BACK


Bloody Kiss

 

 亜麻色の髪を風になびかせながら、青年は列車に乗り込んだ。
 いまいましい戦争が終わり、九年が経とうとしていた。北軍の前に陥落したアトランタの町も大部分が復興し、人々が力強く息づいている。
 青年は荷物を膝の上に抱え、座席に腰を下ろした。
「どちらまで?」
 隣に座った老人に尋ねられ、彼は答えた。
「コロラドへ。兄を迎えに。何も知らせてないから、驚くと思うけど」
 青年はにっこりと微笑んだ。
 心地よい南部の風が、列車の窓から吹き込んだ。


 乳白色のキャンドルに、ロウマッチで火が点された。白い煙が室内に漂う。
「…コホッ」
 小さな咳が一つ、ジュリアスの口から零れ出た。
 ジュリアスは一糸まとわぬ姿で、ベッドに身を横たえていた。細すぎるほど細い体。白い肌は、数えきれないほどの傷痕で埋め尽くされている。
 ボギー・デッドマンはベッドの淵に座り、ダークブラウンの瞳でジュリアスを見つめた。足下には燭台が置かれ、キャンドルが明かりをたたえている。ゆらゆらとゆらめく炎が、薄暗い部屋の中をぼんやり照らしていた。
 ジュリアスの体の横には、何枚かの紙きれが散らばっていた。デッドマンはそれを一枚手に取ると、インクで書かれた文字を読みながら、静かに口を開いた。
「弟が十八歳になったそうだな」
 デッドマンが手にしたのは、故郷から届いた手紙だった。ジュリアスの弟が書いて寄越したものである。何枚にも渡って、家族の近況が綴られている。
 ジュリアスは何も答えず、うつろな瞳で枕に顔を埋めた。
「『町の教会にパイプオルガンが入った。でも弾ける人がいなくて、困っているみたいだ。ジュリィがいたらよかったのに。』……だとさ」
「……」
「残念だったな。腕がなくちゃあオルガンも弾けねえ」
 含み笑いをしながら、デッドマンはジュリアスの体を一瞥した。
 その体には両腕がなかった。彼が不具の体になってから六年の月日が流れていた。
 彼の家族は、現在はアトランタで雑貨屋を営んでいた。長男のジュリアスがコロラドの金鉱で働いていると信じ、彼の帰省を待っている。
 九年前に終結した戦争で、北軍によって家を焼かれ、財産を略奪されたジュリアスの家族には、戦後、何も残っていなかった。ジュリアスが復員した時、弟は九歳、妹は僅か六歳だった。父は勇敢な南軍兵士として戦死した。
 母と弟たちを養うため、ジュリアスは単身、西部へ向かった。それからというもの、一度も実家へは戻っていない。
 ジュリィが送ってくれるお金を少しずつためて、アトランタでお店を持つことになりました……母からの手紙でそう告げられたのは二年前のことだった。弟のユリアンが職に就いて、妹のエミリーが店を手伝えるようになったら、ジョージアへ帰っていらっしゃい。こっちで仕事を探せばいいわ。まだまだ南部は不況だけれど、家族で力を合わせれば……そこまで読んだ時、便箋のインクが涙で滲んだ。
 帰りたい、とジュリアスは思った。しかし帰れるはずがなかった。
 彼が家族に送っている金は、汚い金だった。両腕を切断されてギャングの仲間に引き込まれ、参謀として犯罪計画を立てている、その報酬だった。ボスであるデッドマンに逆らうことはできなかった。命令通りに仕事をするしかなかった。そうしなければ、家族を救えなかった。
 ジュリアスは枕に顔を押し付け、唇を噛んだ。そして再度、ゴホンと咳き込んだ。キャンドルの煙が顔に近付いてきていた。
 不意に背中に熱い蝋が落とされた。
「……っ!」
 ジュリアスは歯を食いしばり、身をよじった。
 デッドマンが燭台を手に、ジュリアスを見下ろしていた。
「最近あまり刃向かわねえと思ったら、この手紙が原因だったとはな。もう送金の心配がなくなったから、安心して力が抜けたっていうわけか?」
 デッドマンは言った。ジュリアスは弱々しく首を振った。
「安心はしてるさ。でも、今までと何も変わりゃしない」
「お前は優秀な参謀だ。これからも報酬は支払ってやる。家族に送るかどうするかは好きにしろ」
 そう言いながらデッドマンはキャンドルを傾けた。火元に溜まった蝋が、びしゃりとジュリアスに落ちる。
「くっ……う……」
 ジュリアスは熱さに眉をひそめた。
 肌に打ち据えられた蝋は、瞬く間に白く固まった。その上に、更に熱い蝋の雫が垂らされる。背中に刻み込まれた複数の傷痕を覆うように、蝋が甲羅を作って行く。
「ううう……ううっ」
 苦しむジュリアスの肩を掴み、デッドマンは強引に仰向かせた。そして首筋にキャンドルを接近させ、ぽとりと蝋を滴らせる。皮膚のすぐ側から垂らされ、ジュリアスの体は跳ね上がった。
「んんっ! うっ……は、ああっ……」
 絹糸のような金色の髪が枕に広がる。青白い顔が苦渋に歪む。
