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用語辞典(ちまちまと制作中)

ブルーは小説の中にのみ登場する用語で、グリーンは史実や実在の人物や蘊蓄などです。
 
 
アルバート ジュリアスのミドルネーム(クリスチャンネーム)。普段はイニシャルで「A」と省略。
クリスチャンネームは通常、聖書起源の名前や聖人、聖女の名前を頂くもの。この名前を持つ聖人には、St. Albert of Jerusalem、St. Albert the Great がいる。
アルバート(Albert)は、フランス語読みでは「アルベール」、ドイツ語読みで「アルベルト」または「アルブレヒト」になる。
海への進撃 南北戦争において、北軍のウィリアム・T・シャーマン将軍が1864年に行った、ジョージア州を荒廃させるための焦土作戦。直前に陥落したアトランタから海岸都市サバナに向かって、62000人の兵士が土地や作物、家屋、工場、鉄道などを手当りしだいに焼き払い、食糧などの必要物資を略奪しつつ横断したという。
シャーマンはこう書き記している。「戦争とはどんなものか、知りたければ我々の後についてくるがよい」と。
これにより南軍の士気は大きく低下。翌1865年の降伏へと繋がることになる。
 
コロラド・テリトリー 現在のコロラド州。州成立は1876年8月1日。アメリカ38番目の州。
テリトリーとしては1861年から存在していたが、南北戦争、先住民との争い、税金問題などで州成立は先送りとなっていたらしい。
1858年頃、金・銀鉱が発見され、鉱夫たちが集まり人口が急増した(ゴールドラッシュ)。
州の中央をロッキー山脈が縦断しているが、その面積は日本の本州とほぼ同じ広さ。
ちなみに「コロラド」の名前は、「赤い色(Color Red)」に由来する。
 
ジュリアス・A・マックモーディ 1846年、ジョージアで、アイルランド人の父とドイツ系アメリカ人の母の間に生まれる。17歳で南北戦争に従軍。南軍歩兵軍曹として、ゲリラ活動を展開。終戦後は単身西部に渡り、二丁拳銃のバウンティハンター(賞金稼ぎ)として活躍。「ゴールデンフォックス(黄金の狐)」の異名を持つ。1868年、両腕を失い、ボギー・ギャングの一味に加わる。
ジュリアス(Julius)は、フランス語読みでは「ジュール」。ドイツ語読みだと「ユリウス」になる。
 
デッドマン 文字通り「死人」を意味する。死刑囚をこのように呼ぶこともある。「デッドマン・ウォーキング」は、死刑囚が処刑場へと向かう最後の歩みのことを指す。
なお、ジム・ジャームッシュ監督、ジョニー・デップ主演の映画『Dead Man』は、西部開拓時代の物語ではあるが西部劇ではない。ニール・ヤングの音楽とモノクロの映像が美しい、叙情的な芸術映画である。
 
南北戦争 1861年から1865年にかけて起こったアメリカ合衆国の内戦。
 
肺病 現在の結核。結核菌による感染症で、労咳とも呼ばれた。
1944年のストレプトマイシンの開発、そして1973年に特効薬リファンピシンが使われるようになるまでは、治療法が一切ない不治の病だった。
西部開拓史上もっとも有名な肺病患者は、1881年の「OKコラルの決闘」で有名なドク・ホリディ(1851-1887)。もともとは歯科医であったが、肺病を患ってからは西部に移住。賭博と酒びたりの日々を送る。映画『荒野の決闘』、『OK牧場の決斗』、『トゥームストーン』などでは、様々な美形俳優が咳き込んで苦しむシーンを熱演している。
拍車 ブーツの踵に付ける金具で、歯車のような花車、柄、踵板、拍車ボタン、革紐から成る乗馬用具の一つ。スパー(Spurs)ともいう。乗馬中、足で馬の腹を押して合図を送るためのもの。カウボーイは馬を傷つけないように、花車の鋭い部分を落としてからブーツに装着したと言われている。もっとも懲罰が目的ではないため、強く蹴飛ばしたりはしない。が、拍車をブーツに取り付けているだけで、馬が緊張して言うことを聞くのだという。様々な大きさ、デザインがあり、個人的な趣向や必要性によって使い分けられていたようだ。
キャラクターが歩くたびに拍車がカチャカチャと鳴る様は、西部劇好きにはたまらない。
ボギー・デッドマン 本名、R・A・ボガード。1826年、ヴァージニア出身。ウェストポイント卒業後、米墨戦争に従軍。1846年、ミシシッピの農場主の娘と結婚。しかしそのために、南北戦争では連邦軍を辞め、南軍の騎兵隊に所属することになった。北軍の捕虜収容所にて終戦を迎える。終戦後、部下を集めてボギー・ギャングを結成。
 
マックモーディ ジュリアスの姓。綴りは Macmoody なので、正しい発音はマックムーディに近い。
マック(Mac、もしくはMc)がつくのはアイルランド系の名前の特徴で、「〜の息子」という意味。マッカーサー、マクドナルド、マッキントッシュ、マクラクラン、マッカートニー、マックィーンなどの名前は、十中八九、スコットランド系かアイルランド系。(マッカーサー=アーサーの息子、マクドナルド=ドナルドの息子という意味)
つまりマックモーディは「モーディの息子」ということになる。ちなみにモーディ(moody)は「勇敢な人」という意味。アメリカ人の姓は主に「地名姓」「父称姓」「職業姓」「ニックネーム姓」に分類されるが、これは典型的なニックネーム姓である。
 
ヤンキー 南北戦争当時、北軍の兵士や北部諸州人に対して、南部の人間が用いた軽蔑する呼び方。後に、アメリカ人全体を指すようになった。
語源には諸説あるが、植民地時代、現在のニューヨークに住んでいたオランダ人が、「ジョン」という名前の多かったイギリス系移民に対して使っていた言葉「Jan Kees」とする説が有力。(オランダ語で「ジョン」は「ヤン」と発音する)
日本では不良、もしくは不良のように見える若者をこう呼ぶが、これは大阪から広まったと言われている。昔は不良と言えば髪を金髪や茶髪に染めている者たちであったため、それがアメリカ人のように見えたとする説、また、1970年代から80年代にかけて、大阪の難波の「アメリカ村」と呼ばれる地域で購入した派手なアロハシャツや太いズボンを履いて繁華街をウロウロする若者をそう呼んだとする説などがある。大阪の不良が「〜やんけ」という語尾を高頻度で用いるため、それが「ヤンキー」に変化したという説も捨てがたい。
ユリアン・J・マックモーディ ジュリアス・A・マックモーディの弟。1856年、ジョージアで、アイルランド人の父とドイツ系アメリカ人の母の間に生まれる。1865年の終戦時は9歳。戦後は、幼いながら製材所に雑用係として転がり込み、僅かばかりの小遣い銭を稼ぐようになる。15歳の時、その製材所が人の手に渡ると共に離別。銀行に就職するべく勉学に励む。三年後、念願の銀行への就職も決まり、兄に報告するために西部を目指す。
 
レイラ・ボガード R・A・ボガードの妻。ミシシッピ出身。南北戦争勃発後、実家で夫の帰りを待っていたが、押し入ってきた北軍兵に暴行され、射殺。享年35歳。