跳べ! 真里!!(10)

ジキルはアリサの体をグッと引き寄せると、向かい合ってハグするような形で自分に縛り付けた。
通常このような救助の場合、被救助者をザイルに吊るし、向こう側から引っ張るような手順を取る。俗に言う『ロープブリッジ救出』である。
しかし今は、誰も手助けしてくれる者がいない。だから、こうする以外に方法がなかった。
「アリサ、しっかり抱きついてろ」
「うん! 絶対はなさないよ!」
アリサは自分のすべてをジキルに委ねた。頼もしい胸に耳をくっ付けて、心臓の鼓動を聞く。それだけでアリサは安心できた。
ジキルは向こうから来た時の要領で、ザイルに掴まった。二人分の体重が両腕にズンとかかった。
アリサの体が邪魔になり、足を持ち上げるのが困難だった。それでも何とか足をザイルに絡ませて、体勢を整える。
あまりの重量に驚愕し、ジキルは自分を落ち着かせるため深呼吸した。
「店長……アリサ……」
真里は両手を顔の前で組み、二人の無事を祈った。
アリサを体に括っている状態で、ジキルはザイルを渡った。一人の時ほど速くはないが、それなりのスピードだった。
しかし、ちょうど彼らが中間地点まで辿り着いた、その時だった。
ドーンという凄まじい爆音と共に、八階の窓から大きな炎が上がった。
「……っ!!!」
炎は瞬く間に外壁を焼き、壁を伝って燃え広がった。
階段付近も大きな炎が上がっている。階下からの炎が噴き上がって来ているのだ。
「きゃああああっ!」
真里が思わず声を上げた。ザイルを繋いでいるフェンスが、高熱でじわじわと傾いている。
ジキルたちの重量も手伝って、ザイルはゆっくりと撓み始めた。
アリサは目をつぶって、ジキルの胸に顔を埋めた。
ジキルは高速で手足を動かそうとした。が、ザイルが緩んでゆらゆらと揺れている状態では、うまく渡れない。
思わず真里は素手でザイルを掴み、力いっぱい引っ張った。
「頑張れー、二人とも……ふ〜むむむむむむ……」
しかし、少女一人の力で、二人分の人間を支えることなどできるはずがない。両のてのひらをザイルが摩擦し、皮が剥けて血が滲んだ。
血が滲んでいるのは、ジキルの手も同じだった。
デパートのフェンスはどんどん傾き、倒れかかっている。完全に倒れてしまったら、二人は宙吊りだ。
炎の勢いも留まるところを知らなかった。このままだと、フェンスはおろかザイルそのものが熱でやられてしまうかもしれない。
熱風が下から吹き上げてくる。階段から上って来た炎と白煙が、屋上を徐々に覆い尽くして行く。さっきまでアリサが立っていた場所は、すでに炎の海となっていた。
ザイルがどんどん緩んで、ジキルはなかなか先に進めなかった。
一人ならば、身軽さを生かしてどうにでもなる。しかし、今は動きが数倍も鈍くなっている。
「あ、あかん、もう……腕が」
ジキルが弱音を吐いた、正にその時。
突如、ザイルがピンと張った。
「……?」
驚きながらも、ジキルは綱渡りを再開することができた。大急ぎで隣のビルの塀に乗り移り、屋上側に倒れ込む。
目の前に、巨大な何かがそびえ立っていた。
その影になりつつ、ジキルはおそるおそる顔を上げた。
「か、神田さん……」
神田槍介がザイルを支え、ジキルたちを見下ろしていた。
真里は槍介の足にしがみつき、息を荒げながらへたり込んでいる。
槍介の後ろにいたみそのが、ジキルに駆け寄って来た。
「アリサちゃん! ジキル! 大丈夫!」
「うわあああん、みそのちゃあん!」
アリサはみそのに飛びつこうとして、手足だけでじたばたと暴れた。ジキルはアリサの拘束を解いた。
「はあ……はあ……はあ……」
ジキルは肩で息をしながら、みそのと真里に抱きつくアリサの姿を見ていた。
上から、ぼそりと声を掛けられる。
「貴様という奴は……」
「へ、へへっ……」
「携帯電話という文明の利器を知らんのか。なぜ俺を呼ばない」
「そ…そこまで考えられへんかった……」
「気違い沙汰だ。たった一人でこんなことしやがって」
「こ、子供巻き込んで……忍者ごっこしただけ……や……」
ジキルはその場に仰向けに寝そべった。
みそのは、アリサと真里を抱き締めながら、涙ながらに口を開いた。
「真里ちゃん……心配したよ。携帯に何度かけても繋がらないから」
「あははっ、ケータイ、荷物の中だ。どっかに置いてきちゃった」
「あちこち傷だらけだよ……もう! 無茶してェ!」
両手と、両膝の裏が擦りむけて血が滲んでいる。モンキー渡りのせいだった。更にくまなく全身を調べると、両肘、両膝もかなり大きな傷ができていた。着地して転んだ時についた傷だろう。
「ごめんね、みそのちゃん。心配かけて」
真里はぺろっと舌を出した。みそのは心配そうに真里の手をぎゅっと握り、
「とにかく一度、事務所に行って、それから病院行こう。ねっ」
と、彼女を立ち上がらせようとした。
しかし真里は、足がガクガクと震えて動かない。
直後、真里は激痛に顔を歪ませた。
「痛たたた……イ、イッ、痛っ……足首……痛ぁい……!」
「真里ちゃん!」
「真里ちゃぁん!」
足首を押さえ、その場にうずくまる。
緊張のため今まで大丈夫だったのが、安堵したと同時に痛み始めたのだろう。
槍介がヒョイッと真里を片手で抱き上げた。
そしてジキルを見下ろし、無慈悲な言葉を発した。
「アイドルを怪我させたってことになると、お前……大変なことになるぞ、今後」
「はああ……衣装関係の契約破棄も、覚悟の上や……」
力なく、ジキルは答えた。
 

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