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 晴れた日は、オフロードバイクに乗って遠出したいといつも思う。しかし今は、あまり一人で外には出ないほうがいいと思った。
 もしも俺が殺人犯なら、被害者のことを嗅ぎ回っていたり、普段つけている腕時計をつけていないことを指摘したりする人間は、真っ先に消したいと思う。
 自分の推理が正しいなんて思っていないけれど……いや、むしろ正しくなければいいと思う。瑠実さんと久美さんがどこかで無事に生きていれば、それが一番なのだ。
 瑠実さんのご家族は今、大変だろう。瑠実さんの行方が知れないことに加えて、弟さんのほうが訴えられていたりして……。
 礼香に弟さんのことを尋ねてみたが、何も聞いていないという。弟さんと瑠実さんはあまり仲がよくなかった、と以前も教えてくれたことを言うだけだった。
 俺は所属事務所の社長室のバルコニーから、晴れ渡った空を眺めていた。
 社長室では坂本さんが飯田社長と話をしている。ここからは俺には聞かせたくないことが含まれていると言われ、俺はバルコニーに追いやられたというわけだ。まだ冬だが、今日は暖かいので問題ない。
 さっき、社長と一緒に聞かされた話を頭の中で反芻する。
 ヤクザが絡んでいるから詳しくは話せないが、と前置きして、坂本さんはHAYATOの部屋に盗聴器が仕掛けられていると教えてくれた。
 旅行に行っている時に誰かが部屋に入って何かを盗んでいった……そうHAYATOは言った。本人が何度も俺を問いただしたビデオがその『何か』なのだろう。
 坂本さんはビデオとは一言も言わなかったが、ヤクザがHAYATOからあるものを奪うために留守宅に侵入し、その時に取り付けたのだと説明してくれた。傍受は暴力団関係者が交代で行っているらしい。
 坂本さんがそっち方面と関わりがあることは以前から知っているので驚きはしなかった。あの時の会話を他人に聞かれていたのは恥ずかしいが、結果として俺はそのおかげで助かったわけなので、気持ち的に複雑ではあったが許すことにした。
 もはやREVENGEの分裂だの活動休止だの移籍だのという話だけではなくなっている。これは完全に暴力団案件なので、本来はこんなふうに秘密を明かしてはいけないのだと坂本さんは繰り返す。
 HAYATOがなぜ暴力団に狙われているのかということについて、坂本さんは口を噤んだものの、自業自得や、とあっさり切り捨てた。
 芸能界には、この手の話題が多い。俗に“黒い交際”などとマスコミに書き立てられたりする。しかしそもそも芸能界全体がそっちと癒着した関係なのだから、交際があるのは当たり前なのだ。どこの事務所もそれなりには暴力団や半グレと仲良くしている。
 ただ、タレント本人が深入りするとマスコミに目をつけられやすいので、事務所は気を配っているものだ。ドラッグなどの犯罪と関わってくる問題だからという理由もある。
 俺や礼香など飯田プロの所属タレントは、幸いにも事務所の力が強いため、きちんと守られている。ただ、プライベートで向こうから寄ってこられた場合は防ぎようがない時もある。そうならないように上層部はうまく金を回しているようだが……。
 とにかく、HAYATOに関してはそっちで秘密裏にケリをつけるつもりだったらしい。
 しかし殺人事件が起きているということになると、そう簡単に事は運ばない。普通に逮捕させたほうがいい場合もあるからだそうだ。だから、どう動くか。おそらく、今二人は部屋の中でそれを打ち合わせている。
 俺は青空を眺めることで気を紛らわせていたが、心の中はずっとざわついていた。
 俺自身はあの男のことはあまり好きではない、が……。
 兄と一緒に旅行に行くみずきさん。頼まれれば留守中の室内の霊視もして息子を気遣う大友みれいさん。どちらも、HAYATOを嫌っているわけではない。みずきさんの笑顔が曇るのを見るのは辛いと思った。
 坂本さんの話では、暴力団関係者を怒らせるようなことを、そもそもHAYATOがしていた……という。
 みずきさんの話が思い起こされる。
『六~七年前だったかなぁ? お兄ちゃんがヤクザ怒らせちゃってぇ』
 その時のことと、何か関係があるのだろうか。それともまったく別件なのだろうか。
 そして、石黒は、そのことに関わっているのだろうか……?
 あの夜、部屋でHAYATOはこう言って俺に詰め寄ってきた。
『そんなに数馬が大事かよ? 俺があいつに手出しできねえようにしたいのか?』
 盗まれたビデオと石黒がどう繋がるのかは想像もできなかったが、暴力団関係者が怒っていることと石黒は何か関係があるような気もしていた。そういう意味では、それをHAYATOから奪ったことで石黒が助かるというのなら、俺はヤクザに感謝したいとさえ思う。
 その時、窓の内側からコンコンとノックの音がした。飯田が『もう入ってもいいよ』と、口を動かす。
 話は終わったようで、二人とも落ち着いてコーヒーを飲んでいる。どんな密談が行われたのかはわからない。
「あ、あのさ……。どんなことが決定したのか、わからないけど……」
 どうしても我慢できなくて、俺は思っていたことを口にする。
 みずきさんたち家族と、シュウさん、弾さんたち元メンバーのことを、できるだけ傷つけないようにしてあげて欲しい。
 万が一、鷺沼瑠実さんと杉野久美さんが殺害されているのだとしたら、二人の家族にも最大限の配慮をしてあげて欲しい。
 俺の希望は、この二つだけだ。石黒を傷つけた男がどんな末路になろうが正直どうでもいいけれど、周囲の人たちのことだけは守りたい。
 飯田は俺に微笑みかけると、穏やかな口調で言った。
「月海ちゃんはうちの児童劇団にいた子だからね。もちろん、できるだけのことはするよ。礼香ちゃんのためにもね」
「ありがとう、継父さん……」
 坂本さんも頷いて、必ずあっちにそう伝えると約束してくれた。

