Hideous Animal
廊下をコツコツと歩く靴音を聞いて、男は顔を上げた。靴音の主はわかっていた。使用人のトニーである。一月ほど前からこの屋敷で、彼の身の周りの世話をしている。
ジュリアス・A・マックモーディは頭を振って、顔にかかった前髪を左右に分けた。癖のない、普段は整髪料で固めているブロンド。今日は夕方のうちに湯を沸かし、洗髪を済ませていた。
靴音が止み、同時にドアの向こう側からノックの音が響いた。
「ジュリアス様、ボスが部屋に来るようにと」
トニーはそう言ってしばらく待ち、ドアを開けて部屋に入った。
ジュリアスは、黙ってロッキングチェアーから腰を上げた。
1870年、アメリカ合衆国。
五年前に終結した戦争は、人々の心に大きな影を落とした。
市民戦争の最中に制定されたホーム・ステッド法により、西部開拓は急速に進み、多くの人々が西部へと進出した。特にここコロラド・テリトリーは、ゴールド・ラッシュに伴う人口の増加で、独自の発展を遂げていた。
帰還兵であったジュリアスもまた、終戦後、南部から流れて来た者の一人だった。
彼が十八歳の時に南軍は降伏し、戦争は終わった。
北軍による焦土作戦で家屋を焼かれた彼の一家は、現在はジョージア州サバナに居を構えている。長男であるジュリアスは、もう何年も帰省してはいなかった。彼はコロラドの金鉱で働いていることになっていた。決してジュリアスは、真実を家族には明かさなかった。
ボギー・デッドマンは窓辺に立って、マッチで葉巻に火をつけた。すでに四十を越えた顔には、幾筋もの皺が刻み込まれていた。しかし筋肉の目立つその体躯は、まるで若者のように見えた。荒々しい獣のような男だった。
デッドマンというのは本当の名ではなかった。彼はこの屋敷の持ち主で、ボスと呼ばれるのが常だった。部下からは時折、戦時中の階級で呼ばれることもあったが、デッドマンはそれを好まなかった。
やがて彼はノックの音を聞き、部屋に入るように声をかけた。
トニーがドアを開けると、デッドマンはにやりと笑って、側に立っているジュリアスを見やった。トニーはジュリアスを中へ通すと、その背後で静かにドアを閉めて出て行った。
「いい子にしてたか、ジュリアス?」
ジュリアスは沈黙したまま部屋の奥へ歩を進めた。ターコイズブルーの瞳。すらりとした長身。純白のシャツが白い肌を包んでいる。
デッドマンは葉巻をくわえたまま、腕を組んでジュリアスを目で追った。かつて《黄金の狐》と呼ばれたこともある青年が、真直ぐ奥のベッドに座る。デッドマンは目を細めて、顎の下に蓄えた鬚を指でなぞった。
「一週間ぶりって感じがしねえな」
「……」
「前は一週間も会わなきゃ、死人のような顔つきになっていたもんだが。最近は俺たちがいない間も、そこそこメシは食っているようだな。せっかく作った料理を残されないで嬉しいって、トニーが言ってたぜ」
デッドマンはベッドに歩み寄った。ジュリアスは横を向いた。その髪を掴み上げて上に引っ張り上げながら、デッドマンは続けた。
「あの小僧のせいか? ラルフとかいう」
一瞬光が差し込んだように、ジュリアスの瞳孔が開いた。
『ジュリィ。待っていて。僕がもっと強くなるまで。一人前になるまで』
『無駄だ。俺はそんなに長く生きるつもりはない』
『約束して。死のうなんて思わないで。お願いだから、生き延びて』
『これ以上、生き恥を曝せってのか? 殺せ。その銃で俺を撃ってくれ』
『ジュリィ、聞いて。信じてもらえなくてもいい。でも……』
カナラズ、タスケニ、クルカラ。
ジュリアスは瞼を閉じた。八歳も年下の若すぎる少年の顔が脳裏に浮かぶ。ジョージアに残して来た弟と変わらない歳の、あどけない勇士だった。
しかしその面影は、すぐに儚く消えた。
デッドマンは強引にジュリアスの顔を上に向けると、力任せにその頬を平手打ちした。痩せこけた体は羽根のように軽く、衝撃でベッドに叩き付けられた。
青い瞳は再びどんよりと曇り、色褪せた唇は生気を失った。ジュリアスはデッドマンに突き飛ばされた体勢のまま、柔らかい枕に顔を沈めた。
デッドマンはジュリアスの両足を抱え上げると、黒いズボンの裾を捲り上げ、ウェスタンブーツを脱がせた。表面に派手な薔薇のインレイ・ワークが施されている、高価なドレスブーツである。
