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 第4話
 シャドウ・ウォリアー
  
この物語の舞台は、新宿に建つ雑居ビル。名前は[Jビル]。
 この物語の主人公は、そのビルのオーナー代理であり、六階に位置する店鋪の主人でもある男、ジキル。
 彼は同ビルの七階を住居とし、幼い養女アリサと共に暮らしている。
 玄関を入ってすぐ右が、八畳のアリサの部屋。その隣が十畳のジキルの部屋。
 そして玄関から廊下を真直ぐ歩くと、突き当たりに、一部が刷りガラスになったドアがある。そこを開けると、十五畳の広いリビングルームに出る。
 床は無垢材フローリングで床暖房に対応している。
 門のような脚をした折り畳み式のゲートレグテーブルや、キャビネット、サイドボードに至るまで、家具のすべてが英国のアンティークである。
 ジキルは今日、フローリングでくつろぎながら、血の繋がった従弟と酒を酌み交わしていた。
 「わはははははは、ホンマ、久しぶりやの〜、アルぅ!」
 アルと呼ばれたジキルの従弟は、日本酒で頬と鼻の頭を赤く染めつつ、嬉しそうに日本語で答えた。
 「あんちゃんも、元気そーで、嬉しいワー」
 妙なイントネーションの関西弁。これはわざわざ何十年もかけて、ジキルが教え込んだものだ。
亜麻色の髪を短く刈っている。着痩せするタイプだが、体格は意外とがっちりしている。細い顎と薄い唇、そして濃いエメラルド色の瞳が印象的な美青年。
 ジキルと並ぶと何歳も年上に見えるアルフレッドは、実は彼より二歳も下であった。
 ジキルの母メアリーの兄のところの子供である。五人兄弟の末っ子だ。
 「ワシは殺しても死なへんよ。わかっとるやろ、それぐらい」
「せやナー、あんちゃん、昔っからシブトイもんナー」
 「みんなは元気か? ディビットにジェドにマーティンにライアンは?」
 「元気やがナー。あんちゃんに会いたがってるっチューネン」
 アルフレッドはグイッとお猪口で熱燗をあおり、火照った体を冷ますためトレーナーを脱いだ。藤色のTシャツの胸に、アルファベットが3文字書いてある。
ジキルは徳利で酌をしてやり、皿の上から焼き鳥の串を取ってかぶりついた。
 床の上には幾つものビールの空き缶、ワインのボトルが転がっていた。
 二人はかれこれ数時間、ほとんど酔わずに思い出話に花を咲かせている。
 「しかしなぁ、アルだけ軍人ならんかったいうんは意外やな。よう、許してもらえたな、普通の商社マンなるの」
「すでに、上から陸、海、空、海兵やから。ボクの入るとこ、どっこもあらヘン」
 アルフレッドは右手を顔の前で振った。
彼の家は軍人の家系で、父親はもちろん、四人の兄もすべて軍人なのだ。
 ちなみに四番目まではジキルよりも年上である。五人の中でアルフレッドだけがジキルより下なため、ジキルは子供の頃から彼を弟分にしていた。
 もっとも、ジョージア州フォートベニングで六人仲良く遊んだのは僅か数年。
 当時、軍医であったジキルの母が日本の米軍基地に配属になったため、ジキルは従兄弟たちと別れ、日本で暮らすことになったのだった。
 「アルは子供ん頃から、よう日本遊び来てくれたもんな。今回、何度目の来日や?」
「十回目や。初めて来た時、あんちゃんと『サスケ』のビデオ見たの覚えてるワー」
 「『サスケ』か……好きやったな〜」
 「あんちゃん、ニンジャなりたいて、よう言うてたもんナー」
 「あー、今でもなりたいわ」
 ジキルはふっと遠い目をした。幼少の頃の夢は今も胸の中でくすぶっている……といった表情だった。
アルフレッドは曖昧な顔で笑うと、じっとジキルの横顔を見つめた。
 その後も二人は互いに酌をし合いながら、外が明るくなるまで飲み、語り続けた。
