*
「………………って、盛り上げるだけ盛り上げて、帰りよったでオイ」
嵐が去った後のような感覚に包まれながら、憲治は深い溜め息を漏らした。
「まあ……細かいことは気にするな」
「気にするいうねん」
「いわゆるあれだ。おねむの時間だ」
数分前、夏樹とマネージャーは明日早いからと帰っていった。
「かなわんなあ……もう……」
「アイドルなんだから仕方ないだろう。いつもあんな感じだぞ。宇宙人みたいなもんだ」
「夏ちゃんがここ来るなんて、おやっさん、言うたことあらへんかったやん……」
「ネタを持ってくる奴の情報を口にするわけがないだろう」
「せやけど……かなわんなあ……もぉ……」
憲治はもう一度同じフレーズを口にした。
「まあ、またお前とは改めて話すって言ってたじゃねえか。それはそっちで勝手にやっていいからよ。こっちのほうもちょっと手伝ってくれや」
「……にしても、このリストはホンマにREVENGEのHAYATOのもんなんか?」
「あの男がこんな小狡いことをやって稼いでたとはなあ」
「どうも腑に落ちひんのですよ。あいつはこない、ちまちましたことを好んでやるタイプやあらへん」
「まあ、副業だからな。小遣い稼ぎみたいなもんじゃねえのか?」
「まさか竜ちゃんを拉致したのがHAYATOで、その目的が携帯電話のデータだったとは……」
憲治は章吾から聞いた話を思い出していた。数馬が服も着替えずに飛び出していった夜のことを。
しかし、たかがマルチの会社に紹介するというためだけに、そこまでの危険を犯すものだろうか?
「おやっさん、言うてましたやんか。HAYATOは父親が組長やった関係から、暴力団と関わりが深いて」
「ああ。父親が死んで、組は上位の指定暴力団に吸収されたらしいがな」
「そっちにツテがあるんやったら、リストはもっと別の使い方するんちゃいますの、普通?」
憲治は首をひねった。しかし熊田はそんなことはどうでもいいと言わんばかりに資料を突きつけてきた。
「今はそれは関係ねえことだよ。ナッキー王子はHAYATOの始末は後でいいと言ってる。まずはここの会社のことを調べて、記事を作らねえとな」
熊田と憲治は仕事の流れについて細かく打ち合わせた。
広告塔として契約してしまっているタレント本人に、新聞を買い取るように持ちかける。事務所にバレたくない者は自分で金を工面するだろうし、そうしたくない者は事務所に泣きつくだろう。どの道、新聞は買い取ってもらえるのだから問題はない。金の出所などどこであっても大差はない。
「タレント本人は騙されてたってことに初めて気づくか、あるいは気づいていたが利用されていて逃げたがってるか、どっちかだろう。どっちにしても、縁切りできるなら万々歳ってとこだろうぜ。感謝されるぐらいだろうな」
「リストん中に何人か顔見知りおるんで、俺が取引してもええでっせ」
「頼みたいところだが、お前はHAYATOに目をつけられてるからな、以前のことで」
「まあ……そうですけど」
「弟、危険な目に遭わせたくねえだろ。だから今回は取材と……いや、取材もヤバイな。記事だけ書いてくれや」
「………………」
憲治は黙って目を伏せた。仕事をやっておいて、後からやめさせてくれと言うことになるのも熊田としては迷惑だろう。ここは彼の言う通りにしておくほうが良いかもしれない。
「……で、全員を救い出したら、会社そのものを潰してやればいい。そこらへんは王子がすでに手を回してるようだ」
あっさりと熊田は言い放った。憲治は苦笑しながら、
「やっぱ、あっちの人脈利用しまくりやん」
と、言った。そして、ふと気がついたように言葉を続ける。
「今、気づいたんやけど。なんで夏ちゃんがこの顧客リスト持っててん……?」
訝しげに自分の顔を見つめてくる憲治に、熊田は答えた。
「細かいことは気にするな」
「気にするいうねん」
早いうちに夏樹に詳しい話を聞かなければならないと、憲治は思うのであった。
*
週末、夏樹は津村を訪ねた。
自宅にあまり他人を入れたがらない津村は、下部組織の事務所を指定してきた。何の変哲もない雑居ビルの一室である。
夏樹は黒いベレー帽を脱ぐと、両手で形を整えながら口を開いた。
「例の怪文書屋さんに行ってきました。あの会社のことを記事にしてもらうつもりです」
熊田のオフィスへ行く前、夏樹と津村は料亭の個室で話し合った。その時に、熊田に窓口になってもらうのが一番良いという結論に達した。
「熊田という男は、もともとはうちと敵対関係にある関西の組織の関係者でしてね。いろいろあってそっちとは切れたようなんで、金で引き込んだんですよ」
「そうだったんですか。やっぱりあのおじさん、堅気じゃなかったんだ。そうだと思った!」
「フフ、今度、武勇伝を聞かせてもらうといいですよ。腕っぷしはなかなかのもんだと聞いています」
