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夕方、俺は事務所へ出向き、昨日の店での一件について、やんわりとスタッフに注意を促した。
アレルギーと無縁の人は、なかなか気がまわらないものだが、できるだけ配慮して欲しいと伝えた。社長やマネージャーから言ってもらってもよかったのだが、症状が出るのを目の当たりにしたのは俺なので、きちんと状況を説明したかった。
「竜ちゃん、竜ちゃん、あんまり怒らないで。こっちで一緒におやつ食べようよ~」
「社長……」
社長室から顔を覗かせた継父が、甘いもので俺を釣ろうとしている。
放っておくと延々と俺の機嫌を取り続けるので、俺は説教を切り上げて社長室へ入った。
「昨日、コースの途中で帰らざるを得なくなっちゃったんでしょ? スイーツいっぱいあるから食べて食べて!」
「後でいただくよ……」
本当にこの社長は相変わらずだ。なぜこんなに子供じみているのか、不思議に思わずにいられない。
「どうだった? 井上秀一くんは」
「とてもいい人だったよ。人を憎んだり傷つけたりするような人には見えなかった」
「ふふふ、犯罪っていうのはね、そういうものらしいよ。菊川センセが言ってたよ」
「えっ? 継父さん……菊川先生と話したことあるの?」
シュウさんは菊川先生を通じて俺に会いたいと打診してきた。だから社長に話は通っているだろうと思っていたが、直接の知り合いだとは聞いていなかった。菊川先生のところは、飯田プロの顧問弁護士が所属しているような大きな法律事務所ではない。普段、うちが世話になるような案件は担当していないはずだ。
飯田はにんまりと笑って言葉を続ける。
「あの凄まじい天パの先生だろう? そりゃあ知ってるさ。過去に似たようなパターンがあったもんね」
「似たようなって……まさか、ナッキー?」
「むふ。その時に、うちの顧問弁護士が紹介してくれた弁護士さんなんだもんね」
友人でもあるミュージシャンの日向夏樹、通称ナッキーが、前の事務所にいる時にちょっとした事件があった。その事件に俺も石黒も巻き込まれ、大変な思いをした。
その後、復帰したナッキーを受け入れたのが、系列の音楽事務所のカムパネルラだ。カムパネルラという名前は、飯田が宮沢賢治のファンなので『銀河鉄道の夜』から取った。
ちなみに、石黒がマスターを務めていたバー[イーハトーボ]の名前も、宮沢賢治の著作が元ネタである。ネーミングは社長の趣味丸出しというわけだ。
「継父さん、もしかして……シュウさんをカムパネルラに……って考えてるの?」
「プヒー」
「口笛下手すぎ……。とぼけてもだめだからね」
下手なとぼけ方に突っ込んでしまう。このオヤジはどうして昔からこう、軽いんだ。
「いやいや、ほらぁ、優秀な人材は確保するべきだと思ってるからね。まあ、まだ謹慎中で、今の事務所と完全に切れたわけじゃないから、すぐって話ではないけど」
「ナッキーは銃刀法違反で罰金刑だっただけだし、今回の事件とは根本的に違うような気がするけど……」
それに確か、HAYATOさんが石黒を通じて移籍を申し出ていたはずだ。麻紀さんが石黒から相談を受けたと言っていた。その点を飯田に尋ねると、
「問題児を受け入れるよりは……ねえ」
と、曖昧な言い方をした。要するに、HAYATOさんたちよりもシュウさんたちを選んだということだ。シュウさんが事件を起こしたあの時から、引き抜くつもりで手を回していたのだろう。飯田がやりそうなことだ。
「シュウさんは、松浪杏子さんが赦してくれなければ音楽はやらないって言ってるよ?」
「復帰させるつもりじゃなかったら、減刑を申し出たりはしないだろう。まだ彼女はギタリストとしての井上秀一くんに惚れ込んでるんだよ。もちろん、アーティストとしてはさすがに無理だから、裏方として活躍してもらうことになるだろうけど」
シュウさんがもう一度ギタリストとして仕事ができるように、ナッキーからも頼まれていると社長は明かした。たとえ裏方だとしても、音楽に携われることを良しとしてくれるのなら、できるだけ早く受け入れてあげたいと思う。
「……っていうか、そもそも石黒が絡んでるから最初から手を回してくれてたんじゃないの? 弁護士」
「ぴんぽーん」
「あ、それは認めちゃうんだ……うん……でも、……ありがとう……」
バー[イーハトーボ]は飯田プロの経営であり、石黒も飯田プロの社員だし、当然といえば当然だが……それでも俺は嬉しかった。俺が知らないうちに手早くそういうことをしている。昔から飯田には世話になりっ放しだ。感謝してもしきれない。
「いやいや、石黒くんに恩を売っておけば、ほら、いずれテレビに出て稼いでくれるかもしれないし♪」
「……そ、それはたぶん、無理だと思うけど……」
「前から言ってるだろう。あの美貌を生かした仕事をしないなんてもったいない」
「…………」
俺は呆れて溜め息をついた。継父は以前から石黒の容姿がお気に入りで、時々こういうことを言い出す。石黒は誰よりも目立つことが嫌いなのだと教えても聞かない。まあ、半分冗談だとは思うが……石黒がバク転できることは一応、内緒にしておこう。
*
それからしばらくの間は、とても忙しかった。
半月ぐらい、ほとんど休めない日が続いた。寝床にいる時間も少なく、睡眠は移動中の車の中でとることが多かった。
シュウさんやみずきさんとは、チャットアプリで挨拶を交わす仲になっていた。みずきさんは旅行に出かけたらしく、事務所宛てにおみやげのお菓子が届いた。
例の映画の配役は正式に俺に決まった。まだ撮影は先だが、撮影に入る時までにはきちんと気持ちを作っておきたい。
シリアルキラーの役なんて初めてだし、いろいろ準備が必要だ。
石黒は残酷な殺人シーンなどがある映画が好きで、よくリビングで見ていたっけ。俺がそういう作品に出ると言ったら、なんて言うだろう?
