「ああ〜、ヘルメット、きちんと被っててよかったわぁ〜〜〜」 みるみる迫る地面を見つめながら、そんなことを思う。
「あははっ、ワシ、天才」 そう呟きながら立ち上がろうとした彼の背中に衝撃が走った。 「ぐうっ!」 激痛で、ジキルは体を二つに折った。土の上に膝をつき、跪くような形になる。 「例のもの、ちょうだい。命まで取らないヨ。おとなしくしてネ」 たどたどしい日本語が頭の上から降ってきた。
「な…何のことやら、わからんなぁ」 今度は腹を蹴り上げられる。漫画のように宙を舞い、仰向けに倒れ咳き込んだ。 「ひ、人違いや」 腹を押さえながら、よろよろと上体を起こす。
「あれをオマエが持ってることは知ってるヨ。オマエが仕事を頼んだヤツが口を割ったからネ」 どうやらこの男が首領格らしい。他の男たちとは身なりが違う。 「人の商売の上前はねる気かいっ! てめーら、ろくなもんやあらへんなぁ!」
相手の人数が増える前に、何とかこの場から逃げ出さなければならない。ジキルは考えを巡らせた。
「逃げても無駄ヨ。オマエの家知ってるから。可愛い女のコいるねえ。あのコは高く売れるヨ」
脇腹を蹴り上げられた。
「だからこうして、こんなところでお話してるのヨ。あんな可愛いコ、巻き込みたくないヨ。ネ。だから、ちょうだい」
男は手下に顎で合図した。停車していた車にエンジンがかかる。 「ま…待て! わかった。わかったから…」 ジキルはポケットから、男たちの目的の品を取り出し、差し出した。 「始めから出してれば、痛い目にあわなかったのにネ」 男はジキルの手から、エメラルドを奪い取った。
「あー、こんな感じやったなぁ。俺があんなことになった時の……」 突如、ジキルの首に細いロープが巻き付けられた。 「そうそう。あん時もこんな感じやった……って、こらーっ!」 最後の方は、音声になっていなかった。
「顔見られてるのに、生かしておくわけないデショ」 にやにやと笑いながら、男はロープを引き絞った。
『キレイナ緑色ノ瞳。自分デ手ニ取ッテ、見テミタイダロ?』 二度と思い出したくない場面が、鮮やかに脳裏に甦った。
「あ…あかん、アリサ…」 終わりだと思った瞬間、不意にロープが緩んだ。 「よう、ジェド。もう終わりか?」 目の前に、星空のかわりに店子の姿があった。 「か…神田さ……ゴホッ、ゴホッ」 咳き込みながら、ジキルは自分の首を締めていた男を探す。
「た…助かった……」
槍介は遠い目で星座を眺めた。
「あー、わかった! 家賃三ヶ月分免除っ!」
くるりと背を向ける槍介であった。
「こんなに強そうな仲間がいたとはネ。まあいい、ご近所に少し迷惑になるけどネ」 首領が左手を上げる。 「念のために、借金して揃えておいてよかったヨ」 十数人の男達は、手に手にピストルを持っていた。
「トカレフだぜ」
槍介は、両手を後ろに回し、大きく息を吸い込んだ。 「エヴリボディ! ナウ、ロッケンロール!」 アメリカ合衆国海兵隊の教練軍曹を思わせる大音声が、全ての者の鼓膜を震わせた。 「な…あれはっ?」 突然、真っ白い光が幾条も頭上から降ってきた。辺りを真昼のように照らす。
「うひゃー! な…何やこれぇ〜っ???」 うろたえるジキルの頭を押さえ付け、槍介は伏せた。 「こういう時はまず伏せろって、ジャックに教わったろ!」 バツッバツッ、という命中音と共に、血を迸らせながら数人の男が倒れる。
「抵抗するな。抵抗は死を意味する。銃を捨てろ」 だいたいそういう意味であろう強盗団の母国語が、頭上から拡声器で流れる。
サーチライトの外で、鋭い語気の英語が飛び交っていた。
「嘘だ……! こんな場所でこんなことがあるわけがない。これはまるで……」 浅黒い顔を真っ青にして首領が叫んだ。後ろから黒覆面の男が羽交い締めにする。 「アメリカ軍の襲撃作戦だろ」 槍介が言葉を継いだ。 「オマエ、まさか、こいつは…」 頭目が、きょとんとしているジキルを指差す。
「お前ら、こいつが何者かも知らずに襲ったのか? 命知らずというか何というか」
槍介がカリブの別荘と呼んだのは、キューバの南東部、グアンタナモベイにある米軍基地のことである。
「クソッ!」 聞くに耐えない罵詈雑言をまき散らしながら、男は連行されていった。 「もう少し早く合図をくだされば…」 黒覆面のリーダーらしき男が槍介に話しかけた。
「こいつには少し、懲りてもらわないといけないんでね」 と、言った。
「よこせ」
そう言われて、ジキルは渋々、エメラルドをポケットから出した。
「それは?」 黒覆面のリーダーが、槍介に問いかける。
「今回の騒動の元凶さ。このろくでなしが、事もあろうに友達からくすねたんだ」
ジキルはしょんぼりと肩を落とし、土の上に正座した。
「そ…そや! なんであんた、俺の後つけてきたんや? おかげで助かったけど」 と、尋ねた。 「お前、マンションから出てきた時、なんて言ったか覚えてるか?」
槍介は、ジキルの脇腹を軽く蹴った。
「痛ててててっ」 さっき強盗団に蹴られた箇所である。ジキルは脇腹を押さえてうずくまった。 「あ…あんちゃ……」 黒覆面のリーダーが手を差し伸べようとして、慌てて引っ込めた。そして、 「それでは、ボクはこれで」 と、敬礼した。そしてジキルに向き直り、抑揚のない口調で言う。 「あ、そうそう、ミスター・ジキル、忘れてください。今日のことはなかった」
いつの間にかサーチライトは消え、ヘリコプターの爆音も消えていた。
「何者なんやろなあ、あの人ら……」
耳元でがなりたてる槍介の声に、すっかりジキルは畏縮した。
「はあああっ、ええ儲け話やったのに……」
槍介はジキルの耳たぶを摘んで引っ張った。 「あたたたたた。こーいう時はあの人ら、来てくれへんのやろか〜!」 そのままジキルは槍介に連行された。
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