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「もしもし? 俺、REVENGEのHAYATOっスけど」
自宅リビングのシャンデリアの下で、HAYATOこと三島隼人は立ったまま携帯電話を使っていた。
部屋をウロウロと歩き回りながら話すのが癖なのだろう。そう思いながらダンはフローリングの床であぐらをかいて、隼人の電話が終わるのを待った。
「あっ、先日の……そうっスか! フフッ、そりゃあよかったですね」
伸びてきた髪を後ろで束ねているが、前髪が結び目まで回らずパサパサと落ちてきてしまう。それを鬱陶しそうに手で掻きあげつつ、隼人は喜々として話を続けた。
「へへっ、やっぱあのリスト、役に立ってます? そりゃー、芸能界の大物揃いですからね。ああ、いえいえ、俺はほら、例の件でお世話になってるんで別にいいんスよ。ハハッ、そういうこと! またよろしくお願いしますよ……」
初めて隼人に会った時、ダンはその存在感と歌唱力に圧倒された。こんな男の後ろでベースを弾けることが嬉しかった。しかし付き合いが長くなるにつれ、隼人に対する評価は少しずつ下がっていった。どれだけ歌が上手くても、どれだけファンを魅了しても、この男には人間として大事なものがいろいろ欠けていたからである。
そんな隼人との間にいつしか溝ができ、ダンが秀一と友情を深めていったのは当然の結果だった。
「クククッ、田島竜児様様だよなァ……」
通話を終え、ニヤニヤと笑いながら携帯電話をテーブルの上に置くと、隼人はそこにいるダンを見下ろして言った。
「暇そうだな。何か手伝わせてやってもいいぜ?」
「俺なんか何の役にも立たん。ベースを持ってようやくそれなりに役に立つ程度だ」
「音楽一本で食ってくのはなかなか難しいかもよ? シュウちゃんみたいなことになったら、一生どーしようもねーもんなァ……クハハハハッ」
「シュウの話はやめてくれ、三島。俺も忘れようとしてる」
「三島ァ? 三島……さん、だろォ?」
「……悪かった。三島さん」
「フハハッ、冗談だよ。何? ちょっとイラッとしちゃった感じ? ま、一応お前のほうが年上だからよ。そのへんは考慮してやるって」
可笑しくてしようがないという顔でダンを見つめて笑う隼人。ソファにゆっくりと腰を下ろし、両足を前に投げ出す。
「こないだの話。考えたかよ?」
「まだ迷ってる。もう少し考えさせてくれ」
「意外と優柔不断なんだなァ。もっと決断力あるかと思ってたんだけどな」
「先方に気を遣ってるんだ。俺の名前はお前たちより印象が悪い」
「フフッ、そうだったっけなァ」
隼人は含み笑いをした。
秀一の事件がきっかけで、ダンは事務所の中でも立場を失いつつあった。『弾さん、オレ、やっちゃった』という秀一の言葉のせいでもあった。二人が共謀して松浪杏子の殺害を企てたのではないかという疑いさえ持たれた。実際、事情聴取ではその部分を最も強く追及された。
そんな状況下で、ダンは隼人の前に平伏してきた。ダンの首が辛うじて繋がっているのは自分の口利きのおかげだと隼人は思っている。当然、彼はその見返りをダンに要求した。今まで自分を見下してきた相手を貶めることは、隼人のような男にとっては至上の喜びだった。
復帰後の秀一とダンの移籍の話が水面下で進んでいることなど、隼人は知る由もなかった。
「まァ、別にお前じゃなくたっていいんだよ。な、お前、芸能界に人脈ねーのか? 誰か紹介してくれよ」
「俺の交友関係の狭さは知っていると思っていたが」
「フフッ、そうだよなァ……お前みたいなお堅い奴、誰も相手にしねーよな」
隼人は鼻で笑い、嘲るようにダンの顔を一瞥した。
直後、ダンは思い出したように言葉を弾き出した。
「そう言えば……日向夏樹がお前に会いたいと言っていた気がするな」
驚いて隼人は身を乗り出した。
「日向夏樹? お前、あいつと知り合いなのかよ?」
「そうだが……悪いか?」
「いや、ちょっと意外だったからよ……あいつよォ、インディーズの時から俺らのバンドのファンなのよ。昔はよくライブハウスに来てたんだぜ」
「そうらしいな。ヒロの話もしてた。近々、連絡でもあるんじゃないのか?」
「フーン……あいつがねェ……ここんとこ、あんまり話してねーけどなァ……ちょっと、こっちから電話してみるか」
少し訝しんだように首を捻りつつ携帯電話を手に取った隼人をじっと見つめ、ダンは無表情のままノンアルコールビールを飲み干した。
*
「んふふ、元気そうだねー、HAYATOさん♪」