「少し足が太くなったな。一人で屋敷の中を歩くようになったのか? 部屋に閉じこもって本ばかり読んでいたお前が、ずいぶん変わったもんだ。それで生まれ変わったつもりでいるのか。あの小僧に励まされて、しぶとく生きようとしてるのか、え?」
「そんなつもりはない」ジュリアスは答えた。「ラルフは何も関係ない」
「あんな小僧に何ができる? たかがテキサスの牧場主のせがれに。カウボーイなんざ、俺たちとは住む世界が違うんだ。妙なこと考えるんじゃねえ」
「何も……。もう、会うこともないさ」
ジュリアスは目を閉じ、唇を噛み締めた。
デッドマンに促され、仰向けになる。シャツのボタンが外され、裸の胸があらわになった。その肌に指を滑らせながら、デッドマンは話題を変えた。
「明日、客が来る。ちんけな悪党の一味だ。列車強盗をやって、略奪品をこっちに売らねえかと持ちかけたら乗って来てな。細かい計画を練る必要があるんだ」
「……」
「お前の計画は完璧だ。明日の作戦会議には参加しろ。わかったな」
ジュリアスは答えなかった。黙って宙を見つめたまま、話を聞いていた。デッドマンは話を続けた。
「そうそう。昨日、デンバーの酒場で聞かれたぜ。ゴールデンフォックスは元気かってな。誰に聞かれたと思う? 赴任して来たばかりの保安官さ。そろそろコロラドじゃ知られて来たようだな。南部出身の二丁拳銃が、今はギャングに飼われてるってことが。しかも……」
「……」
「拳銃の持てねえ体になってな。ハッハッハ」
デッドマンは、ジュリアスのシャツの袖を掴んだ。中に何も存在しない布を握り、ひらひらと動かしてみせる。
ジュリアスは顔を背けた。
両腕を失って、すでに二年が過ぎようとしていた。
『早撃ちだけが自慢の賞金稼ぎかと思っていたが、黄金狐とはよく言ったもんだな』
『殺せ。金はもうどこにもない。そこにある分で全部だ』
『お前のずる賢さと、このコロラドの天候を読む能力は、殺すには惜しい』
『力を貸せだと? あいにくギャングとつるむ趣味はない』
『鼻っ柱の強いキツネだな。気に入ったぜ、マックモーディ』
上から叩き落とされた斧の映像は、今でもはっきりと覚えている。戦争の時でさえ、あれほどの苦痛を味わったことはなかった。ジュリアスは悪夢を振り払うように頭を振った。あの瞬間に心臓が止まらなかったことを呪った。
カナラズ、タスケニ、クルカラ。
ジュリアスはシャツを脱がされ、上半身を薄闇に曝け出した。腕は、肩口から切断されている。切断面は鈍い赤紫色に染まっている。デッドマンの掌が、きめ細かさを楽しむように胸から脇を這いずった。この屋敷に住むようになってから、ほとんど日の光には当たっていない。終戦後、ジョージアから西部に移住して来た時に灼けた肌も元に戻ってしまった。ジュリアスはここで毎日、廃人のように時間を過ごしていた。
デッドマンは、ズボンの上からジュリアスに触れた。
「……っ」
一瞬、ジュリアスの口から吐息が漏れた。
「一週間も溜めっぱなしで苦しかっただろう。自分じゃ触ることもできねえもんなあ」
「う……、うっ」
デッドマンはベッドサイドの灰皿に吸いさしの葉巻を置き、その横から茶色の瓶を手に取った。蓋を開け、中の液体をちびりと飲む。そして、ジュリアスの顎を掴んで口をこじ開け、瓶を傾けて液体を注ぎ込んだ。そして瓶を戻すと、デッドマンは再び葉巻を口にくわえた。ジュリアスのズボンのボタンを外し、男の部分を露出させる。薄い金色の毛に包まれて欲望が猛っていた。それを指で摘まみ上げ、握って上下に動かす動作に移る。
「…っあ、あぁ……」
ジュリアスは僅かに声を上げ、腰を振った。本能が脈打ち、すぐに果ててしまいそうになった。それを指で感じ取ったデッドマンは、やんわりと手を離した。
「もっと……」
湿った呻きが宙に消えた。
デッドマンはベッドから立ち上がり、ベッドの下から鞭を取り出した。細い皮を編み込んだ鞭は、馬や牛に対して振るわれるためのものだった。デッドマンは柄をしっかりと持つと、それをジュリアスに向かって打ち下ろした。
「ああああッ!」
激しい音が響き、白い肌に一筋の赤い痕が残った。その後も連続で鞭は打ちつけられた。打たれた箇所はみるみるうちに腫れ上がり、幾重もの細い傷になった。アヘンチンキが程よく効いていたため、耐え切れない痛みではなかった。しかしジュリアスは俯せに体を丸め、枕にしがみつくようにベッドに肌を密着させた。
