手を叩いてベッドの上で跳ねた。
「HAYATOの部屋から? 家捜しするってこと? わあぁ、さすがケンジっ!」
「俺一人ではできんよ。協力してもらわんと。まずは、一緒に住居侵入するメンバー。津村さんに話通して、何人か回してもらお」
「わかった。それは僕から頼んでみるよ!」
「弾さんの力も借りたい。後で連絡取ってんか」
「わかった!」
夏樹は飛び跳ねるようにベッドから降りると、憲治のほうを向いてビシッと敬礼した。
「言うとくけど、犯罪やで?」
「もちろん承知!」
「……武器は奪っておかんとな。今後のためにも」
「津村さんに話してみる。ビデオさえ奪っちゃえば、もうあいつは何もできないもんね!」
そう言うと夏樹は、オレンジジュースを最後の一滴まで飲み干し、ペロッと唇を舐めた。
*
その夜、夏樹は津村に連絡を取り、憲治とビデオについて話したことを報告した。
津村は夏樹の話を最後まで聞いた後、自分からビデオの件について言い出さなかったことについて謝罪した。
隼人や憲治を始め、様々な人間に口止めしている状況の中で、自分からその話題に触れることはできなかったと津村は言った。
しかし隼人の部屋からビデオを回収する計画については、意外にも津村は難色を示した。
「どうして……ダメなんですか……?」
電話口で驚く夏樹に対し、津村は淡々とその理由を語った。
ビデオがどのような形で保管されているのかわからない。ラベルがついていようといまいと、その場で片っ端から再生し、内容を確認しなければならない……それが一番大きな理由だった。
『私ゃ、あのビデオが数秒でも人目に触れることが許せないんですよ、夏樹さん』
津村の気持ちは夏樹にも理解できた。彼がかつて数馬を可愛がっていたことを考えれば、当然とも言える反応である。
しかし夏樹は引き下がるわけにはいかなかった。なんとか考え直してくれと頼み込む。
「お願いします、津村さん。あのビデオが向こうの手にある限り、数馬は本当の意味で自由になれないんです……!」
『それはもちろん、わかっていますよ』
「このままにしてたら、HAYATOは数馬が日本に帰ってきたらまた同じことをするかもしれない。僕はもうそんなこと許せない。数馬を苦しみから解放してあげたいんです!」
津村はしばらく逡巡していたが、やがて考えさせて欲しいとだけ言って電話を切った。
夏樹は改めて再認識することになった。津村はなんとしても数馬の尊厳を貶めたくないのだと。
*
数日後、津村がGOサインを出したと夏樹に伝えてくれたのは、憲治と柳川だった。
「俺が一人で担当することなったわ。映像の確認」
新宿二丁目のバー[ユリウス]のボックス席で三人は会った。
津村の腹心である柳川が、この件については一任されたという。
「坂本さんは別室でメディアを再生してください。決して音は漏れないように。そして、内容に関しては他言無用、とのことです」
柳川が津村からの伝言を告げる。
「もちろんや。必ず、約束は守る」
続けて柳川は、津村が以前からビデオの回収を考えていたことを二人に伝えた。
一本残らず処分しろという数年前の命令を隼人が破り、まだ手元にビデオを残していたということがわかったのは、最近だという。
隼人本人は未だに津村にはすべて捨てたとうそぶいているが、それが嘘だったことが判明したのである。彼の部屋に出入りしているチンピラを捕まえて締め上げた時、何人かがビデオのことを口にした。
つまり、他人にビデオの存在を明かした上、録画されている内容が数馬にとって不名誉なことであると吹聴した可能性があるのだ。それがわかった時から、津村は回収について前向きではあった。しかし……。
「若いのを集めて回収作業をやらせることに、若頭は慎重にならざるを得なかったんです。中身を見ないというわけにはいかないものですから……本当は自身でけりをつけたいはずなんですが、あれほどの大物になってしまうと、警察や別の組織に行動を監視されているものでして……」
「指定暴力団の若頭が、普通のマンション行ったりしたら、そらぁ目立ちますわな」
「そうだよね……」
「ずいぶん迷っていた様子ですが、坂本さんならと承諾してくれました。三島隼人は回収を恐れて現物は残さず、デジタル化していることも考えられます。坂本さんなら、パソコンの中からそれを見つけることもできるだろうと踏みまして」
「まあHDD漁るぐらいのことは何とか」
「それと、夏樹さんは当日はいらっしゃらないほうが良いとのことです」
「えっ、どうしてぇ……?」
「『夏樹さんは歌を歌うお人で、感受性が豊かでいらっしゃる。そういう悪さをするのには向いていません』とのことで」
「犯罪やからな。夏ちゃんはお留守番しときィな」
「うん……わかった。じゃあ、任せるよ」
不承不承、夏樹は同意した。
柳川は少しホッとした様子で大きく息をついた。夏樹がもっと駄々をこねると思っていたようだ。
決行日に関してはこれから決める必要があったが、大きく前進したことに夏樹は満足していた。
EVERYTHING IS READY - 08へ続く