     *

 オフィスを出た俺は、坂本さんの車で都内のテレビスタジオに向かった。マネージャーの麻紀さんは打ち合わせで先に出向いているため、送ってもらうことにしたのだ。
 坂本さんはあまり喋らなかった。以前はこういう時は少し楽しそうな素振りを見せたものだが、さすがに知り合いが殺されているかもしれないという状況下では楽しむ気にもなれないのだろう。
「なあ、竜ちゃん。ひとつだけわからんことあるんやけど」
「はい」
「HAYATOがな、わかってたやんか。部屋ん中、人が入ったこと。あれ、何でわかったんか聞いてへんか?」
 坂本さんは盗聴の音声ファイルは後から聞いたものの、小さくて聞き取りにくい部分もあったので、小声で何か話していないかと思ったらしい。
「……あっ、それは、あの……彼とはその話はしていないんですが……」
 俺はみずきさんから聞いた話を坂本さんに伝えた。そういえばHAYATOの母親が大友みれいさんだということはまだ教えていなかったことに気がつく。
 坂本さんは驚いた様子で目を丸くした。
「霊視でそんなん、わかるんか」
「ええ。眉唾かもしれませんけど、HAYATOが母親に部屋の様子がおかしいって言ったのは事実みたいですし……」
 そこまで話して、俺はみずきさんに頼んで鷺沼瑠実さんの足取りを霊視してもらったことを思い出し、スマホを取り出してメッセージを表示した。さっき事務所で話せばよかったと後悔する。後で一応、飯田にも話しておこう。
「蝉の声が聞こえる中、山道を登っていく車が見える……ということなんですけど」
「月海ちゃん……鷺沼瑠実さんが? それ、大友みれいが霊視したいうんか? ほな、自分の息子がその子殺したんも見えるんちゃうの?」
「さ、さすがにそれは……どうなんでしょう……? 超能力者じゃないから百発百中ってわけにはいかないってみずきさんも言ってましたし……」
「ホンマはもう霊視で視えてて、嘘ついてるんかもしれん……息子を庇うために。話半分にしといたほうがええかもなぁ。まあ、そもそも根拠のないもんやしな」
「坂本さんはあまり信じないほうですか?」
「う~ん……降霊術的なもんやったらお願いしてみたい思うけど。ほら、あるやんか。霊を降ろして話聞くみたいなやつや」
「誰か、会いたい人がいるんですか?」
「うん。まあ……な」
 坂本さんは言葉を濁した。プライベートに立ち入ってしまったような気がして俺は、そうなんですか……とだけ言って慌てて話題を元に戻す。
「山道ってところが気になってるんです。どこの山かわかる方法、ないのかな……」
「ドラマやったら、景色とか土の質とかで推理しそうやけどな。けど、山言うても国有地も私有地もあるし、そう簡単にはわからんやろなぁ」
「…………」
 山道……。虫の声……。最近、山がどうとか聞いたような気がする。
(そうだ、クワガタだ。クワガタを採集しようとしてって話だ……。あっ、そっか!)
 俺はずっとモヤモヤしていたことを思い出し、思わず『あっ』と口に出していた。
「どないしたん?」
 気づかれてしまい、俺は照れ笑いしつつ答える。
「いえ。例のクワガタの話です。動画のニュースで見たじゃないですか。俺、ずっと気になってたんですけど思い出したんです。弁護士さんのところで聞いたんでした。クワガタの話」