 そして朝、7時半――。
玄関の鍵が、外側からガチャリと開く。
 「おはようございまーす!」
 毎朝の日課としてジキル家を訪れる青年が、ドアを開けて中へ入ってきた。
軽くウェーブのかかったミディアムボブは栗色。すらりと背が高く、明るい色のジップアップパーカーを着こなしている。
 彼は真直ぐに廊下を歩いてリビングへ進み、ドアを開けて仰天した。
 「しゃ、しゃちょ〜!」
 目の前には、床で大の字になって鼾をかいているジキル。一升瓶を抱いている。
いくら床暖房とは言え、4月の朝はまだ肌寒い。それなのにこの上司ときたら、Tシャツ一枚でフローリングに寝そべっているのだ。
 「風邪ひきますよ〜! ほんとにもう、しようがないなぁー」
 慌ててジキルを抱き起こし、瓶を奪って床に置く。そして目を輝かせつつ、
 「でも、こんなだらしない社長も素敵っす。ぐふ」
 と、一言付け加えた。瞳の形が明らかに2秒ほどハートマークになった。
その時、突然バス&パウダールームの方で物音がした。と、同時に、
 「何ヤ、お前っ!? あんちゃんに、何さらすネンッ!」
 と、素っ頓狂な声が響いた。
 「げっ! が、外人さん……お、お客さん……っすか?」
「朝っぱらから忍び込むトハ、エー度胸やノー!」
 「マ、マイネーム、イズ、スバル・マジマ。え、え〜っと、美容師って英語でなんて言うんだっけな……」
 「slip(滑る)?」
 「ノーノー、プレアデス。プレアデス星団。我はゆく蒼白き頬のままで」
 「オー、枕草子ネ。星はすばる。ひこぼし。ゆふづづ。よばひぼしすこしをかし。尾だになからましかば……」
 「めっちゃめちゃ日本語詳しいじゃないッスかぁ。日本人以上だから、それ!」
 スバルとアルフレッドは、リビングでしばし硬直し、見つめ合った。
やがてアルフレッドがジキルのそばに座り、落ち着いて自己紹介を始める。
 「ワテ、あんちゃんのイトコですネン。アルいいますネン」
「あ、どうも。社長の専属美容師のスバルっす」
 「センゾクッ? あんちゃん、凄いナー!」
 「あ、いや、あの、俺が勝手に押し掛けてるだけっスから」
 そんなふうに互いに頭をポリポリと掻きながら挨拶をしていた真っただ中、ジキルが目を覚ました。
 「ん〜? あー、スバル。おはようさん」
「社長、二日酔いッスか? 部屋行って寝ます?」
 「あー、いや、今日、商談一つあんねん。せやから髪、セットしてぇな」
 「じゃ、洗面所で髪だけざっと洗いましょうか」
 「あぁ。洗うてくる……」
 フラフラとバス&パウダールームに歩いて行ったジキルは、突然、ゴンッと左肩を壁に激突させた。
 「あ痛たたた」
「しゃ、社長っ! あ、あーっ! アルさんっ! そこの電気消しましたねっ?」
 「うん、今、消したケド?」
 「社長は左側の視界が悪いから、暗くしたら困るんスよ〜!」
 「はっ! ス、スマンッ、あんちゃん! ボクのせいヤ!」
 「いやいや、ええって。アルのせいやあらへんって」
 「うう、そんな慈悲深い社長も萌えっす〜!」
 「あんちゃん、お詫びにシャンプー手伝うがナー」
 「ダ、ダメッすよ! そういうことならオレがっ!」
 「アンタは、待ってたらよろしいネン」
 「アルさんこそ、お客さんなんですから」
 「ウチから見たら、アンタの方が客でんガナ。ワテ、従弟デッセー」
 「そ、そそそ、それじゃ、オレは仕事のパートナーだしっ。片腕だしっ」
 「ダーッ! とにかく、あんちゃんのお世話はボクがするネン!」
 「オレがしますよ! オレ、そのためにここに来てんスからっ!」
 「あーもう、ウルサーーーーーーーーーーーイッ!!!!!!!」
 甲高い声が、その場の時間を止めた。
