「じゃ……田島さん、また……」
 車の後部座席に乗り込み、シュウさんは頭を下げる。
「あっ、家まで送りますよ」
「そんな……悪いです……」
「いいですよね? 乗っても?」
 シュウさんに続いて強引に乗り込みながら、俺はその女性に尋ねた。すでにドアも閉めてしまったので、降りろとは言われないはずだ。
「おっけー、いいっすよ! じゃ、出発~!」
 シュウさんの意見も聞かず、女性は軽いノリで車を発進させた。
 症状が出てからずいぶん時間は経っているが、まだ大丈夫だと決まったわけではない。もしもの時、男の手があったほうが便利だと思った。
 俺は石黒がパニック発作を起こした時のことを思い出していた。あれはアレルギーとは違うけれど、担架で救急車に運ぶ時は大変だった。もしあんなことになったらと思うと、知り合ったばかりの人とはいえ心配でしょうがなかったのである。おせっかいなのは子供の頃からの俺の性分だ。
「シュウっち、久々だね~、アレルギー出ちゃったの」
「久々っていうか……みずきちゃんと会うこと自体、久々だよ……ハクシュン!」
「あははっ、拘置所の話、いっぱい聞かせてもらおーと思ってたから、ちょーどよかったよ~」
 みずきちゃんと呼ばれた女性はころころと明るく笑った。シュウさんのアレルギー症状についても詳しいようなので安心だ。
 車内が暗いのでよく見えないが、ロングヘアで、カジュアルなニットとジーンズを着ていた。鼻歌を歌いながら、楽しそうにハンドルを握っている。
 車が走っている間、シュウさんは相変わらずくしゃみを繰り返していたが、店にいる時よりは落ち着いたようだった。薬が効いてきたせいかもしれない。しかし目が痒いのか、時折、我慢できないように目をしばたたかせている。
「あのー」
 信号待ちで停車した時、みずきさんが不意にクルッと振り返り、後部座席の俺を見つめた。
「俳優の田島竜児に似てるって言われません?」
「あ……いや、あの……ええと……」
 似ていると言ったほうがいいのかな。返答に窮していると、横からシュウさんが口を挟んだ。
「本人だよ! ちゃんと挨拶しないとだめだよ!」
「えええええええ~~~っ、うっそぉぉぉぉーーーっ! イケメン俳優がどーーして執行猶予中の前科者と一緒にごはん食べてたんすかーーーっ!!!?」
「こ、声が大きい!」
 シュウさんが困惑しているのを見て、俺はクスクスと笑った。
「うう……田島さん…………笑わないでください…………クシュン!」
「いや……仲がよろしいんだなあ、と……。明るくて素敵な彼女さんですね」
 いいカップルだなと思ったその時、
「いやいやぁ、アタシ、彼女じゃないっすよ~!」
と、みずきさんが振り返ってニッと笑った。
「ええっ?」
 100パーセント彼女さんだと思っていたので、俺は再び仰天する。
「ヘクシュン! 彼女なんて言ったら……殺されます、オレ」
「あはは、結婚するならアタシ、ダン兄ィかタカ兄ちゃんのほうがいいな~! 落ち着いた大人の男のほうが好みだしぃー♪ 前科者はちょーっとねぇ~!」
「前科者前科者うるさいなあ……ハクション!」
「あっ、申し遅れましたー! アタシ、大友深月っていーます。母はスピリチュアル・カウンセラーの大友みれい、兄はREVENGEのHAYATOっす~!」
「えっ……ええっ!???」
 唐突なみずきさんの自己紹介に、俺は二の句が告げなかった。