「弁護士のところでクワガタの話? なんやそれ?」
「例のYouTuberのことなのかどうかわかりませんけど、エフ何とかって会社の社長が、山でクワガタを採られたって弁護士の先生に電話をかけてきてたんです。それ、小耳に挟んだからずっと憶えてたみたいで。えーと……エフ・オー……何だったかな……?」
 まるで独り言を呟くように話していたら、急に車が減速した。
「……エフ・オー・エルか?」
 坂本さんが俺に尋ねた。少しだけ声が震えている感じがした。
「あ……どうだろ? そんな感じの名前だったと思います。菊川先生に聞けばわかるかも……」
「菊川?」
「ええ。菊川法律事務所っていうところに先日お邪魔して」
「ほう」
 興味深げに何度も小刻みに頷いた後、坂本さんはボソッと小声で呟いた。
「…………なんや、懐かしい名前やな」
「えっ?」
 その言葉がよく聞き取れず、ハンドルを握る彼の顔を見つめた。横顔が笑っている。どこか楽しそうに見える。
 弁護士事務所にかかってきた電話の内容を他者に言うのはマナー違反だよな、なんてことを考え、しまった……という気持ちになりつつも、坂本さんの反応に期待が高まってしまう。何かに気がついた時、彼はいつもこういう笑い方をするからだ。
 そうこうしているうちに車は世田谷区内のテレビスタジオに到着した。
 俺は坂本さんにお礼を言って車を降りる。
「ほな、また連絡するわ」
「はい。ありがとうございました」
 俺が頭を下げると、坂本さんは白い歯を見せて笑いながら、軽く手を上げた。

     *

 その日の撮影は夜遅くまで続き、マンションに帰宅したのは真夜中だった。
 麻紀さんが運転する車の中で少しうとうとしてしまったので、目が冴えている。アロマキャンドルを焚いてハーブティーを飲み、一息つく。自宅でたった一人でこんな過ごし方をするのは久しぶりだ。アロマキャンドルの存在さえ俺はずっと忘れていた。
 日付が替わって三月に突入した。石黒が去ってから五ヶ月近く経過していた。
 ソファでスマホを弄くっていたら、SNSに昨年末に出演したドラマの動画が上げられているのを見つけた。目に光がなく演技も単調な自分の姿を見て、こんなにひどかったのかと申し訳ない気持ちになった。
 辛い時期を過ごしたが、何とか立ち直れたような気がする。
 俺はふと思い立ち、動画サイトでロードランナーを検索してみた。アメリカの半砂漠地帯に生息する鳥。鳥のくせに飛ぶことが苦手で、そのかわりに地面を走る。発達した足はとてもがっちりしていて逞しい。
 石黒はこの鳥が好きだと言った。
 俺も、いつまでも弱いままではいられないと思った。
 外国のドキュメンタリー番組だろうか。ロードランナーがガラガラヘビに食らいつき、その大きな嘴で何度もヘビの頭を地面に叩きつけ、気絶させている動画があった。雑食性で、ヘビでもサソリでもこうやって倒して捕食する。砂漠で生きていくための適応能力だ。
 俺はしばらくの間、飽きずにずっとその動画を見つめていた。
(了)

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