 「……」
「……」
 時空が歪んだかと思われるほどの衝撃に、スバルとアルフレッドは声を失った。
ロボットダンスのような動きで、リビングのドアの方を見る。
 そこには、ピンクのパジャマを着て仁王立ちするアリサがいた。
 「朝っぱらから、うるさーいっ! もうっ! アリサ、まだ目覚ましなってないのに、おこされたーーー!! きぃーーーーーーーーっ!!!!」
 憤慨した様子で立っているその姿は、ちょっとした修羅のごとく。
スバルとアルフレッドは、しばらくの間、アリサの機嫌を取るためだけに、この場に存在する者となった。
 「はあああ〜、頭イタ……」
 リビングで騒動が起こっている間も、ジキルはマイペースに髪を洗っていた。
そこへ、ちょこちょことアリサがやって来て顔を出す。
 「ねえ、じきるー」
「おっ、アリサ、おはようさん」
 「おはよう! ねえねえ、あのね、つぎの音楽のじかん、けんばんハーモニカのテストがあるの。だから、今日からとっくんする!」
 「鍵盤ハーモニカ? ああ、あれか。吹きながら指で弾くやつな」
 「うん」
 「ほな、帰ってきたら一緒にやろか。約束やで」
 「うん、やくそく!」
 アリサは小指を立てて、ジキルに差し出した。その指に、ジキルは自分の小指を絡める。
 「はい、ゆーびきーりげーんまん」
「うそついたら、はりせんぼん、のーますっ!」
 それを聞いたアルフレッドが問う。
 「あんちゃん、『げんまん』って何?」
「何やろ? 玄海灘万太郎?」
 「誰っスかそれ」
 「ほな、原付一万円?」
 「安ッ! 安過ぎヤワー」
 「弦さん萬さん百歳百歳?」
 「それは、きんさんぎんさんでしょー、社長」
 「ほな、え〜っと……」
 「げんこつ一万回、だよ。ジキル!」
 アリサが突っ込んだ。
三人の男たちは大きく頷いて感心しながら、アリサを尊敬の眼差しで見つめた。
 小学生の方が、意外とものを知っていたりするのである。
 その後、ジキルとスバルはキッチンで簡単な朝食の支度をした。
アルフレッドとアリサも加わり、賑やかな食卓となった。
 スバルがジキルの髪をセットしている間に、アルフレッドが食器を片付ける。
 アリサは一人で髪をとかし、鏡の前で今日着て行く服を決め始めた。
 「フゥ……よかった」
 アルフレッドはキッチンで一人、そっと安堵していた。
ジキルが幸せな毎日を送っていることが、嬉しかった。
 「あんちゃんは……一生分の不幸をもう背負い込んだんやカラ……」
 ぽつりと呟き、アルフレッドは目を閉じた。
      *
 「ほな、アル。またな」
「うん。あんちゃんも、気ィツケテ」
 新宿駅東口で、ジキルはアルフレッドと握手を交わした。
スバルがセットした今日の髪は、サイドの毛を少し垂らし、後ろはすべてまとめて頭頂部でシニヨンにしたスタイル。丸まった髪を包む黒いネットに、シルバーのラメが入っている。
 アルフレッドは薄手のジャケットにジーンズというカジュアルな服装で、駅の階段を下るジキルを見送った。
 「えーっと、品川か……山手線でええんかな」
 ジキルは切符を買って自動改札を抜け、ホームへと歩いて行った。
今日は商談と言っても、すでに品物を納品した相手であるから気が楽である。追加注文と、代金の支払いについてがメインの話となるだろう。
 「それにしても、アルとは久しぶりの感じせェへんかったな。何や最近、会うて声聞いたような気が……気のせいやろか?」
 山手線の中で吊り革に掴まりつつ、ジキルは首を傾げた。
窓の外には、品川の倉庫街が見えて来ていた。
 
 
 シャドウ・ウォリアー-02へ続く
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