*

 その晩、あらかじめ時間を決めて電話をかけると、みずきさんは開口一番、旅行のことを口にした。
『お、怒ってます……? 旅行にお兄ちゃんと行ったの、隠してたこと……』
 写真週刊誌を見たと俺が言ったことで、余計な不安を煽ってしまったようだ。
「いや、全然。そのことを咎めようとしてるわけじゃないんだよ。ちょっと聞きたいことがあるだけなんだ」
『ごめんなさい、ダン兄ィに口止めされてて……。あんなふうに撮られちゃうなんて思わなくて……。あんだけお兄ちゃんとはつるまないとか言っておいて、アタシたち、サイテーですよね……うぅ……』
「大丈夫大丈夫。そんなの全然気にしてないから」
 去年の事件の後、REVENGEは活動休止に追い込まれている。目立たないように極秘で出かけたいと思うのは当たり前のことだろう。俺にわざわざ真実を語る必要などない。弾さんの考えは理解できる。
 平謝りするみずきさんに、俺はHAYATOさんの腕時計のことは後回しにして、礼香から頼まれたことを先に切り出した。
『ええっ? あ、あの、立花礼香様のお願いなんですかっ!? 聞いちゃう聞いちゃう! 田島さんって、礼香様と仲がいいんですか!?』
「ま、まあ……事務所の後輩だからね」
 礼香“様”と呼ぶのはどうしてなのか非常に気になったが、話の腰を折らずに、俺は行方不明になっている月海さんのことを話した。礼香と月海さんが同じ児童劇団にいたと言ったら驚いていたが、すぐに事情を察してくれた。
 スピリチュアル・カウンセラーの大友みれいさんは、以前よくテレビに出演していた。演出かもしれないが、様々なことをよく言い当てていたような記憶がある。未解決事件の謎を霊視したりする番組でも姿を見たことがあった。
『ママ、超能力者ってわけじゃないんで百発百中ってわけにはいきませんけど、とりあえずいろいろ聞いてみますね』
「ありがとう。ごめんね、面倒なこと頼んじゃって」
『いえいえ! 気にしないでくだされ! 昨日もママ、お兄ちゃんの部屋の霊視したって言ってましたし、普段からそーいうことよくやってますから!』
「えっ、HAYATOさんの……部屋?」
 突然HAYATOさんの話題になり、俺はドキッとした。これからHAYATOさんのことをさりげなく話そうと思っていたからだ。
『うん、なんかぁ……旅行に行く前と部屋の空気が違うような気がするとか言ってたみたいっす。アタシもお兄ちゃんも、子供の頃からそういうのは敏感なほうなんすよ。ママが言うには……波動? とかいうやつらしいんですけど』
「そうなんだ。HAYATOさん、元気かな……。ちょっと聞きたいことがあって、久しぶりに会いたいんだけど……連絡とかしても平気かな」
 HAYATOさんの連絡先はわかっているが、用もないのに電話をかけるほど仲がいいわけではないので、みずきさんを通したほうがいいと思った。もちろんマネージャーの麻紀さんには内緒である。ダメだと言われるに決まっているからだ。
 みずきさんは少し驚いたが、以前、プライベートで彼の部屋に遊びに行ったことがあるという話をシュウさんから聞いていたようで、すぐに受け入れてくれた。
『聞きたいことって何だよ~って聞かれたら、なんて言っとけばいいですか?』
 実の兄のモノマネも交えてみずきさんが尋ねてきた。
「えーと……そうだなぁ…………」
 腕時計のことはもちろんだが、鷺沼瑠実さんのことについても質問したかった。行方不明の彼女が最後に会ったのはHAYATOさんかもしれない、という話もあるからだ。しかし、そのことをみずきさんに言うのを俺は躊躇した。受け取り方によっては、HAYATOさんを疑っているように聞こえるかもしれない。
 迷ったが、俺はもうひとつ、彼に尋ねたいことがあるのを思い出した。
「あの……それじゃ、こう言ってくれる? 石黒のことで聞きたいことがあるって」
『石黒さん……ですね。メモメモ。わっかりました~、親方!』
「どこか個室のあるお店を予約するので、お食事、ご一緒しましょう……って言ってくれると嬉しい」
 外で会うのなら前回みたいなことにはならないはずだ。麻紀さんには事後報告でいいだろう。
 快く引き受けてくれたみずきさんに感謝しながら、その後ひとしきり世間話をして、俺は電話を切った。
 後でちゃんとお礼をしなければ……礼香のファンのようだから、そのうち食事をセッティングしてもいいな。しかし、俺と礼香の仲を勘ぐられても困るし、どうしたものか……と、考えていたら、チャットアプリが新着メッセージの着信を告げた。
