メルティピンク颯爽登場(9)

ようやく外された猿轡。みそのは大きく息をつきながら、目の前の男の顔を見上げた。
ライブや握手会の時には、比較的ファンの顔をよく見るみそのだったが、この男のことは知らなかった。高校生ぐらいに見えたが、みそのを乗せて車を運転していたことを考えると、もっと歳を食っているのだろう。
槍介の言う通りにしていればよかったと思ったが、後の祭りだった。
あの時、誰からともなく車のドアを開け、外へ飛び出した。真里と紗菜が走って行ってしまい、みそのは一人でドアを閉めることができずに苦労した。
その時、通りかかった男に声をかけられた。
『手伝ってあげようか』
そう言ってみそのに近付いて来た男は、車のドアを閉めた後、みそのを抱きすくめた。
大声を出そうとしたが、口をタオルで覆われ、息もできなかった。殺されると思った。
男はみそのを抱きかかえ、少し離れたところに停めてあった自分の車へと連れて行った。
後部座席に詰め込まれ、あっという間に縛り上げられた。
車に揺られていたのはほんの数十分だったが、みそのには永遠の半分ぐらいに感じられた。行き先は東京湾で自分はきっと沈められるんだと信じて疑わなかった。
つい先刻、男の家に到着した。ボク一人しか住んでいないんだ。そう男は言った。家族一人一人に家があるんだよ、と自慢げに付け足したのが不愉快だった。
みそのは部屋を見回した。豪華な家具調度品。ドラマのセットみたいだった。
「みそのちゃん、これ着てくれる?」
不意に、男が洋服をベッドに放った。黒いワンピースと、白いエプロン。メイドさんが着けるような、フリルのついた白いカチューシャ。みそのは嫌悪感を丸出しにして首を振った。そして、恐怖におののきながらも気丈に尋ねた。
「あんたがキョーハクジョーよこしたの?」
「脅迫状? ファンレターは出した気がするけど、それが何か?」
「雅香ちゃんも、あんたがさらったの? あの変なメールもあんた? 雅香ちゃんはどこにいるの?」
「ちょっと待ってよ。雅香? 知らないよ、そんなの」
「うそ! 雅香ちゃんがユーカイされたんだよ。それもあんたのせいなんでしょ!」
「僕は雅香派じゃないったら。あんなカタそうな子は興味ないよ。それよりも、すぐにやらせてくれる、みそのちゃんの方がいいよ」
「……? やらせる? …っ…て?」
「ピンとろ板でもみんな書いてるよ。みそのは頼めばやらせてくれそうだって」
「ピンとろ?」
「またまたぁ。知ってんでしょ。メルティピンクだから、とろけるピンク。ピンクのとろみ。だからピンとろ。ピンとろ板、見てないの? ジュニアアイドル板から独立したんだよ」
「??? な…何言ってんのか全然わかんないよ。とにかく、みそのに何の用があるのよ!」
「頼めばやらせてくれるんだろ。なあ、頼むよ」
「やらせるの意味がわかんないよっ! とにかく、みそのは事務所に内緒じゃ何もしてあげらんないんだよ!」
「けっこうキツいんだね、性格。怒ってばっかり」
「当たり前じゃんっ!」
「じゃん、とか言わないでよ。下品な感じ」
「うるさーいっ! あたし、おうちに帰りたい! お願いだから帰してェ!」
みそのはベッドの淵に座ったまま、足をばたつかせようとした。しかし両足首はロープで縛られ、左右一緒にしか動かせない。それでも動かせるだけまだましで、両腕などは後ろ手に縛られているため、びくともしないのだった。
「何でもいいから、とにかくこれ着てよ。ロリロリメイドさん。これじゃないと萌えないんだよねー」
「いやっ! こっち来ないで!」
「おかしいなァ。『みそのはすぐに納得して、天使のような微笑みで俺を迎えてくれた。』って、書いてあったのに」
「そんなの知らない! もうやだっ!」
「全然違うな。ちっとも優しくない。天使なのに」
「さわらないで! 誰かー! 助けてェ!」
みそのは目に涙を浮かべて大声で叫んだ。
その瞬間。突然、大きな音がして窓ガラスが割れた。
「誰だっ?」
割れた窓ガラスの穴から、金色の棒のようなものが覗いていた。すぐにそれは引っ込み、代わりに太い腕がぬっと差し込まれてくる。
「……あ……」
みそのは、すがるような眼差しで、じっとその腕を凝視した。
部屋に入って来た手が鍵を開け、サッシが勢いよく開けられた。
「だ…誰だっ!」
「おじさんっ!」
車で運ばれる最中、みそのが心の中でずっと名前を呼んでいた……神田槍介探偵が、そこに立っていた。
「王子様と呼べ」
槍介は目の端でみそのを捉えると、口元を吊り上げて笑った。
力が抜けて倒れてしまいそうになるのを、みそのは堪えた。
我慢すれば絶対に、槍介が助けに来てくれる。赤い光が移動してるんだ。きっとすぐに気がついて飛んできてくれる。みそのはそう信じていた。その思いがようやく報われたような気がした。
窓ガラスを割って入って来た大男がみそのを取り返しに来たのだと、男は理解したようだった。唐突に意味不明な奇声を上げながら、ドアを開け部屋を走り出て行く。
みそのは感極まって泣き出した。ロープが食い込む手首の痛みも、もう感じなかった。
「おじさん」
「みその。みんなのところに帰るぞ」
「はいっ!」
目に涙をいっぱい浮かべて、みそのは大きく頷いた。
しかし、事はそう簡単には運ばなかった。
「お…おいっ、こっちだ。こっちを見ろ!」
一旦、部屋を出て行ったはずの男が、ドアのところに戻って来ていた。
その手には、猟銃がしっかりと握られていた。
 

メルティピンク颯爽登場-10へ続くこのページの冒頭へ戻る小説のTOPへ戻る