「うわあ怖い。怒らせないようにしなくちゃ!」
「とりあえず、有名人の方々との話し合いは熊田さんにやってもらうとしましょう」
「はい。ケンジがやってくれるなら、僕の希望と大きく外れた感じにはならないはずだと思います」
「坂本憲治さん。彼は非常に頭のいい方ですからね。ぜひ力になって頂きたいと私も思っていましたよ」
「心配なのは章吾のことなんです。ケンジの仕事のせいで、何度も嫌がらせされてるみたいだから……」
「坂本さんのほうから護衛の依頼があれば、若い者を回しますが……今のところ、依頼はしてきてないようですからね。ご自分で身内を守るつもりなんでしょう」
「僕からお願いするんじゃダメですか? 章吾は友達なんですよぅ」
夏樹は真剣な眼差しで津村を見つめた。しかし津村は、見ようによっては冷淡にも見える、その表情を崩さなかった。
「お兄さんが弟さんを守ると決めているんです。それが彼の生き方なんですよ、夏樹さん。他人が邪魔するのは野暮ってもんです」
「でも……」
「夏樹さん、数馬も同じことなんですよ?」
「えっ、かじゅまっ!?」
いきなり津村の口から飛び出した名前に慌て、夏樹は混乱したように声を上ずらせた。
「まあ、その話は後にしましょう。とにかく怪文書屋が例の会社のことを記事にする。そして関わっている有名人の方々がみんな契約を打ち切る。その間に我々は裏のほうの取引先を押さえて、ブツを仕入れられなくする。ここまでは早急にやってしまわないとね」
「あ……は、はい、お願いします。あっちのほう、早くどうにかしないといけないし。あの、ええ、僕、頼まれてるからっ」
急にそわそわし始めた夏樹を見て、津村は苦笑した。
「フフ、数馬の名前を出したとたん……」
「ふぇっ!? あ、あうあうぁ、だ、だってぇ……」
津村に笑われ、夏樹はわかりやすく慌てふためく。
「実はね、夏樹さん。私のほうからも夏樹さんにご報告がありましてね。数馬のことで」
「ななな、何か調べたんですかっ!?」
心臓が早鐘を打つのを深呼吸で治めつつ、夏樹は身を乗り出して津村に問いかけた。
「若い者が、三島隼人のところに出入りしているチンピラを捕まえて締め上げましてね。いろいろ吐かせました。三島隼人は何度も数馬を自分の部屋に呼びつけていたようですね」
「信じられないなあ……。あの顧客情報は数馬がHAYATOの私物のパソコンから盗んだデータだっていうから、部屋に行ってたのは確かなんですけど……でも、おかしいんですよね。仲いいわけないんだもん」
「夏樹さんはそう言うと思いましたよ。私も同じ考えです。しかし事実、数馬は何度も奴の部屋に通っている。チンピラどもが証言しています。そして、プロデューサーとやらにも三島隼人と一緒に会いに行っている。不思議なことばかりです」
「う~~~ん………………」
夏樹は腕を組んで考え込んだ。
人付き合いが苦手な数馬が、目的もなく友達以外の人間とつるむわけがない、と夏樹は思っていた。
あの虎ノ門のビルで起こった殺人未遂事件の現場に数馬がいたということは、ダンから聞いて知っていた。俺を辞めさせてその人をREVENGEに加入させようとしたようだ、とダンは言った。が、夏樹はそんなことがあるわけがないと言った。
数馬はDark Legendに在籍していたことさえ決して自分からは語らない。作曲は続けているものの、過去はすべて封印しているし、誰かに音楽経験について尋ねられても、本当のことは言わずに隠している。
夏樹でさえ、Dark LegendのCDで長い間所有していないものがあった。昔、一度だけ欲しいと数馬にせがんだことがあるが、聞き入れてはもらえなかった。
――お前の力を借りたい。うまくいったら……お前がずっと欲しがってたもの、やるよ。
ツアー中にかかってきた電話で、夏樹は彼にそう言われた。
ツアーが終わり、東京へ戻ったら話をするはずだった。ところが夏樹が東京へ戻った時、数馬はすでにドイツへ発った後だった。
章吾を通じて受け取った数馬からのプレゼントの中身は、Dark LegendのCDだった。
同梱されていたCD-ROMの中に、顧客情報などのデータと、数馬からのメッセージテキストが保存されていた。それを読み、夏樹は彼がやり残したことを引き継ぐために動き出したのだ。
「どう考えてもおかしいですよ。宇宙最後の日が来ても、数馬がHAYATOともう一度バンドやりたいなんて0.1秒だって思うはずない」
「チンピラの話では、数馬はいつも不機嫌だったようですね。三島隼人の部屋に入る前に所持品をチェックして、ナイフなどは外でチンピラが預かっていたそうですが、いつもそのことに苛立っていたと」
「やっぱり、好きで行ってたんじゃないんですよ。もしかしたら……いや、たぶん竜児さんのことで何か……」