 見てみると、早くもみずきさんからの返事だった。俺の言葉をHAYATOさんに伝えたら『田島さんのほうから電話してもらえないか』と言われたそうだ。手違いで俺の連絡先を消してしまったらしい。
(もう俺と付き合う気がないから削除したのかな? だったら、会いたいなんて言って悪いことしたな……)
 そんな思いが浮かんでくるが、それよりも今は好奇心が勝っていた。
 俺はみずきさんにありがとうとメッセージを送ると、そのままスマホでHAYATOさんに電話をかけた。

     *

 数日後、仕事が終わってから、俺は麻紀さんに車で自宅まで送ってもらった。マンションに帰るなんて珍しいわね、と言われた。このところずっと、飯田の家や姉のマンションや礼香の部屋を転々としていた。俺は心境の変化ですと答え、適当に笑った。
 麻紀さんの車が去っていったのを見届けてから、HAYATOさんに連絡する。
 あらかじめ、この近くのトラットリアに予約を取ってある。行かれるのが何時になるかわからなかったので、席だけの予約になってしまった。遅い時間だし、おそらく個室は空いている。以前、石黒とよく行った店だ。
 石黒も俺もイタリアンが好きで、いい店を見つけては二人で通ったものだ。
 ここに引っ越してくる前に住んでいた渋谷区初台では、マンションの一階がリストランテになっていて、そこにもよく食べに行った。嫌なことが起こったマンションなので引き払ってしまったが、あのリストランテは美味しかったなと思い出す。食が細い石黒はコース料理は食べきれないので、基本的にはランチばかりだった。
 そんな思い出に耽っていたら、クラクションが鳴った。白いベンツが近くに来て停まる。
「田島さん、お久しぶりっすね」
 パワーウィンドが開いて、HAYATOさんが笑顔を見せた。
「HAYATOさん。こんなところまで来ていただいてすみません」
「いや、田島さんのためならどこへでも。なんか最近、妹が世話になってるみたいだし」
「そんな。お世話になってるのは俺のほうで……」
「ま、そんな話は後でいいっしょ。乗って乗って」
 乗車を急かすHAYATOさんに、俺はいささか慌てた。マンションの駐車場に車を停めてもらって、二人で歩いて店に行こうとしていたのだ。車を使うほどの距離ではない。そう言っても、HAYATOさんはベンツから降りてはこなかった。
「実は、妹が俺んちで鍋やるっつって、支度しちゃってるんすよ。シュウも弾もいるから来ませんか」
「えっ……でも……」
 みずきさんたちがいたら、例の話ができない。礼香の友人の鷺沼瑠実さんとHAYATOさんとの関係については、おそらく彼女たちは何も知らないはずだ。
「内緒話は、車の中ですればいいっしょ? 何でも答えますよ。聞きたいことあるなら、何でもどーぞ」
「でも、予約が……」
「コースとか予約してるわけじゃないっしょ? 席だけならいいんじゃないすかね。なんなら俺が電話でキャンセルしますよ」
 そう言われても困るが……みずきさんに鍋パーティーやりましょうと言われていたのは事実だし、その気持ちを無碍にするわけにはいかない。
 トラットリアの予約は後日にずらすことに決め、俺は仕方なくHAYATOさんのベンツに乗り込んだ。
 車は真っ直ぐに六本木方面に向かって走り出す。
 車の中で、俺はまず石黒のことを尋ねた。“共通の知人”である俺に、なぜ二人はもともと仲間だったという事実を教えてくれなかったのかが気になっていた。HAYATOさんはすぐに、
「数馬に口止めされてたんすよ。なんか、バンドやってたことは本人的には黒歴史みたいで、田島さんには隠しておきたいからって」
と、答えた。
 俺がHAYATOさんのマンションで酔いつぶれてしまった日のことは、すべて俺に伝えた通りで間違いはない。しかし、石黒は自分と古い知り合いであることを俺に隠したかった。だから矛盾が生じたんじゃないですか、とHAYATOさんは言った。
 そして、虎ノ門のビルでの事件当日のことに関しては、
「俺がね、Kazumaと再会したことで舞い上がっちまって。ちょっとした企画モノに参加してもらおうと思って連れてっただけなんすよ。REVENGEのメンバー交代なんて、俺のほうはまったく考えてなかった。これはマジっすよ」
と、語る。細かい部分も教えてもらったが、菊川先生に見せてもらった刑事事件の確定記録と、内容はさほど変わらなかった。
 石黒がそうしたかった……と聞いたら、そうなのだろうなと思わざるを得ない。彼は普通に俺に嘘をつくし隠し事をする。過去に何度もそういうことはある。おそらく、HAYATOさんとのこともすべて本当だろう。
 理屈は通っている。しかし……納得できない。
