新宿御苑にほど近い、大通り沿いのビル。外壁は汚れておらず、他の建物と比べても新しい印象だ。入り口に小さく『Jビル』と刻まれた看板が付いている。
その看板のそばに、黒人のガードマンが二人立っていた。誰一人としてエレベーターに近づかせないぞという恐ろしい顔で、通行人を睨んでいる。
おかげで二階の喫茶店は被害を被っていたが、現在このビルの中に芸能人が来ているのだから仕方がない。喫茶店のママは慣れている様子で、迷惑料が包まれた封筒の中身を確認しながら、煙草をふかした。
芸能人の一人や二人がプライベートで訪れるぐらいならば、こんな警備は必要ない。しかし四人ともなれば、大変なことである。
更にその四人が一つのグループで、全員が日本一有名な小学生であるなら、もう説明の必要はない。
そう、泣く子も笑う(?)小学生アイドルユニット『メルティピンク』が、今、このビルを訪問中なのである。
新宿で四人もの芸能人が集まるビルなんて、ここの他は新宿アルタぐらいのものだろう。
アイドルたちがいる店は、ティーン向けのブティックか、それともファンシーショップか。
否。ミリタリーショップである。
六階に位置する『じきる堂』という店に、小学生アイドルが四人、集まっているのだ。言い忘れていたが、四人とも十歳の女の子である。
店内はさぞかし姦しいであろう、と思われたが……。
期待を裏切り、その空間は水を打ったような静けさだった。
「ここまでええか? わかったか? 誰もおらへん二階の部屋やで……」
「うん…」
「ゴクッ」
「え、ええ」
「はいー」
所狭しと並べられた放出品に埋もれるように、四人の少女は椅子に座り、店主の話を聞いていた。いずれも真剣な表情である。
「その、誰もおらん部屋の下におるとなー。天井から音がするんや。ゴトンッ!」
「ぎゃー!」
ぴちぴちデニムのショートパンツを履いた少女・西園寺みそのは肩をすくめた。ワイルドなショートカットがよく似合う。
「しばらくすると、また音がする。ゴトンッ!」
「ひゃーっ」
ショートボブから半分だけ覗く耳を両手で押さえ、長門真里は悲鳴を上げた。ミニスカートからすらりと伸びた脚が健康的だった。
「その後、何かが転がる音。ゴロゴロッ……ゴロゴロゴロ……」
「きゃあっ」
握り締めた両手を顔の前で合わせ、拝むように冴島雅香は震えた。セミロングの髪はよく手入れされて、上品な印象である。
「そしてまたゴトンッ!」
「あらぁー」
他の三人より数秒遅れて、元木紗菜は縮こまった。高い位置で結ばれたツインテールが、軽やかに左右に揺れている。
「誰もいないはずの部屋で、一晩中、音が響き渡る……」
「やだーっ!」
「恐いぃーっ!」
「きゃーっ」
「いやぁー」
「不安になって、階段を上り、部屋のドアを開けると、そこには……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「両腕のないガンマンの幽霊が、足の指で拳銃に弾を込める姿がーっ!!!」
「いやあああああああっ!」
「ひゃあああああああっ!」
「きゃあああああああっ!」
「あらまああああああっ!」
堪え切れず四人は立ち上がり、ドタバタと店中を走り回り始めた。四つの椅子はそれぞれ転がり、野戦服を着たマネキンが倒れ、パイプハンガーのキャスターは3メートルも移動し、積み重ねられたTシャツは一枚残らず崩れ落ち、マガジンポーチが床に散らばった。
「こらこらこらーっ! 何さらすねんっ!」
店主は慌てて商品を守ろうとしたが、左側から滑ってきたヘルメットにつまづき、派手に転んだ。頭のてっぺんで束ねた長い髪が噴水のように広がる。
「痛たたたたたっ! え…営業妨害やろ! お前らーっ!」
床に打ち付けた箇所をさすりながら、店主は怒鳴った。
「だって、恐かったんだもーん」
真里が口をとがらせた。
「アメリカじゃ、ポピュラーな幽霊話やで。オチだけ違うバージョンもあるらしいけど」
店主は立ち上がった。その顔で最も目立つのは、黒い眼帯。左目を完全に覆っている。
そしてもう一つ特徴的なのが、その身長であった。
四人の中でもっとも長身の紗菜と比べたら、その差は僅か20センチである。紗菜は少し顔を上向かせるだけで、彼と目が合ってしまう。
「……? テンチョーさん、少し見ないうちに、縮みましたー?」
「縮むか! おのれらが育っとるんや」
「あれー? ジキルって何センチだっけぇ〜? 確か……159センチ?」
みそのが意地悪そうに含み笑いをした。
「159.9やっちゅうねん! しばくど!」
小学生にからかわれ、ムキになっているこの男。呼び名はジキル。ミリタリーショップ『じきる堂』の店主である。