「ねえ、みその、オシッコしたくなっちゃった」
玩具売場で会計を終えた後、みそのが訴えた。
「女子トイレは下の階だぞ」
槍介が言う。
「やだぁエッチ! どーしておじさんそんなの知ってんの?」
「さっき、エスカレーターのところで見取り図を見たからだっ!」
「みそのちゃん、行っておいでよ。あたしたち、待ってるから」
憤慨する槍介を無視して、真里が話を進めた。
「うん、じゃあ行ってくる」
みそのは一人で下りエスカレーターに飛び乗った。
「おいおい、ちょっと待て!」
すぐに槍介が後を追う。彼の本来の仕事はボディガードであるから、みそのを一人にするわけには行かないのだ。
「何か、恥ずかしいなぁ」
「恥ずかしいのは俺の方だ」
「女の子のお尻追っかけてるみたいで、カッコ悪ーい」
「放っとけ。こっちだって仕事なんだ」
言い合いをしている間に、下の階に着く。二人は売場を横切って、階段の近くまで歩いた。
「外で待っててよ。遅くなっても覗いたりしないでね。髪の毛とかしたり、リップクリーム塗ったりするんだから!」
「誰が覗くか! ……ま、でも少し安心したよ」
「ん? 何が?」
「こんな混雑した場所で、お前さんが一人で行動しようとしたことがさ」
「え……?」
「いや、どうでもいいことだったな。早く行って来い。漏れるぞ」
「も、漏れないよ! バカッ」
みそのはベーッと舌を出して、化粧室へと走って行った。
(あたしが……あんな危険な目にあったから?)
そう言えばあの事件の後、確かにみそのは一人ではどこへも行かれなかった。
ようやく心の傷も癒えたということだろうか。
(そのこと、心配してくれてたの……?)
ちょっと心臓がドキドキする。赤くなった顔を見られなくてよかった……そう、みそのは思った。
一方ジキルは、みそのたちを待ちながら、真里に話しかけた。
「合流したら、荷物、車に運んで、どっかで茶ァでもしばくか」
「しばくって何?」
「おぉ、すまんすまん。茶ァ飲むか、いうことや」
「大阪弁ではそう言うの? 面白〜い、今度使おうっと!」
新しい言葉を覚えて、真里は大喜びだ。
「アリサ。何がええ? 喫茶店でケーキか? それともマクドとかにするか?」
「うわ。マックって言わないんだ……それも大阪限定?」
「アリサ?」
「ん……? アリサぁ……?」
二人はキョロキョロと周りを見回した。そこには二人の他は、荷物が置いてあるだけだった。
「アリサ! どこ行ってん!」
「アリサ!」
ジキルは慌てて携帯電話を取り出し、アリサに電話をかけた。
真里はゴクッと生唾を飲み込み、その様子をうかがう。
「……あ、もしもしアリサ?」
『じきるー。あのね、今、ワンちゃんのところにいるの!』
「ワンちゃんて……どこやねん? ペット売場か?」
『うん。屋上だよ。あのね、ゆーふぉーキャッチャーとかあるよ。後でやるー』
「アホッ。なんで一人で勝手に行くねん! そこにおれ! すぐ行くから!」
『うん、わかったー』
「ほな、一旦切るで。そっから動くなよ!」
ジキルは電話を切り、ホッと息をついた。
「よかったね、店長。悪い人に連れてかれたかと思っちゃったよ」
「ああ。けど、今一人やからな。早よ行かんと、そうなるかもしれん」
「あたしここで待ってるから、行っておいでよ」
「アホかっ。お前も一人にはさせられへんやろ」
「あっ、そうか」
「取りあえず、荷物持って下の階行こ。神田さんにお前を預けて、ワシはアリサ迎えに行くわ」
「うん!」
ジキルは紙袋を持ち、真里を連れて下りエスカレーターに乗ろうとした。
その時だった。
デパートに、けたたましい非常ベルが鳴り響いた。
「何っ?」
驚いた真里がジキルの腕にすがる。
ジキルは息を飲んで、耳をそばだてた。すぐにアナウンスが流れる。
『館内のお客様にご案内いたします。ただいま八階の食堂街にて、火災が発生いたしました。安全の為、係員の誘導に従って、館外へ避難してください……』
「八階やと!? 屋上のすぐ下やんけ!」
「店長! アリサが……!」
「真里、とにかくまずは下や。神田さんのところに……」
「ダメだよ! 早くアリサを助けに行こうよ! あたしもついてくから!」
「あかん。お前を預けてから上に行く」
「あたしだって、アリサが心配だよ! ねえ! 早く!」
「……わかった。一緒に来い!」
紙袋を投げ出し、ジキルは真里の手を握ると、走り出した。
反対側の、上りエスカレーターは停止している。客を上の階へ上げないための配慮だろう。
ジキルと真里は段を駆け上り、七階へ到達した。
八階から、白い煙がもくもくと下りて来ている。顔が熱くなるほど、温度も上昇していた。
係員の誘導に従って、などとマニュアル通りのアナウンスが繰り返し流れているが、実際は店員も慌てふためいていた。客を誘導するどころか、自分たちの避難さえ危うい状況だ。
ジキルは真里の手をしっかりと握った。ここで真里と離れることはできなかった。避難しようとする人の波に巻き込まれ、怪我をする恐れがある。
「店長! アリサを助けに行こうよ!」
真里がジキルを急き立てた。