「調子に乗るんじゃねえ。俺はお前の愛人じゃねえんだ」
「……」
「ラルフと会って以来、どうもお前は生意気でいけねえ。少し自分の立場ってものをわからせてやらなきゃな」
そう吐き捨てるように言うとデッドマンは鞭を床に置き、ベッドの縁に腰掛けた。ジュリアスの足首を握り引っ張る。ずるずると細い体がシーツを滑って、デッドマンの膝の上に裸の尻が乗った。鞭の痕が生々しかった。その尻を、デッドマンは掌で打った。
「あーっ!」
絞り出すような悲鳴をジュリアスは上げた。デッドマンはその声を無視して、力一杯に尻を連打した。強烈な音が部屋に響き、同時にジュリアスの声も大きくなっていった。
「お前は俺に生かされているだけの家畜だ。わかったか、ジュリアス」
「う、ううっ、ああ……」
「腕のないガンマンなんざ、聞いたことがねえからな。俺たちが放り出せば、お前は数日と生きられないだろう。誰に守られて暮らしているか、よく考えるんだな」
「……せよ」
「何だ?」
デッドマンは手を休めた。ジュリアスが震えながら、シーツに埋めていた顔を上げた。
「殺せ! だったら今すぐ俺を殺せよ! こんな体になってまで、俺は生きようとは思わなかった!」
「仕方ねえなぁ。お前の頭が良すぎたんだ。これからは、頭を使って稼ぐ時代だからな」
「く……」
「ミズーリのあたりじゃジェームズ・ギャングとかいう無法者たちが、派手に銀行強盗やらかしてるようだがな。あいつらバカだ。ピンカートン探偵社に消されるのも時間の問題さ。北部の奴らが憎いのは、俺も同じだがね」
デッドマンは、自分を睨みつける視線と目を合わせながら、口にくわえていた葉巻を指でつかんだ。そして、躊躇なくジュリアスの尻たぶに火を押しつけた。
「ああああっ!」
刺すような痛みがジュリアスを襲った。みみず腫れになった皮膚に、更に火傷の痕が追加される。デッドマンは灰で黒くなった箇所に執拗に葉巻をねじ込んだ。
「北軍の奴らに、俺が何をされたと思う? 地獄だった。収容所はな」
デッドマンは葉巻を吸い殻にすると、ジュリアスの双丘を開いて、そこに唾を吐きかけた。色素の沈着した部分を指でなぞり、唾液を擦り込んでいく。やがて中心部に指先が当たると、ジュリアスは背中を逸らせて喘いだ。
「クックック。こんなに痛めつけられても、体は正直に反応するか。哀れだな」
「…殺してやる。絶対に、お前を、殺してやる……」
「ほほう、どうやって? 拳銃を握ることもできねえお前が、俺に立ち向かおうっていうのか。ジョージアの家族がどうなってもいいのか?」
「うっ…」
「お前の名前で送金してやってるのは誰だ? 鉱山で働いているように見せかけてな。何なら今すぐ、バラしてやってもいいんだぜ。ジュリィはギャングの手先になって羽振りのいい生活をしてますってな」
「……そ、それは……」
「だったら服従しろ。お前は俺の飼いギツネだ。そうだな?」
「……」
デッドマンは、唾液にまみれた指先を突き入れた。
「あっ、ああ」
秘肛に差し込まれた指が無造作に動いた。内壁が擦り上げられ、奥までかき回される。すでに快楽を教え込まれている穴は無条件に反応し、荒ぶる男根がいきり立った。ジュリアスは堪らず腰を動かし、デッドマンの膝に肉欲の中心を擦りつけた。
「ハッハッハ。とんでもねえエロギツネだな。エサが欲しいのか」
デッドマンは高笑いをしながら、片手でジュリアスのペニスを握り、乱暴にしごいた。
「ああっ、あーっ、は、はああ」
ジュリアスは舌を出して唇を舐め回した。心と裏腹に高まって行く肉体を怨んだ。が、今は快感に打ち震えることしかできなかった。
「ボス、お願い、もう……」
「フフフ、都合のいい時だけ奴隷ぶるのか」
「あああっ、もうっ、もうっ」
ほぐされた尻穴にもう一本指が差し込まれた。滑らかな直腸を二本の指先が嬲る。爪が引っ掛かり僅かに出血した。ジュリアスは悲鳴を上げ、体をくの字に曲げた。
「ほらどうした。もっと欲しいんじゃねえのか」
「あっ、あっ、ひっは、ああ」
「これじゃ物足りねえだろうが。こんなにガバガバのケツじゃあな」