何かあるたびに石黒がいたら……と考えてしまう。病院で別れて以来、連絡さえ取り合っていないのに。
でも、どれだけ離れていても、あいつはまたひょっこり俺の前に現れてくれる……そんな予感が俺にはあった。
高校を卒業した後、一度も連絡を取っていなかったのに、何年も経ってから彼は俺に会いに来てくれた。
だから、きっとまた同じように会えると思う。なんなら、別にただ待ってなくたっていいわけだし……。
「ん……?」
楽屋でボーッとしていた俺は、何気なくテーブルの上に置かれた雑誌に目を止めた。
写真週刊誌の表紙にREVENGEの名前があった。もしかして、執行猶予中のシュウさんが写真を撮られたのかと思い、ページをめくってみる。すると……。
「HAYATOさん……?」
写真のメインはHAYATOさんと弾さんだった。
あと、顔にボカシが入っているが、二人と一緒にいる女性……服装からして間違いなくみずきさんだ。旅行先でショッピングを楽しんでいた、と書かれている。
シュウさんがマスクをして一人で道を歩いている写真も同じページに載っていた。コンビニの袋をぶら下げている。
要するに、二枚の写真を比較して「明暗くっきり」的な内容の記事だ。
「…………」
俺は少なからず驚いていた。
確か、旅行がどうとかという話はしていたが……まさかHAYATOさんが一緒だとは思わなかった。
弾さんもみずきさんも、どちらかというとHAYATOさんを煙たがっていたような気がするのだが……。
『みずきがいなければ、俺もシュウもとっくにあいつには愛想を尽かしてますよ』
『お兄ちゃんはあんまり、アタシらとは……つるまないっつーか……』
二人の言葉が頭に浮かぶ。
旅行の間もみずきさんからはメッセージや画像が送られてきたけれど、俺はてっきりシュウさんと弾さんと一緒なんだと思っていた。
実際はシュウさんを連れずに、HAYATOさんと三人で出かけていた。そこに俺は引っかかりを覚えた。
身内とはいえ、男女のきょうだいが一緒に旅行という話はあまり聞かない。俺も姉と二人で旅行したことなんてないし。仲のいいきょうだいならともかく、みずきさんの口ぶりではそれほどでもなかったようだし……。
みずきさんにとっては実の兄であり、弾さんにとっては仕事仲間であるにも関わらず、決してHAYATOさんと仲が良さそうな雰囲気はなかったのに、こうして三人で旅行なんて有り得ない。
みんなで鍋する時にお兄さんは誘わないの? と尋ねた俺に対して、みずきさんは妙に取り繕ったような言い方で否定した。
あの話の流れで、HAYATOさんと旅行に行くなんて行動は矛盾しているように思う。
(もしかして、お兄さんと一緒に行くことを俺に隠した……?)
あの、おしゃべり好きなみずきさんが口を噤んでいたのには、何か理由があるのではないかと俺は思った。
しかし、それよりも俺は別のことが気になっていた。目を凝らして写真を見つめる。
「…………?」
HAYATOさんが腕時計をつけていない。
亡くなったお父さんの形見だから肌身離さず持っていると言っていたが……?
まあ……大事にしているみたいだったから、盗難を恐れて旅行先には持っていかなかったのだろう。それだけのことだ……。
そう思いつつも、心のどこかで俺はそれを否定していた。なんとなく……あくまでもなんとなく、なのだが、HAYATOさんはそういうタイプではないような気がした。
たまたまつけ忘れているだけかもしれないが、俺は妙にそのことが気になってしまった。
手元にあるノートパソコンを開いてチャットアプリのWeb版のほうにアクセスし、みずきさんにメッセージを打ち込む。キーボードを打つほうが早いからだ。HAYATOさんのことでちょっと話がある、という内容を書いてリターンキーを押す。
「……ん?」
ページの端っこに表示された芸能ニュースの見出しに“月海”という名前を見つけて、俺はそこをクリックした。“月海”と書いてルミと読む。去年の夏から行方不明になっている鷺沼瑠実さんのことだ。
記事を読むと、月海さんの弟が個人が所有する山に侵入して訴えられているといった内容だった。そういえば確かお母さんが、
『なんとかちゅーばーってやつでね、自分で作った動画をネットで公開してるの』
と、言っていた。ネットで流行している動画配信のための撮影で、山に行ったのだろう。
それにしても、行方不明のグラビアアイドルの家族のことをわざわざゴシップにするなんて下衆の極みだ。
俺も子役の頃、家族を取材されたり、好き勝手にデタラメを書かれたりした。そのせいで、姉はずいぶん辛い思いをしたものだ。現在は泣き虫だった少女の頃の面影は欠片もなく、飯田の片腕としてバリバリ会社で働くようになったわけだが。
瑠実さんの弟さんのことは、礼香が何か聞いているかもしれないので、覚えていたら尋ねてみようと思った。
ロードランナー - 09へ続く