タレのついた生肉を網の上にポンポンと置いていきながら、夏樹はニッと歯をむき出して笑った。
二人きりで会うことなどほとんど初めてだというのに、夏樹は嬉しそうに隼人の顔を見つめて笑った。まるで、親友に向けるような笑顔だった。
そんな屈託のない夏樹に対し、隼人は喧嘩でも売るような態度で言葉を返した。
「そりゃあ、仕事してねえんだから元気だろうよ。疲れることがねーからな」
「でも普通はさ、活動自粛で家にこもってたら落ち込んだりして、元気じゃなくなるんじゃない? だから凄いなーと思ってさ」
「てめー、バカにしてんだろ俺のこと」
「違うよぉー。誉めてるんだよぉー。はい、これ焼けてるよ」
網の上のカルビをトングでつかみ取って隼人の取り皿に乗せていく。乗せるとか置くとかいうよりは、投げるという感じだ。もともと夏樹には、こういうがさつなところがある。二十代半ばになるというのに、中学生の頃とちっとも変わらない。
「なァ」
「なーに?」
「お前、どうして俺に会いたいとかダンに話してたんだよ?」
「えっ、おかしい? だってシュウくんがあんなことになって、みんな大変だと思ってさ。焼肉ぐらいおごってあげやうって気になるの、当然でそ?」
「そんなふうに思うほど仲良くねーだろうが。俺はてっきり、俺だけに何か秘密の話があるんじゃねーかと思ったんだがなァ」
「どーして?」
「孝弘はどうして誘わねーんだよ? あいつだって昔からの馴染みだろォ?」
「誘ったほうがよかったかなぁ? まだ立ち直ってないみたいだって、弾さんから聞いてたから悪いと思ってさ」
「立ち直ってねーからこその焼肉じゃねーの?」
「そっかぁ……気がつかなかったよ。じゃ、これから呼ぶ?」
「いや……いいだろ、別に」
隼人は夏樹の顔から視線を逸らし、肉を食べ始めた。
頭をくるむように大きなバンダナを巻き、その上からキャップを被っている。服装はというと、オーバーサイズの黒いスウェットセットアップ。胸のあたりまで届くチェーンネックレスのトップには、ごてごてしたデザインのペンダントがぶら下がっていた。
夏樹は夏樹で、ブルーのジーンズ以外は茶色と緑が混ざったような色の服を身に着けていた。かつて米軍が使用していた戦闘服や車両の標準塗装色である。ジャケット代わりに羽織っている野戦服や、その左胸に縫いつけられた[U.S.ARMY]という刺繍のワッペンなども、夏樹を知る者にとっては珍しいものではない。
二人とも、一見するとどこにでもいるストリート系ファッションの若者だった。現在彼らが話をしているのは焼肉店の個室であったが、普通に客が大勢いるホールにいたとしても、服装だけを見ればそれほど目立ちはしないだろう。
しかしラフな服装をしているというぐらいでは、二人の持つ派手なオーラは消えない。それがプロのロック・ヴォーカリストの真価ともいうべきものだった。
「ね、ね、こうしてごはん食べるの久しぶりだねー」
「初めてだろ?」
「二人きりではね。みんな一緒ではよく食べたじゃん。ライブの後とかさ」
「ああ、昔の話か。メジャーデビューしてからは、そういう機会もなかったからな」
「また、ちょくちょく食べようよ。今度はTakahiroさんたちも誘ってさ」
「よせよ。シュウの野郎がいなくなったREVENGEのメンバーで集まって焼肉なんて、人に見られたら何書かれるかわかったもんじゃねーや」
「アハハハハ、それもそーだねっ」
二人はひとしきり昔話に花を咲かせた。
REVENGEの前身であるインディーズバントDark Legendのライブに夏樹が足を運んだことがきっかけで、彼らは出会った。
何度もライブハウスで会ううちに、夏樹はライブ後の打ち上げなどにも呼ばれるようになった。当時はまだ未成年だったので居酒屋には付き合えず、食事だけでバンドメンバーとは別れていた。夏樹はすでにアイドルとしてデビューしていたが、最初は誰もそのことに気づかなかった。
「あん時はびっくりしたなァ……お前のポスター、ショップに貼ってあるの見つけた時はよ」
「あーっ、その話聞いたことある! 数馬もその場にいたんでしょ?」
「数……そうだったかな」
隼人は急に言葉を濁した。
夏樹はキョトンとしてその理由を尋ねた。
「どーしたの?」
「……いや、何でもねーよ。忘れちまったわ」
首を横に振りながら隼人は顔を背けた。数馬の名前が出たことに関して、何か思うところがあったようだった。待ってましたとばかりに夏樹はその話題に便乗しようとした。
「数馬と最近会った?」
「ンなこと聞いてどうすんだよ……っていうか、聞いてんだろ何か。あいつから」