 石黒が拒食症であんな状態になっていたのに、なぜわざわざその話を進めようとしたのかが疑問だった。
 カムパネルラへの移籍の話を急いでいたから石黒や俺を利用したのではないかと俺は踏んでいたが、さすがにそれを本人に尋ねることはできなかった。
 いつまでも石黒の話ばかりしているわけにはいかないので、話題を変える。月海さんこと、鷺沼瑠実さんのことについて尋ねなければならない。
「グラビアアイドルの月海さん……。俺の後輩の女優の友達なんですけど、行方不明になった原因について、何か心当たりはありませんか?」
「あー、ルミの親からやたら電話でそれ聞かれたっけなァ。マジで俺、何も知らないんですよ。そもそも、親とか事務所とかと音信不通になった頃は、もう別れてましたからねェ。俺から別の男に乗り換えた後に、何かあったんじゃないっすかね?」
 そう言いながらHAYATOさんは首を傾げる。嘘はついていないようにも見えるが、この人の場合、心の中がまったくわからない。故に、まったく信用できない。
『隼人は札つきのワルだから絶対に移籍なんてさせちゃだめだ』
 そう、石黒は麻紀さんに言った。俺が以前、HAYATOさんの部屋に行った時は、そんなことは一言も言わなかったにも関わらず……である。
 そして、ある時期から急にHAYATOさんの誘いは途絶えた。訪問時の失礼のお詫びの品を送ったりもしたが、届いたという連絡さえなかった。ドラマの撮影中は何度も一緒に食事し、ホームパーティーの誘いも煩わしいほどしてきた男が、ぷっつりと何も言ってこなくなったのである。
 その時は特に気に留めなかったが、今ならその理由がわかる……気がする。
(きっと……石黒がHAYATOさんに言ったんだ。俺に近づくなって……)
 石黒は昔からHAYATOさんの素行の悪さを知っているから、俺に近づけたくなかった。だから、そのために彼に会い、頼み事を聞いてやっていたのではないか。俺はここ数日、ずっとそんなことを考えていた。
「あ、そうそう。お礼も言わないで失礼しました。バカラのグラス、毎日使ってますよ」
「あっ……そ、そうですか。気に入ってもらえたならよかったです」
 HAYATOさんが話題を変えた。月海さんのことをこれ以上語る気はないようだ。
 しかし、彼女の消息に心当たりはないとしても……。付き合っていた時期もあるというのに心配する素振りもない。いくらなんでも冷たすぎるのではないだろうか? そのことが妙に気になったが、口には出せなかった。
 ふと、ハンドルを握るHAYATOさんの腕を見る。今日も腕時計はつけていない。
「あの……HAYATOさん」
「まだ、何か?」
「腕時計、つけてないんですね」
「えっ? あ……、……いや、時計は……」
 俺の質問に、僅かだが彼は言葉を詰まらせた。
「お風呂に入る時以外はつけてるって、以前……。でも、あの……写真、見たら旅行の時もつけてなかったし、今も……」
 この件についてはみずきさんにも尋ねた。
『あ~、あれ、パパの形見だぁ……。そういえば夏ぐらいからずっと見ないっすねぇ? 修理にでも出してんのかなぁ?』
 夏ぐらいからずっと、とみずきさんは言った。旅行の時にたまたま外していたわけではないようだ。現に今も、彼の手首にはそれがはめられていない。
「……ちょっと壊れちゃって。アンティークなんで、オーバーホールも金かかるし、どーしよっかな~、みたいな」
 しばらくしてHAYATOさんはそう言った。まるで慌てて言い訳を考えたかのようだった。
 そうでしたかと相槌を打ち、俺はもう、それ以上は腕時計のことを訊くのはやめにした。
 やがてベンツは六本木に到着し、マンションの地下駐車場へと入っていった。
 俺は彼に連れられて、エレベーターを使い、以前訪れたことのある部屋へと赴く。
 しかし玄関に入った途端、前回と同じ違和感が俺を包み込んだ。靴もなければ、室内に人がいる気配もない。
「……みずきさん、は……?」
 俺がそう尋ねたのと、HAYATOさんがガチャッと玄関に鍵をかけたのは、ほぼ同時だった。
「買い物じゃないっすかね? さ、どーぞ。奥へ」
「いや……困ります。上がるわけには……」
 やんわりと断り、玄関のドアノブに手を伸ばす。
 俺のその手をいきなりつかみ、HAYATOさんはグッと自分のほうに引き寄せた。
「ちょっ……HAYATOさん!?」
「まだ聞きたいことあるんでしょ、俺に」
 そう言うと、HAYATOさんは強引に俺の腕を引っ張って、引きずるように奥のリビングへと連れて行った。

ロードランナー - 10へ続く