     *

 みずきさんが運転する車は、吉祥寺のマンションに到着した。ここが現在のシュウさんの自宅だそうだ。事件の前は青山に住んでいたが、拘置所から出てきた後、引っ越したということだった。
 この歳になって、契約とか親にいろいろやってもらっちゃって恥ずかしい……と、シュウさんは嘆いた。
「お邪魔します」
 シュウさんを軽く支えつつ、室内に通してもらう。
 可愛いインテリアがたくさんある。男性の独り暮らしとは思えないほどだ。
 シュウさんは医者に処方されたという目薬を冷蔵庫から取り出し、すぐに点眼した。そして安堵したように大きく息をつく。
 薬が効いて、もうくしゃみもほとんど出ていないようだし、一安心だ。
「田島さん、ルイボスティー飲んでってくださいね~!」
 台所からみずきさんの声がした。せっかくなので、お茶だけご馳走になって、すぐにお暇しようと思った。
 シュウさんはハンドタオルを水で冷やし、目に当てている。
「ご迷惑かけちゃって申し訳ありません」
 何度も頭を下げるシュウさん。
「シュウさん、俺はすぐ帰るから、ベッドかソファに横になったほうが」
「ええ。でも横になると寝ちゃうんで」
「ああ……そうなんですよね。花粉症の薬もすごく眠くなるんですよ」
 もうじき春が来るので、正直ちょっと憂鬱だ。症状は薬で抑えられるが、眠気だけはどうしようもない。
「田島さん、オレに敬語なんて使わないでいいんで……」
 少し恥ずかしそうにシュウさんが言う。かなり俺に心を開いてくれたみたいだ。
「ルイボスティー入ったよ~!」
 湯気のたつルイボスティーをみずきさんが持ってきてくれた。確かルイボスティーはノンカフェインなので刺激が少なく、アレルギー疾患の人に向いていると聞いたことがある。
「ありがとう、みずきさん。これ飲んだら俺、帰ります」
「やだー! アタシにも敬語なんてやめてくださいよ~」
 ようやく明るいところで彼女の顔を見ることができた。確かにHAYATOさんによく似ている。黙っていると冷たそうに見えるタイプの美人だ。もっとも性格が朗らかなので、その心配はないと思う。
 両親が離婚して、お兄さんは父親に、みずきさんは母親のほうに引き取られたと、さっき車の中で話してくれた。大友というのは母親の旧姓で、それに合わせて画数をよくするために普段は「深月」と漢字を使っているが、戸籍上の名前は平仮名で「みずき」なのだという。
「お兄ちゃんがみんなに迷惑かけまくってるから、アタシがフォローして回ってるんですよ」
「オレ、今こんな状況なんで、頼れる人が少なくて。今日、迎えに来いってあらかじめ頼んでおいたんです」
「迎えに来いなんてシュウっちは言わないじゃーん。もしよかったら~、面倒じゃなかったら~、ってさ、アタシなんかに気ィ遣っちゃってマジウケるんですけど」
 みずきさんが茶化すと、シュウさんはタオルを目から外して、少し真剣な表情でみずきさんに言った。
「じゃあ、気を遣わずに言うよ。悪いけどみずきちゃん、ちょっとだけ席を外してくれる? 田島さんと話があるんで」
「あいあいさー! じゃー、向こうでヘッドフォンつけてYouTuberの動画見てるよ~。用事あったら呼んでね~」
 特に不満も漏らさず、みずきさんは自分のマグカップを持つと、軽やかな足取りで隣の部屋に行ってしまった。
「いい子だね」
「あの人の妹だなんて信じられないっすよ。まあ、ノリが軽いとこは似てますけど」
 シュウさんはルイボスティーを口に含んだ。目を見ると、かなり充血は引いている。これならもう大丈夫だろう。
「俺に話って、さっきの……」
「はい。話、途中だったんで。あの……石黒数馬さんはあの後、どうしてるんですか?」
 シュウさんに尋ねられ、俺は石黒が病気のため、故郷のデュッセルドルフへ帰ったことを話した。
「田島さんは、HAYATOさんと会ったことはありますか?」
「うん、仕事で何度も」
「プライベートでは?」
「一回、部屋に招待されて……」
 俺はシュウさんの質問に答えて、ワインを飲まされてぶっ倒れてしまったことを話した。
「………………」
 シュウさんは黙ったまま、濡れタオルを再び目の上に載せた。しばらく、そのまま何かを考えているようだった。
「何か、気になることでも……?」
「あっ、いえいえ……。それはまた後で。えーと、まず、事件当日の石黒さんの話でしたよね?」
 少し慌てたように話を逸らしたような気もするが……シュウさんはゆっくりとあの日のことを語ってくれた。
 当日シュウさんは、HAYATOさんから石黒を紹介された。挨拶はしたが、とても具合が悪そうだった……という。
 当然だ。病院に運び込まれてすぐだったのだから。
「大丈夫かなと思ってたんですけど、すぐに只者じゃないってわかりましたよ。俺が刃物持ってきてたの、見抜いてましたからね、あの人」
「…………」
「オレがどう動くかずっと気にして、牽制してた感じで。すごく切なそうな目で、なんていうか……頼むからやめてくれって縋るような。……オレがやっちゃった後も、すごく心配そうな顔してくれてて。変でしょう? オレに刺された松浪さんには目もくれず、ただじっと、オレを見つめてた。怖いぐらいに……Kazumaさん」
 シュウさんはそこで大きく息をつき、言葉を続ける。
「ああするしかなかったオレのことを哀れんでいるような……でも、馬鹿にしてるような目つきじゃなくて、すごく悲しそうで……どこか、励ましてくれてるような……その時オレ、ああ、この人、HAYATOさんの友達じゃないなって……確信しましたね。あんな目をした人が、HAYATOさんの友達なわけないんで。だから、どうしてあそこについて来たんだろうってずっと気になってて……」
「石黒は、メンバー交代について何か言ってた?」
「いいえ。何も喋りませんでしたよ。服装もだらしなかったし、なんか、寝起き? ……って感じでした。時々、隼人さんが肩組んだり抱き寄せて頭撫でたりしてましたけど、すごく嫌そうでしたし」
 彼の目にも、石黒がそこにいるのは不自然に映ったようだった。
「おかしいなって思いましたよ。全然、やる気なさそうなんですもん。でもプロデューサーはKazumaさんのことをインディーズ時代から知っていて……急に、あなたREVENGEに入りなさいって。弾さんは脱退させるって言われて、それでオレ、カッとなっちゃって……あっ、すみません……一人で喋りまくっちゃって」
「ううん。いろいろ聞かせてくれて嬉しいよ。俺も不思議なんだよね。石黒は絶対にそんな気はなかったと思うから……趣味で作曲はしてるみたいだったけど。HAYATOさんに誘われたからって、そんな簡単にやろうって話になるわけないと思うんだ」
「本当ですか……? 本当に……メジャーに未練は無いんですか……?」
「うん、たぶん。それに石黒は昔から目立つことが何よりも嫌いでね。人目を引く自分の容姿をすごく嫌ってたところもあるぐらいで……。だから、どうしても俺には信じられなくて……断言してもいいよ。有り得ないと思う。あいつは絶対に自分からそういうことは……」
「………………」
「……シュウさん?」
「…………んん……」
 シュウさんはソファの背にもたれかかって眠っていた。
 薬を飲んでからずっと我慢していたのが、家に帰ってきた安心感で気が抜けたのだろう。
 何か体にかけるものを探したがリビングなので何もない。俺はそっと立ち上がり、みずきさんが入っていった部屋のドアをノックした。
「はーい、シュウっち、なにー? うわあ! 田島さん」
 ドアを開けたら俺が立っていたので、みずきさんは大げさにバンザイしつつ飛び跳ねて驚いた。

ロードランナー - 06へ続く