「えー、数馬からぁぁ? 何も聞いてないよぉ」
夏樹はとぼけた。
隼人は信じられないというような顔でチッと舌打ちした。そして突然、声をひそめて身を乗り出した。強引にでも数馬の話から遠ざかりたい様子だった。
「なァ、ナッキーよォ」
「なーに?」
「はっきり言えよ。今日、俺を誘った理由。買いたいもんがあんだろ?」
「何の話?」
「とぼけんな。もう耳に入ってんだろ?」
「何も聞いてないけど?」
「ホントか?」
「ホントだよぉ」
「フン、まあいい。買いたかったら回してやってもいいって話よ」
夏樹は少し黙り、じっと隼人の目を覗き込んだ。そしてすぐに申し訳なさそうに愛想笑いをした。
「僕にはよく意味がわかんないんだけどさ~。必要になったらその時は声かけるよ」
「そうか」
隼人は興味を失ったように体を引き、つまらなそうな面持ちで背もたれに寄りかかった。
彼の機嫌を損ねたと思ったのか、慌てて夏樹が話を続けた。
「ごめんってばぁ。最近、事務所の目が厳しいんだよ」
「そうだろうな。うちと違って大手だからな……扱いも違うだろうよ」
「あーっ、嫌味に聞こえるそれ!」
「嫌味に決まってんだろーが。バーカ」
「どういうルートで仕入れてるの? 組関係?」
「さあな」
「HAYATOさんって確か、もともと家がそっち系……」
「うるせーな、どうでもいいだろうがよ」
隼人はふて腐れたように舌打ちをして、これ見よがしに溜め息をついた。
*
「……………………」
「くはー」
「…………」
「ほわー」
「さっきから何しとんねん」
胸板に顔を埋めてくる人物の額をペシンと指で弾き飛ばす。
「ぬわー……やめてぇぇ……今、ヒットポイント回復してるとこなのにぃ……」
デコピン程度ではどいてくれない友人を見下ろし、坂本章吾は呆れ果てた様子で肩をすくめた。
自室の畳の上であぐらをかいている章吾にギュッと抱きつきつつ、夏樹は章吾の腕や胸をペタペタと触りまくっていた。
「今日は、すっごーい嫌な奴とごはん食べてたからストレス溜まっちゃってさー。癒やされに来たんだから黙ってハグされてて~~……」
「アホか。ここはアニマルカフェちゃうねんぞ」
「似たようなもんじゃん! くはぁ、筋肉筋肉ぅ~♪」
「胸を揉むな。アハン……って、アホかっ!」
「すりすり……はあ……少し落ち着いたぁ」
「自分、ようマネージャーさんが見てる前でそういう真似ができるもんやな」
少し困惑しながらも、章吾はいつものようには邪険にできずにいた。
夜遅くとはいえ、友人がいきなり手土産持参で家を訪問してくれたことに、多少の嬉しさは感じていたからである。
「僕、可愛がられないと死んじゃう病だから。アキちゃんだけじゃちょっと足りないんだよ」
「うわ、マネージャーさん、めっちゃ頷いてる」
「そういうわけだから、もうちょっと抱っこ~!」
「自分、猫みたいな顔しとるくせに、こういうとこは犬っぽいんやな」
「章吾は犬派? 猫派?」
「まあ……どっちかいうたら犬かなぁ」
「じゃあいいじゃん。犬だと思っていい子いい子してよ」
「芸でも仕込んだろか。はいお手!」
「さぁーてと、そろそろ帰るかぁ」
「早っ! 人間に戻るの早っ!」
「コーヒーご馳走さま! お菓子はケンジと二人で食べてね~」
「兄やんの帰り待つんちゃうん?」
立ち上がって身支度を整え始めた夏樹を見て、章吾は不思議そうに尋ねた。てっきり自分ではなく兄と話すために来たのだと思ったのである。
「もう用は済んだもん。フリーおっぱいを堪能するためでしょ、それから……」
「誰がフリーおっぱいやねん」
「章吾に誕生日プレゼントを持ってきてあげたんだよ。さっき渡したそれ、使ってよね」
「うん、まあ、これは……おおきに。嬉しいけども」
「トレーニングに行く時とかさ、ジョギングとかする時は必ず装着してね! 距離とか速度とか消費カロリーとかデータ管理できるし。筋肉芸人の必需品でしょ」
「誰が筋肉芸人やねん。……ってか、ひとつええかな」
「なにー?」
「オレの誕生日、五月やねんけど」
「まあまあ、いいじゃん別に。じゃ、それ、ちゃんと使ってね。高かったんだから。絶対だよ!」
「わかったがな。小型やし、肌身離さず持ってるわ。それでええんやろ?」
肌身離さず、というところを強調して章吾は言った。
「……わかってんじゃん」
そう言うと夏樹は軽くウィンクしてみせて、坂本家を後にした。
夏樹たちを見送った章吾は、ぽつりと独り言を呟く。
「何でも従うっちゅうねん。約束……したもん」
EVERYTHING IS READY - 04へ続く