 デッドマンはキャンドルを立てて蝋を溜めると、再び大量にジュリアスに落とした。白い雫が皮膚の上で跳ね、周囲に飛散する。小さな飛沫は粒のように固まり、彼の肌に降り注いだ。
「く……はあ……」
 ジュリアスの全身は硬直し、痙攣した。
「お前にはまだ、俺に復讐する目的が残ってるんじゃねえのか? 俺を殺したくてウズウズしてるんだろう? そんなふうに脱力してる暇はねえはずだぜ」
「……ボス、恐いのか?」
 ターコイズブルーの瞳が妖しく光り、デッドマンを見据えた。
「フッ、おかしなことを言う奴だ」
「俺を拘束していた鎖が一つ解けたことで、焦ってるんだろ。金で俺を縛り付けられなくなったから、復讐で釣ろうとしてるんだ。どうやら、俺がいなきゃ仕事が立ち行かないところまで来てるみたいだな」
「その通りだと言ってやる。だがな」
 デッドマンはジュリアスの太腿を押さえ付け、そこにキャンドルの炎を押し付けた。
「ぐあっ!」
 煙が上がり、皮膚が焼ける臭いが漂う。デッドマンはすぐに燭台を離したが、焼かれた箇所は赤く染まった。
「恐いという表現は間違っている。それは訂正させてもらうぜ」
「ど…どうかな。あんたはいつだって恐がってる……。俺の腕を切った時からずっと」
 そう言ってジュリアスが鼻を鳴らした時、再度、炎が足を焼いた。
「んぐうっ!」
「わかったふうな口をきくんじゃねえ」
 デッドマンはキャンドルをジュリアスの肌に接近させ、至近距離から蝋を落とした。炎に溶かされたばかりの蝋の熱が、ジュリアスからみるみる体力を奪って行く。
「んぐううう……あっ…はあああ……」
 裸の胸、腹、太腿を、絶え間なく責める灼熱の雫。刺すような痛みが連続で襲いかかる。ジュリアスは頭を左右に振って呻きながら、上半身を反り返らせた。
 デッドマンはしばらく無言のままキャンドルを傾けていたが、おもむろにジュリアスの上にのしかかると、脇腹を直接、炎であぶり始めた。
「ひぎいいぃっ!」
 白煙が上がって皮膚が焼ける。ジュリアスは炎から逃れようと暴れたが、デッドマンとの力の違いを思い知らされるだけだった。ただ両足をばたつかせ、ガクガクと全身を震わせることしかできなかった。
「生きながら焼かれる気分はどうだ? フフッ、うまそうな匂いがしてきたぜ。腹が減ってきたな」
「んあっ! あ、ぐ…あああっ! ヒッ、ひ……うっ、うううっ、ぐうう……」
 デッドマンは巧みにキャンドルを付けたり離したりしながら、火を当てる部分を移動させた。一ケ所が致命傷になる前に、新しい箇所を焼いて行く。
 皮膚の表面が真っ赤に腫れ上がった。火傷の範囲が少しずつ広がる。眉間に深い皺を刻み、きつく目を閉じながら、ジュリアスは激痛に耐えた。
 やがてデッドマンは燭台を持った手を引いた。
「ううう……はあああ……」
 凶悪な火炎が遠ざかった後も、ジュリアスは歯を食いしばっていた。火傷の痕がひりひりと痛む。地獄のような苦しみだった。
 デッドマンはポケットから葉巻を取り出し、先端を歯で噛みちぎった。そしてキャンドルで炙るように火をつけた後、口にくわえた。コトリと燭台を床に置く。
 葉巻の香りがぷんと漂う。ジュリアスは軽くむせ返り、十秒ほど咳き込んだ。
「これからもその頭脳は利用させてもらう。どんな手を使っても、お前を従わせる」
「そのために……俺の憎悪を煽るような真似を続けるつもりか……」
「そうだ。もっと俺を憎め。そして生きろ」
「……哀れな人だよ、あんたは。何にもわかっちゃいない」
 ジュリアスは目を背け、小さな溜め息をついた。
 その瞬間、グッと顎を掴まれた。強引に顔を持ち上げられ、デッドマンに引き寄せられる。目の前に火のついた葉巻がかざされていた。
「あっ……ああっ……」
 ジュリアスは頭を左右に振ってもがいた。が、がっちりと顎を押さえ付けられて、身動きできない。下顎が引き下げられ、徐々に口が開く。
 刹那、ジュリアスの歯と歯の間を割って、中に葉巻が滑り込んできた。
「あがっ! あガアアアアアアッ!!」
 ジュッと火が消える音を、ジュリアスは自分の口の中から聞いた。葉巻が舌の表面に押し付けられ、粘膜を焼いたのだ。
「あがああああっ! アッ、アッ、あはあああああっ!!」
 太い指が口腔の奥まで詰め込まれた。デッドマンはまだ温度の高い灰をなすりつけるように葉巻を押し当て、擦り付けた。
「アアアッ! ハガアァッ!」
 爛れた粘膜の皮が破れ、すぐに水泡ができた。爪を立てて引っ掻き、その皮を引き剥がすと、デッドマンは指を抜き、ジュリアスの口から葉巻を吐き出させた。
「あああ……あがあああ……」
 ジュリアスは口を開けたまま、舌を前に突き出し、うなだれた。うっすらと白い煙が口の中から上がっていた。
 

Bloody Kiss-02へ続く(全4頁)