デッドマンは一旦ペニスから手を放すと、アヘンチンキの横からオリーブオイルの瓶を取った。器用に片手で蓋を開け、ドロドロともう片方の掌に流し落とす。二本の指はジュリアスに挿入されたままだった。デッドマンは瓶を置いた手で、まんべんなくオイルを右手に塗りたくった。
「息を吐け、ジュリアス」
静かに二本の指が体内から引き抜かれた。そして次の瞬間、五本の指先が同時に肛門に突き立てられる。
「ひっ、ああ……」
ジュリアスは背中を仰け反らせた。
すぼめた手の先端が徐々にアヌスを押し広げ、中に埋め込まれて行く。親指の根元までが入った時、ジュリアスは絶叫した。しかしためらわずにデッドマンは、彼の体を上から押さえ付け、一気に手首までをぶち込んだ。
「ひぎいいっ!」
拳が丸ごとジュリアスの肛門に飲み込まれた。手首をぐいぐいと締めつける括約筋が侵入を拒む。デッドマンは容赦なく腕をねじ込んだ。暴力的に腸壁が摩擦され、ジュリアスは半狂乱になって喚いた。
「や、やああっ! ひっ、ひっ、ぎゃあああああっ!」
「満足か? ゴールデンフォックス」
「ひいいっ、はがああっ!」
「久しぶりだから少し痛いか…」
デッドマンは、もう片方の手でジュリアスのペニスを握り締めた。皮を上下させて亀頭を嬲り、親指の腹で裏筋を何度も撫で上げた。そして同時に拳を掘り進むことを試みた。
「あーっ、あーっ」
ジュリアスの頬が上気し、恍惚を伴った喘ぎ声が弾き出される。ターコイズブルーの瞳は焦点を失い、ブロンドは汗で額にへばりついていた。
人は快感を与えられることにより多少の苦痛には耐えられることを、デッドマンは知っていた。それを彼に教えてくれたのは、捕虜収容所の看守たちだった。
ジュリアスは獣のように咆哮しながら、頭を大きく振って悶絶した。
「で、出る、出るうっ!」
やがて彼の先端から白い粘液が放出され、デッドマンのジーンズを汚した。
悦楽の中でジュリアスは、自分自身の存在もすべて溶けてしまうことを願った。
カナラズ、タスケニ、クルカラ。
希望という言葉など忘れていた。
この二年間、他人の手で食事を施され、他人の手で入浴をさせられ、他人の手で排泄の後始末をされてきた。そして性の処理も、他人の手に委ねられてきた。
屈辱にまみれた毎日を憎悪しながら、ジュリアスは闇の中にいた。
彼が望んでいたのは死だった。そのために食事を拒否し、頭を床に打ちつけ、階段を転げ落ちた。しかし望みは叶わなかった。
ボギー・デッドマンとその一味は、ジュリアスを必要としていた。彼はギャングの頭脳であると同時に、醜い家畜でもあったのだ。
しかし彼の心に、今は微かに明かりが灯っていた。
「ゆっくり丁寧にしゃぶれ。いいな」
デッドマンはジュリアスを床に座らせると、口元にペニスを持って行った。大きく開いた口の中に、熱くたぎったものを差し込む。ジュリアスは舌を使って、それを喉の奥まで迎え入れた。
「もっと横だ。例のところに当たるようにな」
「……」
ジュリアスは、上顎の右側に亀頭が当たるように顔を動かした。その部分には邪魔になる障害物がなかったからである。歯茎に先端をあてがうことをデッドマンは好んだ。
「その横の歯が少し当たるな。よし、今年はそれを抜いてやろう」
ジュリアスがデッドマンの慰み物になって二年。彼が両腕を失った日が来るたびに、デッドマンは彼の体を破壊した。すでに二本の奥歯を引き抜いている。
「フフ、いいことを思いついたぜ。それをテキサスの小僧のところへ送ってやる。お前がまだ無事な証拠にな。来年は何にする? 足の指でも送るか? ハハハハハッ」
頭の上で響くデッドマンの笑い声を聞きながら、ジュリアスは舌を動かし続ける他はなかった。巨根をねぶり、しゃぶり上げ、かつて歯が存在していた場所に擦りつける。
薄暗い部屋の中で、ジュリアスの頬を涙が伝った。
……タスケテクレ……。
ラルフ……。
やがて口の奥に、焼けつくように熱い精液が流し込まれた。ジュリアスは喉を鳴らして、それを一滴残らず飲み干した。
この愚かな液体のように、すべての恐怖も絶望も飲み干してしまえればいいと思った。
自分自身の奥に潜む、狂った獣の心と共に。
(了)
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