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 第1話
 ジキルの災難(weiss version)
  
東京都内の高級シティホテル。最上階に彼はいた。
 海外の人気スターが来日した時に泊まったと、ワイドショーで報道されていたような類いのスイートルームである。
 部屋を見回すと、豪華な調度品ばかりが視界に入ってきた。
 もっとも、彼が部屋をすべて見回すためには、通常の人間の倍も首を回さなければならなかった。特に左側の後ろを見るのは大変だった。
 黒い眼帯。左目は完全にその下に隠されている。
 彼は脚を組み、大きく柔らかなソファに体を沈めた。小柄な体躯は、ソファにすっぽりとおさまってしまう。
 「遅っ……。いつまで待たせんねん」
 飽き飽きしたように、彼はぽつりと呟いた。
白い肌に黒い眼帯は、目立ち過ぎるほどに目立つ。前髪をすべて上げ、額もあらわにしているから尚更だ。
 フロントとトップの毛をまとめ、頭のてっぺんで束ねている。毛先が大きく広がり、まるで噴水だ。烏の濡れ羽色ともいうべきその髪は、肩よりも長く伸びていた。
 彼は退屈しのぎに自分の長い髪を指で摘んで捻り、枝毛を探し始めた。
 その時、隣のフロアから声が響いた。
 「やあ、やあ、よく来てくれたね」
 身なりのいい紳士が、両手を広げながらこちらへ歩み寄ってきた。
しかしその姿は、ソファの近くに来るまで彼には見えなかった。左側から回って来られたからだ。
 彼は軽く会釈をして、紳士の握手に快く応じた。
 「ちわ〜っす。毎度」
「待たせて悪かったね。こんなところにまで配達に来てもらって」
 「いやぁ、配達料も込みやし、問題あらへんですよ」
 「しかし、店主自ら配達とは」
 「まあ、放出品の方の店におっても、暇なもんで」
 言いながら彼は、テーブルの上に置かれた段ボール箱のガムテープを剥がした。
箱を開け、中からビニール袋に包まれた商品を取り出す。
 「これ、ご注文のグッズ。えーと、まずこれが首輪。チェーン付き」
 ビニール袋の上から指を差し、商品を説明する。
シャツの長い袖から白い指が覗いた。
 「これ、リングを多めに付けてあるのは飾りじゃなくて、ロープとか通せるようにってことですねん。もちろんチェーンの方も、ちょっと引っ張ったぐらいじゃ取れません」
「本当かね? 別の店で買ったやつは、すぐに壊れてしまった」
 「まあ、土佐犬やセントバーナードの散歩となると、自信あらへんけど」
 続けて彼は、手際よく別の商品を取り出した。
今度の品も、黒いレザーと金属の輝きが包み込まれている。
 「これは手枷と足枷。繋いでるフックはワンタッチで取れますんで、どういう繋ぎ方もできますで」
「前で拘束するも、後ろで拘束するも自由というわけだね」
 「それぞれのフックを別の場所に取り付けることもできますから、無限のバリエーションをお楽しみいただけると」
 「こっちも頑丈に作ってくれたんだろうね」
 「男性相手に使われる方も多いんで、そのへんはバッチリと」
 「素晴らしい」
 紳士は拍手をして、ソファから身を乗り出した。
そして、目の前にいる青年の顔をじろじろと見つめる。
 眼帯。一つだけ残った眼。そして、時折覗く大きな白い歯。
 背も低かったが、顔も幼かった。外国に行ったら子供としか思われないだろう。
 「これはみんな、君が作ったの」
「はあ、まあ」
 「君はこういうのを使うことはあるの」
 「いやー、そ、それは、まあ、どないでっしゃろ」
 言葉を濁しながら、店主は商品の説明を続けた。
紳士はあまり聞いていないようだった。頑丈さがわかればそれでいいという態度だ。
 「ほな、支払いの方ですけど…」
 店主がそう切り出した時だった。
突然、奥のフロアから飛び出してきた二人の男が、彼に飛びかかった。
 「はっ? ちょ、ちょ……な、何さらすねん! アホ、ボケ!」
 暴れまくる店主だったが、三人の男に取り押さえられ、あっという間に両腕を捻り上げられてしまった。
彼自身が製作したグッズは、直後、彼の手首に巻き付いていた。
 抵抗を試みるには、彼の体はあまりにも小さく、貧相だった。