「あの子の性格を考えれば、そういうことでしょうね。三島隼人が何らかの形で田島竜児さんが困るようなことを持ち出し、数馬を脅していた……そう考えると辻褄が合いますね」
「もう~~、卑怯だなあ! 相手の大切な人を人質に取るような真似……」
「夏樹さん」
夏樹の言葉を遮るように、津村が口を開いた。
「は、はい?」
「それが他人を従わせるための鉄則です。相手の弱点をつくのは当たり前。みんなやっていることです。私らだってそうしますよ。三島隼人のやり方はセオリー通りです。そのことに腹を立てる筋合いはない」
「あ、いや……そういう意味じゃ……」
「数馬自身が何度も三島隼人の部屋に自分から足を運んでいるわけですから、相当の弱みを握られていたと思われます。しかし、仮にそれが田島竜児さんに危害を加えるとか、そういったことで脅迫されていたのだとしたら……そうなるのは、数馬の自業自得なんですよ」
「そ、そんな……」
「田島竜児さんのような立場の人を親友に持ち、彼の身を守ると決めているなら、脅迫を受けたりするのは当たり前でしょう。あの子も、それぐらいのことはわかった上で行動しているはずです」
「それは……そうですけど……」
「以前、ゆかりがやらかした事件を夏樹さんも忘れていないでしょう。田島竜児さんと彼の家族の平穏な暮らしを守るために、数馬はその身を投げ出した。それはあの子自身の意志ですから尊重すべきです」
「でも、あの時は僕がいろいろ……」
「私はあの時、一切口出しをしなかった。それは数馬がちゃんと報酬を受け取っていたからです。たとえ人質を取られていたとしても、報酬を受け取ればそれはあの子の仕事です。もっとも、坂本憲治さんの弟さんの監禁は私の与り知らぬところでしたので、彼らに対しては申し訳なく思っています。あとは大怪我をさせてしまった田島竜児さんに対しても……。しかし、妹が数馬の頭脳に惚れ込んで、仲間に引き入れるためにあの子の弱点をついたのは、当然のことだと思っています」
「あうう~~、あ、あの時の話はぁぁぁぁ」
津村の言葉に、夏樹は力なく項垂れた。あの時の事件に関しては未だに責任を感じているのだ。
「とにかく、数馬がそうやって生きていくと決めたのなら、そのことに我々が介入することはできません。どんなに馬鹿げているように見えても、それがあの子の選んだ道ですからね。さっきお話しした、坂本憲治さんと同じだというのはそういうことですよ」
「うう……」
ぐうの音も出ない。夏樹は返す言葉も無く、ソファで縮こまっていた。
津村の言うことは正しかった。竜児と暮らしている以上、数馬が芸能界の闇の部分に巻き込まれていくのは当然である。田島竜児は芸能界で最も力を持つプロダクションの跡取りなのだ。
そんな竜児のためなら、自分の自由さえも喜んで差し出すのが石黒数馬という男である。夏樹は、かつて自分が所属していた事務所が起こした事件を思い出し、鼻白んだ。
必然的に起こるべくして起こった事柄に関しては自己責任。他人が親切心で手を差し伸べてやる必要はない。今回のことも、隼人が自分の利益のために数馬の弱みを突き、数馬がそれを受け入れたということであれば、そのこと自体に問題などない……津村の言っているのはそういうことだ。
「ごめんなさい、津村さん……僕、何もわかってなかったです。津村さんのことも、頼りすぎちゃってました……」
夏樹は悲しげな表情で、津村にペコリと頭を下げた。
すると、津村はなぜか声を微かに震わせながら、次の言葉を弾き出した。
「しかしね、夏樹さん。三島隼人は数馬を従わせるために……私との約束を破っている可能性があるんです。そうだとしたら話は別ですよ」
「えっ? 約束? 津村さんがHAYATOと? そんな話、僕は初耳ですよ? それって、どういう意味ですか?」
「私の口からは話せません。言えない理由がある。坂本憲治さんと話してみてください」
「ケンジならわかるってことですか?」
「私がそう言っていたとお伝えください。そして、坂本憲治さんがどう思うか、どう考えているか、聞いて私に伝えてくれませんか」
「珍しく、ずいぶん回りくどいことをするんですね……津村さんらしくない気がします」
「察してくださいよ。私らの仕事は意外と融通がきかないもんなんですよ」
「わかりました。その件はケンジと話します」
「お願いしますよ。……もし、三島隼人が私との約束を破ったのなら、その時は、こちらで落とし前をつけますよ」
周囲の空気が一瞬で変わった気がして、夏樹はブルッと震え上がった。
「ぼ、僕も、いろいろ考えてみます。HAYATOの尻尾をつかめるように」
「先入観で動いてはいけませんよ。無理も禁物です。ゆっくりでもいいから、確実な証拠をつかむことです」
「ありがとうございます、津村さん!」
力強くそう言った夏樹の顔を見つめ、津村は穏やかな笑みを浮かべた。
EVERYTHING IS READY - 06へ続く