 彼は籐のチェアーに座らされた姿勢で、両手は背中で繋がれ、足は椅子の脚に拘束された。
 どんなに頑張ってみても、拘束具はびくともしなかった。大の男でも引きちぎれないレザーである。それを作ったのは本人だ。
 「何やねんっ! 殺すぞお前らっ!」
「ずいぶんと暴れてくれたね」
 先ほどまで紳士だった男が、頬につけられた引っ掻き傷をさすりながら言った。
笑顔は消え、蛇のような目つきで彼を見つめている。
 「ボケ! カス! 早よ金払えやおっさん!」
「まさか一人でノコノコやってくるとは」
 「ワシでこんなん試してどないすんねん! ここにおる奴らに使えや!」
 「元気のいいことだ。まだ我々が普通の客だと思っているのかね?」
 「何やとー?」
 店主は口をとがらせ、男たちを睨み付けた。
よく見れば、その顔は日本人ではなかった。そう言えば、先ほどから言葉がたどたどしいような気がした。
 「お前ら、日本人やあらへんやろ」
「ふっふっふ。我々はチャイニーズマフィアだ」
 「ほな、話は別や。カード払いでもええ思てたけど、現金や現金! 現金で払え!」
 「まだシラを切る気か?」
 スイートルームに、渇いた平手打ちの音が響いた。
 「いっ……」
 頬を張られた青年は、ジロリと男たちを見上げた。
元・紳士のマフィアは、にやにやと口元を歪めながら、ゆっくりと喋り始めた。
 「ある時は革職人。またある時は米軍放出品店の店主。だがその実体は……」
 緊張が走る。手下らしい二人の男も、固唾を飲んで次の言葉を待っていた。
しかし、すぐに緊迫した空気は、被害者本人によって乱された。
 「ちょう、待て。パンクファッションデザイナーが抜けとる」
「どうでもいいだろう、そんなことは」
 「あかんがな。そこ一番大事なとこやん。ダントツで儲かっとんねん」
 「またある時はパンクファッションデザイナー。だがその実体は」
 「いや待てよ。最近は、併設したゴスロリのコーナーの方が売り上げええなあ」
 「ゴスロリって何だ?」
 「ゴシックロリータやん。黒くてゴージャスな、ドレスみたいな服やがな」
 「ふむ。じゃ、まとめて服飾デザイナーってことでいいかな」
 「あ、ダルメシアンのブリーダーもやってた。それも入れといて」
 「またある時はダルメシアンの……って、話が進まんだろうっ!」
 「過去の話やが……。あの子は元気でおるやろか……」
 かつて可愛がっていたダルメシアンに思いを馳せ、青年は遠い目で窓の外を見つめた。
気を取り直してマフィアは話を進めた。
 「ある時はSMグッズ職人。またある時はミリタリーショップの店長、またある時は服飾デザイナー、さらにある時は犬のブリーダー! しかしその実体はっ!」
「愛の戦士」
 「キューティー…って、違ーうっ!」
 「ハニーは知ってても、多羅尾伴内を知ってる奴は少ないやろなあ」
 「ある時片目の運転手」
 「ある時アラブの大富豪」
 「ピンクレディーと混じってるぞ。……って、そんな話はどうでもいいっ!」
 「からぁっぽーよー♪ うーつーろーよー♪」
 「ケ…ケイちゃんパート。やるなお前」
 「ワシ、ケイちゃん好っきやねん」
 「キャンディーズは誰が好きだ」
 「解散した時、ワシ、子供やもん。よう知らんわ」
 「ピンクレディーもその頃だろう」
 「ピンクレディーは再結成したやんか」
 「まさか、再結成してからのファンなのか」
 「うん♪」
 「年増好みか……」
 「あ、あの〜、兄貴……」
 「何だ?」
 「な、何だと言われても」
 話の盛り上がりを止めに入った手下が、目を白黒させた。
その表情に、ハッと男は我に帰った。
 「ま…またこいつのペースに……」
「兄貴! 気をしっかり持って」
 「大丈夫です! 兄貴! ファイト!」
 手下二人の声援を一身に受け、マフィアの幹部は大きく深呼吸をした。
そしてゆっくりと、指先を黒い眼帯へと向け、青年の顔を指差しながら言った。
 「武器密売人ジキル。我々に協力したまえ」
 ジキルは目を細め、笑った。
一つしかない薄緑色の瞳がキラリと光った。
 
 ジキルの災難(weiss version)-02へ続く
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